蓮華

釜瑪 秋摩

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動きだす刻

第61話 鴇汰 ~鴇汰 4~

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 大柄の男がその身の丈よりも更に大きな男を三人引き連れて車から降り立った。

「出し抜いて手柄を挙げるには今がいいチャンスでしょう。できるならあなたに登り詰めていただきたい」

「フン……ずいぶんと殊勝なことを言うじゃないか。おまえにしてはいい判断だ」

 どこまでも偉そうな態度が鼻について仕方がない。
 その男を見るほどに憎悪に近い感情が沸き立ってきてイライラしてしまう。
 前を行くその背を睨みながら剣を握り、横を歩く男たちに目配せをする。
 男たちはうなずくと、大男に斬り付け、大柄の男が驚いた表情で振り返った。

「きさま! なにを……!」

「今、あなたが想像したとおりのことが起きたのですよ」
  
 抜き放った剣を振り下ろし、人の命を断った感触が鴇汰の手に伝わってきたのと同時に、景色が変わった。

 今度は見慣れた長い廊下を歩き続けている。
 角を曲がると大きな扉が視界に入り、脇に控えた兵の驚いた視線にぶつかった。

「長く留守にしてすまなかった。少しばかり用がある。外してくれるかな?」

 手にした杖を突き出して二人の兵を交互に指すと、二人は長い廊下を鴇汰が今、やって来たほうへと去っていく。
 重い扉を開いて中へ入ると、大きなベットに横たわっていた老人が起き上がった。

「おまえ……無事であったか……」

 よろよろと覚束ない足取りでベットを抜け出し、歩み寄ってくる老人の両手を取った。

「長く待たせてしまい、申し訳ありません。ですが、もう大丈夫です。なにを気に病むこともなくなります」

「なにを言うか……もう私は終わりだ……取り返しのつかないことを……」

 ホロホロと泣き崩れる弱々しい老人の背中を優しく撫でてやった。
 切なくて暖かな、大切なものを慈しむような思いがあふれて押し寄せてくる。

「やり直すことなど、いくらでも可能です。あなたがいるかぎり、私はどこまでもあなたのなさろうとしたことを守りましょう」

 老人をゆっくり立ち上がらせると、その手をギュッと握り締めた。
 また、景色が移る。

 薄暗い中、不意に手が艶かしい肌に触れた。
 なんの感情も湧かない。
 冷たさと柔らかな肌の感触が、ただ「触れている」ということを認識するだけだ。

 ――面倒でたまらない。

 この感情には覚えがある。
 ほしくてたまらないのに手に入れることができず、代わりを探して幾度となく相手を変えては求め続けた、あのころの感情と同じだ。

 思いは動きもしないのに、体は最後には快楽に向かい、そんな自分にいつも嫌悪感を覚えていた。

 生暖かな吐息が耳にかかり、甘い喘ぎに手を伸ばして長い髪を絡め取った。
 艶やかな赤い髪に、どうしようもなく違和感が膨らみ、その正体を確かめようと顔にかかった髪をそっと払うと、目の前が真っ暗になり、なにも見えなくなった。

 なんの音も聞こえないほど静かだ。
 たった今、誰かと触れ合っていた感触もなくなり、暗がりの中、椅子にかけられた上着に手を伸ばした。

 広げて羽織り、袖を通すと灯りを点けた。
 淡い黄色の生地についた大きなボタンをかけながら、溜息をもらして袖を少し折り、両手で髪を掻き上げた。
 服を着るという行為がさっきの続きを思わせて不安になる。

 無造作に机に放り出されたコートを取ると、それも着込んで襟元を正す。
 小さな部屋の中に鏡はない。けれど着なれた服は乱れることなどなく体に馴染み、小さな手で刀を掴むと、しっかりと二刀とも腰に帯びた。

 この部屋の中に他に誰かいるのかが気になる。
 振り返って確かめたいのに、足は入口に向かい、手はドアを開け放った。

 目前には浮かぶ月が鋭い鎌のように細く光っている。
 船首によじ登り、腰を下ろすと、膝を抱えて高く昇るほどに小さくなっていく月を眺めた。

 正しいのは自分だ。
 間違いは正さなければいけない。
 この手は沢山の弱いものを救うんだ。
 なのに――。

(どうして使えない……)

 ひどく強い悲しみと戸惑いに涙が出そうだ。
 顔を伏せるとまた暗闇に飲まれた。
 前に進めばいいのか、右を向くか左を向くか、その判断もつかずに、ただ立ち尽くした。

 鴇汰の手には、人の命を断った感触、しわがれた手を握り締めた感触、柔らかな肌と指先にまとわりつく赤い髪の感触、そして刀の柄の感触がしっかりと残っている。
 押し寄せる感情も葛藤する思いも、すべてが雪崩れ込んできて、自分の意識がどこにあるのかさえわからない。

 それに、あとから感じた二つの出来事がどうしても頭から離れない。
 触れていたのは誰だ?
 触れられていたのは……?

 考えたくないところにばかり思考が向かって叫び出しそうになったとき、頭に強い衝撃を受けて、鴇汰は目が覚めた。
 火花が散ったように目の前がチカチカする。

「っつぅ……なんだ今の……鬼灯?」

 立てかけておいた鬼灯が倒れて頭を直撃したらしい。
 転がっている鬼灯を掴んだ。
 周囲から隊員の寝息は聞こえてくるのに、誰の姿も見えないほどの闇が広がっている。
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