蓮華

釜瑪 秋摩

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動きだす刻

第8話 安息 ~マドル 8~

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 こちらが問いかけをするときは変に口数が少なくなるのに、急に饒舌になったことにも驚く。
 なにをしてどこに触れるとこうなるのか読めない部分が多過ぎて怖い。
 すべてが済んだあとには、意識を保ったままでおくのは危険かもしれない。

 顔を上げると麻乃がこちらを見ている。
 休むと言ってしまった手前、いつまでもここに居座っていることもできず、席を立って簡易ベッドを広げた。
 横になってみたところですぐに眠れるわけでもなく、天井を見つめてあれこれと考える。

 明日の夜にはここを発ち、庸儀に移動しなければならない。
 その前にはロマジェリカの兵と麻乃を引き合わせることも忘れてはいけない。

 けれど――。

 ときに思考が止まり、そんな自分に苛立ちを感じる癖に、この部屋にいることがなぜか心地良い。
 どうでもいいことばかりが頭の中に浮かんでは消え、本来もっと考えるべきことがあるのを忘れるほどだ。

 仕切りの向こう側で、麻乃は今、なにを思い、なにをしているのだろうか。
 目を閉じて仰向けになったり横を向いてみたり、ゴソゴソと体を動かしていた。
 暗い中で、頭の奥に声が響いてきた。

「あまり急ぐと転びますよ」

 舌足らずな甘い声だ。
 青草と土の臭いが鼻の奥をくすぐる。
 雨のあとのひんやりとした風が吹き抜けていく。

 マドルの目の前に差し出された小さな手を、グッと握った。
 マドルの手もやけに小さい。
 そのまま引っ張られる形で、また駆け出した。

 木々の合間をぬって駆け抜ける兎を、一生懸命に追い駆けながら繋いだ手から伝わる熱に安心感が溢れ出す。
 仕かけた罠まであと少しだぞ、手の主はそう言って息を弾ませている。
 大きくうなずいてそれに答え、後ろを振り返った。

 女性特有の柔らかな笑い声が二つ、姿は見えずともしっかりと聞こえてくることにホッとした。

 前を走っていた手の主が突然止まり、勢い余って体ごとぶつかった目の前に、大きな馬の脚が並んでいた。
 見上げた姿は逆光でシルエットしかわからない。
 手の主が馬に引き上げられ、繋いだ手が振り解かれた。

 泣き叫ぶ声と沢山の蹄の音が響き、わけもわからぬまま声が遠ざかっていった。
 慌てて追った耳に聞こえてくるのは、マドル自身の泣き声だ。

 どんなに必死に走っても馬に追いつけようはずもない。
 森の出口で、呆然と遠ざかっていく馬群を見つめていた。
 冷たい手が頭を撫でる。
 どうして、と舌足らずな甘い声と柔らかい感触が体を包み、恐怖とショックで堪えきれずに大声で泣いた。

 髪を梳くように撫でる手の感触に、ハッと我に帰った。
 いつの間に眠っていたのか目を開くと部屋の中は薄暗く、簡易ベッドの横に腰を下ろし、麻乃がマドルの髪を撫でていた。

「ここでなにを……」

「……うなされていた。疲れているからそうなる。目が覚めたのなら今が起きどきだろう。ちょうど食事の準備もあの人がしてくれているところだ」

 立ち上がった麻乃の手を掴んだ。

「私は……なにか言いましたか?」

「いや? あたしが気づいたのはほんの数分前だ。こっち側へ来てからずっと、あなたは物音一つ立てずに眠っていた」

 ジッと目を見ても、嘘をついているようには見えない。なにも言っていなかったことにホッとした。

 もう十年以上も見ることのなかった夢を、今ごろになってまた見ようとは思いもしなかった。
 ずっと忘れていた苦い思い出が胸に詰まる。
 握った麻乃の手がやけに冷たい。
 その冷たさが、殊更にあの日のことやそのあとのことを思い出させる。

「ご用意できました」

 仕切りの向こう側から女官の声が聞こえた。

「あぁ。今行く」

 そう答えた麻乃は、マドルを振り返った。

「どうする? 起きるのもいい。眠り足りないと思うならまだ横になっていればいい。あたしはなにをするでもないし、あなたの好きなようにすればいい」

「ずいぶん楽になりましたから、このまま起きます」

 手を離して立ち上がり、ベッドを片付けた。
 テーブルの上には二人分の食事が用意されていた。

「いつもお二人で食事をされているのですか?」

 そう問いかけると、麻乃と女官は顔を見合わせて困ったように笑った。

「……別に。これはあたしとあなたのぶんだ」

 基本的に小間使いに当たるものたちは、調理場などで食事を済ませる。
 こういった場所で客人や城のものとともにすることはない。
 咎められたと思って二人は顔を見合わせたのだろうか。

「なにも咎めだてしているわけではありません。いつもそうしているのであれば、今夜もそうしていただいて構いません」

 女官がチラリと麻乃に視線を向けた。
 麻乃は苦笑しながら女官から水差しを受け取った。

「この人がこう言っているんだ。ありがたくそうさせてもらおう」

 小さくうなずいた女官は、自分の食事を取りに部屋を出ていった。
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