蓮華

釜瑪 秋摩

文字の大きさ
上 下
418 / 780
動きだす刻

第7話 安息 ~マドル 7~

しおりを挟む
 することもなく、と言って話しかけるわけにもいかず、それでもこの部屋から離れようとも思えず、ただぼんやりと、わずかにうつむいた麻乃の横顔を眺めていた。

 部屋の中はまだ甘ったるい花の香が残っている。

 こんなにもなにもしていない時間があるとすれば眠っているときくらいだろう。
 机に乗せられたままの他の本は、マドルにとってはさして必要のないもので、手に取ろうという気にはなれず手持ち無沙汰だ。

 女官もまだ戻ってこない。腕時計に視線を落とすと、ここへ来てからまだ三十分ほどしか経っていなかった。
 妙にゆったりと時間が流れている気がする。

「……あるんだ」

「……えっ?」

 ぼんやりとしていたせいで、麻乃が不意に発した言葉を聞き逃してしまった。

「どうしても必要なものがある。それを手にするのに枇杷島へ立ち寄るのは丁度いい、それだけのことだ」

 本を開いたままで、外を眺めながら言った麻乃の表情は見えない。
 最初はなんのことを言っているのか理解できないでいた。
 数秒考えて、枇杷島に行くのが都合がいいと言っていたのを思い出し、今の言葉がマドルの質問にする答えだと気づいた。

「そうですか。慣れた土地で特に危険がないのであれば、あとのことはお任せします」

「心配なんて必要ない。怪我なんてしやしない」

「ずいぶんとハッキリ言い切られるのですね」

「あたしは大丈夫だ。それだけはわかる……いや。わかったんだ」

 こうまで断言するのは、庸儀の兵を軽く往なしたせいだろうか。
 麻乃から自信があふれているように感じ、それが一体、どこから来るのか知りたいと思った。

 けれど、ここでまた余計なことを口にして機嫌を損ねたくはない。
 どうするべきか迷い、なにも言えないままで麻乃を見つめた。

「疲れているなら少し休んだほうがいい」

 突然そう言われて驚く。
 暗に出ていけと言っているのだろうか。

「疲れている? 私が、ですか?」

「さっきからぼんやりしている。それに急に口数が少なくなった」

 それはそうだろう。これでも気は遣っている。
 それに、まさか麻乃に口数が少ないなどと言われようとは。

「無理を言って出航を急がせたせいで倒れたなどと言われたくない。今ここでそうしている時間があるなら休んでおいたほうがいい」

「いえ……私は……」

「自室にいちゃあ休めやしない、そんなところか。ここなら誰が来るわけでもない。横になっていけばいい」

 胸の内側をギュッと掴まれたような、変な痛みが走った。

(横になっていけと言われても……)

 嫌でも視線がベッドへ向いてしまい、ごまかすように時計に目を移して軽く咳払いをした。
 クッと笑い声が聞こえて顔を上げると、麻乃は窓枠に頬づえをついてこちらを見つめ、反対の手で部屋の片隅を指した。

「仕切りの向こうにある机やら簡易ベッド。時々、ここの女性が使わせてもらっているけれど、全部あなたのものじゃないのか?」

 そう言えば、最初に麻乃をこの部屋に連れてきた日に、間仕切りをして使えるものを持ち込んだ。
 最も忙しさやジェの邪魔が入ってばかりで使うことなどありはしなかったけれど――。

 それよりも、思考が偏った方向に動いてしまったことを恥じ、自分らしからぬ感情に戸惑いを覚えた。
 いつでもまず、これから先のことだけを考えていたのに、この数日は特に揺さぶられて余計なことばかりを考えている。

「泉翔に渡ったら休む暇なんてありはしない。休めるうちに休んでおくことだね」

「そう……ですね。ですがまだ出航準備の件もあるでしょうし……」

「あなたがいなければ立ち行かないようなできの悪い部下ばかりなのか? そんなやつらじゃ、泉翔に戻る際にあずけられても迷惑な話しだな」

 呆れた表情を見せた麻乃は、頬づえをついたままで外に向いてしまった。
 もう一体、なにをどう言ったら良いのかさえわからない。
 他人と話しをしていて頭が回らないのも言葉を失うのも初めてだ。

「誰か尋ねてくるとか忙しくてそれどころじゃないと言うなら、無理にとは言わないから……」

 尋ねてくる、というのがジェを指しているような気がしてムッとする。
 今、この瞬間にジェのことなど話題にも上らせたくはないし、思い出したいとも思わない。
 最後の言葉が「帰れ」と続きそうで、強い口調でさえぎった。

「いえ。何日も留守にするわけではありませんし、少しばかり私のいない時間があっても問題はありません。尋ねてくるものがいるわけでもありませんから」

「まぁ……どっちでも構わないけどね。問題ないって言うなら好きなだけ横になっていればいい。ここにいるかぎりは誰も邪魔しはしない。目が覚めたときが起きどきだ」
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

【完結】仰る通り、貴方の子ではありません

ユユ
恋愛
辛い悪阻と難産を経て産まれたのは 私に似た待望の男児だった。 なのに認められず、 不貞の濡れ衣を着せられ、 追い出されてしまった。 実家からも勘当され 息子と2人で生きていくことにした。 * 作り話です * 暇つぶしにどうぞ * 4万文字未満 * 完結保証付き * 少し大人表現あり

主役の聖女は死にました

F.conoe
ファンタジー
聖女と一緒に召喚された私。私は聖女じゃないのに、聖女とされた。

【完結】失いかけた君にもう一度

暮田呉子
恋愛
偶然、振り払った手が婚約者の頬に当たってしまった。 叩くつもりはなかった。 しかし、謝ろうとした矢先、彼女は全てを捨てていなくなってしまった──。

断る――――前にもそう言ったはずだ

鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」  結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。  周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。  けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。  他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。 (わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)  そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。  ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。  そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?

夫達の裏切りに復讐心で一杯だった私は、死の間際に本当の願いを見つけ幸せになれました。

Nao*
恋愛
家庭を顧みず、外泊も増えた夫ダリス。 それを寂しく思う私だったが、庭師のサムとその息子のシャルに癒される日々を送って居た。 そして私達は、三人であるバラの苗を庭に植える。 しかしその後…夫と親友のエリザによって、私は酷い裏切りを受ける事に─。 命の危機が迫る中、私の心は二人への復讐心で一杯になるが…駆けつけたシャルとサムを前に、本当の願いを見つけて─? (1万字以上と少し長いので、短編集とは別にしてあります)

(完)聖女様は頑張らない

青空一夏
ファンタジー
私は大聖女様だった。歴史上最強の聖女だった私はそのあまりに強すぎる力から、悪魔? 魔女?と疑われ追放された。 それも命を救ってやったカール王太子の命令により追放されたのだ。あの恩知らずめ! 侯爵令嬢の色香に負けやがって。本物の聖女より偽物美女の侯爵令嬢を選びやがった。 私は逃亡中に足をすべらせ死んだ? と思ったら聖女認定の最初の日に巻き戻っていた!! もう全力でこの国の為になんか働くもんか! 異世界ゆるふわ設定ご都合主義ファンタジー。よくあるパターンの聖女もの。ラブコメ要素ありです。楽しく笑えるお話です。(多分😅)

悪意のパーティー《完結》

アーエル
ファンタジー
私が目を覚ましたのは王城で行われたパーティーで毒を盛られてから1年になろうかという時期でした。 ある意味でダークな内容です ‪☆他社でも公開

処理中です...