蓮華

釜瑪 秋摩

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待ち受けるもの

第179話 記憶 ~鴇汰 4~

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 黙って言うなりになっているわけではなさそうなのに、どうして戻ってこないのか。
 妙にマドルが近いのも気になる。
 まさか戻らないのはマドルがいるからだろうか?
 嫌な想像ばかりが頭を埋め尽くし、食欲も湧かない。
 二、三度頭を振ってから、無理やり掻き込んで箸を置いた。

「そろそろ皇子が来るころッスかね?」

 時計に目を向けた岱胡は、自分の荷物をまとめながらそう言った。

「そうだな。七時前には、そう言って……」

 修治の言葉をさえぎって、部屋のドアが乱暴に開けられた。
 ドカドカと入ってきたのは加賀野で、神妙な顔をしている。

「おまえたち、荷物を持て。時間がない。すぐに出かけるぞ」

「加賀野さん……一体……」

「上層が動いた。詳しい話しはあとだ。サツキさまはもう神殿を出られたそうだ。急ぎ待ち合わせの場所へ向かうぞ」

 有無を言わせない雰囲気に、なにがあったのかを聞くことさえできないまま外へ出た。

 裏口から出ると思ったとおり森へ向かう。
 部屋から見たときは、薄く霧が立ち込めていたけれど、実際に足を踏み入れてみると思ったよりも濃く、前を歩く修治の背中さえぼやけて見える。

 三十分は歩いただろうか。

 霧も薄れて木漏れ日が射し込み始めたころ、小さな東屋の前にたどり着いた。
 その横でこちらに向かって手招きをしているのが、どうやら遥斗の言っていた侍女のようだ。
 後ろにはサツキだけじゃなくイナミの姿まで見えた。

「待たせてしまったか?」

「いえ、こちらもつい今しがた着いたところです」

「そうか、しかし良く無事に出て来られたな。おかげで助かったぞ」

 加賀野と侍女のやり取りを、イナミが不安そうな顔をして見つめている。

「サツキさま、今日は急なお呼び立てを致しまして、申し訳ありませんでした」

「いいえ、何やら早急に渡したいものがあるのだと伺いましたので……」

 振り返った加賀野に呼ばれ、サツキの正面に立った。
 泉翔人特有の真っ黒な瞳と巫女の独特な雰囲気が、鴇汰の内側まで見透かしているようで不思議な気持ちになる。

「今度の豊穣でおまえたちがシタラさまに黒玉を持たされたことは、サツキさまもイナミさまもご存じだ。長田、おまえの口から説明をしろ」

 促されてかばんの中から黒玉を取り出した。

(この石に術を施して相手に持たせるんだ)

 クロムはこの石を見てそう言った。
 そしてもう、その効果は薄れているとも。
 今、渡してサツキはなにを感じるのだろうか。

「俺たちが黒玉だと言って渡された一つがこれです。本物を見たことはあっても手にしたことはなかったので、偽物だとは思いもしませんでした」

 手のひらに乗せて、サツキとイナミに見えやすいよう差し出した。
 二人ともジッと目を凝らして見つめているけれど、なぜか手を伸ばそうとしない。触ることをためらっているようにも見えた。

「先日……大陸で夢を見ました。その中でシタラさまが、これをサツキさまに渡すようにと仰ったんです」

「……私に、ですか? 一体それはなぜでしょう?」

「俺にもわかりません。どうしてサツキさまなのかを聞きました。そうしたら『渡せばわかることだ』と言われました」

 黒玉に向けられていた視線が、鴇汰に向いた。
 推し量るように見ていたサツキの瞳に、暖かな色が浮かんだ。

「わかりました、そういうことでしたら私がお預かりしましょう」

 手のひらの上の黒玉を、人差し指と親指で摘み上げたサツキの肩が、ビクンと揺れた。
 体を硬直させたまま、まったく動かない。
 どこを見ているのか、黒い瞳の焦点も合っていない。

「……サツキさま? どうされたのですか?」

 心配したイナミがサツキの肩を揺すると、黒玉がサツキの指を離れて地面で跳ね、あわてた様子のイナミは屈み込んで拾い上げた。

 イナミの指先が触れた一拍後、ヒッと息を飲んで黒玉を放り投げ、真っ青な顔をしている。
 なにが起きたのかわからず落ちた黒玉を拾うと、修治たちと顔を見合わせた。

「サツキさま、イナミさまも……急にどうしたんですか?」

 侍女がサツキの肩を抱いて、その背をなでている。
 イナミは両手で顔を覆い泣き崩れてしまった。
 加賀野がそっと腕を取り、東屋の椅子へ腰かけさせてやっている。

「その石は……確かに偽物です。良く似ていますが、泉の森周辺で採れる鉱石の一種です」

 加賀野になだめられながらイナミが言った。
 黒玉の保管を任されているだけあって、最初に見たときにおかしいと気づいたと言う。

 侍女から離れ、鴇汰の前に立ったサツキは、一度、深呼吸をしてから顔を上げて、毅然とした態度でハッキリと言った。

「ですが……なにか手を加えられているようで……そのうえ、この石にはシタラさまの記憶が刻まれていました」
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