蓮華

釜瑪 秋摩

文字の大きさ
上 下
327 / 780
待ち受けるもの

第105話 結界の中 ~鴇汰 5~

しおりを挟む
 胸がムカムカして止まらない。胃袋のほうも、突然におかしなものを流し込まれたせいか、シクシクと悲しげに痛みを発している。

「キミは彼女のこととなると、少しばかり感情的になり過ぎるようだ。彼女なら今は大丈夫だと言ったろう?」

「なんでそう言いきれるんだよ?」

「それは彼女が本物だからだ」

「だってあいつ、まだ覚醒してないんだぜ? あの国のやつらが麻乃を覚醒させるためになにをするか……」

 少し冷えてきたかな、そうつぶやいて立ちあがったクロムは、一番大きな窓を閉め、棚の脇にあった小窓を開けると、こちらを振り返った。

「昨日のことだ。ヘイトの反同盟派の軍勢がロマジェリカに攻め入ってね」

 そういって、そのときの状況を話してくれた。
 大軍で侵攻したにも関わらず、その半分以下のロマジェリカ軍に撤退せざるを得ないことになったと。
 そのとき、ロマジェリカ軍には二人の赤髪の女がいて、そしてその片方は、たった一人で相当な数の兵を打倒したという……。

「一人は庸儀の女だ。もう一人は……」

「麻乃……あいつ覚醒して……あいつがロマジェリカに加担してるなんて……」

「どんな手を使ったのかまでは、まだわからない。けれど今、彼女はあちら側だ。ロマジェリカにしろ他国にしろ彼女の不興を買うことで、反発されるのを恐れているだろう。うっかりすれば、自分たちが滅ぼされかねないのだからね。だから今、大事にされているだろうことは間違いない」

 それならなおさら早く麻乃を連れ戻さなきゃならない。
 ただ……覚醒してロマジェリカに加担しているとなると、今の麻乃はこれまでのあいつじゃない。
 こんな痛む体を引きずって、鴇汰一人で麻乃を連れ戻すことができるんだろうか……?

 これからどうすればいいのかを考えていると、視線を感じた。
 クロムの瞳が鴇汰をジッと見据えている。

「さあ、ここからが問題だ。キミはもう子どもじゃない。まぁ、少々馬鹿ではあるが……」

「だから馬鹿って言うなっつってんだろ!」

 本気なのか冗談なのか判断のつかないクロムの言葉に、気分の悪さも加わってますます苛立つ。

「選択肢は二つ。一つはすぐにでもここを飛び出し、一人では立ちゆかなくても彼女を救いに行って命を落とすか。もう一つはここで二日間辛抱して傷を癒し、泉翔へ戻って仲間たちとともに手を尽くし、彼女を引き戻すか」

 目を閉じてその言葉を聞いていた。
 気持ちは一つだ。今すぐ麻乃を救いに行く。

 けれど麻乃が変わってしまった今、救うどころか対峙しなければならない。
 ただでさえ敵わない鴇汰では、クロムのいうとおりあっさりやれて命を落とすのが目に見えている。

(死ぬことなんか怖くはない――)

 怖いのは、死ぬことで自分と麻乃の未来が絶対に手に入らなくなる……それだけだ。
 泉翔へ戻れば仲間がいるのは確かだ。
 だからといって、それで確実に麻乃を引き戻すことができる、そう言える根拠がない。
 喉もとまで答えが出掛かっているのに、言葉を探しきれずに返事をためらっていた。

「答えを急ぐ必要はないんだよ。キミが怪我をした日から五日も経ってしまったけれど、まだ時間はある。もう少し休んで夜までに考えをまとめるといい」

 ためらいを察したのかクロムはそう言ってマルガリータを誘《いざな》い、部屋を出ていってしまった。
 静かな部屋の中に、妙な気配を感じて視線を巡らせた。
 いつの間に戻されたのか、小箱の上に鬼灯が置かれている。

『さっさと正しい答えを出して俺も連れていけよな』

 そう言っているようにみえて苦笑した。

(そういやぁ、こいつはずいぶんと麻乃を気に入ってるらしい。岱胡が刀匠からそう聞いたって言ってたっけ……)

 いつの間にか胸焼けも胃の痛みも消えていた。
 その代わり、やけに強い眠気に襲われて目を閉じる。

「待ってろ、おまえも絶対に連れていくからよ……」

 鬼灯に語りかけて、そのまま眠りに落ちた。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

【完結】仰る通り、貴方の子ではありません

ユユ
恋愛
辛い悪阻と難産を経て産まれたのは 私に似た待望の男児だった。 なのに認められず、 不貞の濡れ衣を着せられ、 追い出されてしまった。 実家からも勘当され 息子と2人で生きていくことにした。 * 作り話です * 暇つぶしにどうぞ * 4万文字未満 * 完結保証付き * 少し大人表現あり

主役の聖女は死にました

F.conoe
ファンタジー
聖女と一緒に召喚された私。私は聖女じゃないのに、聖女とされた。

【完結】失いかけた君にもう一度

暮田呉子
恋愛
偶然、振り払った手が婚約者の頬に当たってしまった。 叩くつもりはなかった。 しかし、謝ろうとした矢先、彼女は全てを捨てていなくなってしまった──。

夫達の裏切りに復讐心で一杯だった私は、死の間際に本当の願いを見つけ幸せになれました。

Nao*
恋愛
家庭を顧みず、外泊も増えた夫ダリス。 それを寂しく思う私だったが、庭師のサムとその息子のシャルに癒される日々を送って居た。 そして私達は、三人であるバラの苗を庭に植える。 しかしその後…夫と親友のエリザによって、私は酷い裏切りを受ける事に─。 命の危機が迫る中、私の心は二人への復讐心で一杯になるが…駆けつけたシャルとサムを前に、本当の願いを見つけて─? (1万字以上と少し長いので、短編集とは別にしてあります)

断る――――前にもそう言ったはずだ

鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」  結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。  周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。  けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。  他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。 (わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)  そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。  ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。  そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?

悪意のパーティー《完結》

アーエル
ファンタジー
私が目を覚ましたのは王城で行われたパーティーで毒を盛られてから1年になろうかという時期でした。 ある意味でダークな内容です ‪☆他社でも公開

いっとう愚かで、惨めで、哀れな末路を辿るはずだった令嬢の矜持

空月
ファンタジー
古くからの名家、貴き血を継ぐローゼンベルグ家――その末子、一人娘として生まれたカトレア・ローゼンベルグは、幼い頃からの婚約者に婚約破棄され、遠方の別荘へと療養の名目で送られた。 その道中に惨めに死ぬはずだった未来を、突然現れた『バグ』によって回避して、ただの『カトレア』として生きていく話。 ※悪役令嬢で婚約破棄物ですが、ざまぁもスッキリもありません。 ※以前投稿していた「いっとう愚かで惨めで哀れだった令嬢の果て」改稿版です。文章量が1.5倍くらいに増えています。

処理中です...