蓮華

釜瑪 秋摩

文字の大きさ
上 下
301 / 780
待ち受けるもの

第79話 流動 ~マドル 5~

しおりを挟む
「今、関わりがあるかないか、ではなく、過去に確実に関わりがあったのですよ。貴女が泉翔とともに侵攻に動けば、大陸は終わる。ですが、禁忌である侵攻を阻止するならば、少なくとも四国すべてが滅びることはなくなる。紅い華をどちらが摘み取るか……それで決まるのです。鍵は貴女が握っているのですよ」

 麻乃はまだマドルの指先を見つめたまま、ジッと考え込んでいる。
 そう、どちらにつくかではない。
 本当はつくかだ。

 けれど今、ほかの血はあらわれてはいない。
 マドルだけだ。
 すべてが正しいように思ってもらわなければならない。
 綻びを見つけられてはいけない。
 考える隙を与えないように、矢継ぎ早に言葉を続けた。

「私たち、ロマジェリカ人が生き残れるかどうかは、貴女が正しい選択をしてくれるか、それ次第なんです」

「あたしは……そんな大層なものじゃない。みんなに疎まれ、誰からも望まれず、ただ人を傷つけるだけの……」

「泉翔の人たちにとっては疎ましいでしょう、自分たちの成そうとしていることの邪魔になるんですから。けれど私たちにとっては、貴女は希望だ」

 その言葉を否定するように頭を振った麻乃は、振り絞るような声を出した。

「それでもあたしは、誰かを傷つけ、殺める。だからこれまで必死で抑えてきたのに……!」

「その結果、私たちは生きることができる。貴女の手は誰か殺めるよりも救うほうが圧倒的に多いのです。現にこれから、貴女が泉翔ですべきことは、そういうことではないのですか?」

 自分の存在に否定的な麻乃を、いかに必要としているかを訴えた。
 麻乃は求められることが信じられない、という目をしている。

「私が傷を治したことで、こんなことになったと仰いましたが、貴女はあの戦場で泉翔の戦士に会い、ご自分で覚醒する道を選んだのではないのですか? 彼らの間違いを正すために、この手を取ったのではないのですか? そう感じたから、私は貴女の傷を癒したのです」

 机をたたく指先を止めたのと同時に、麻乃は額を押さえてゆっくりと三度、瞬きをした。
 閉じられたまぶたが開かれ、現れた瞳は、さらに深みを増している。
 窓から差し込む光が当たっても、髪の色もこれまでより紅味が濃い。

(まだ、完全ではなかったのか……)

 麻乃は窓際に歩み寄り、そっと窓を開いた。冷えた風と一緒に砂埃が吹き込んでくる。

「この砂埃……ひどく荒れた土地だ」

 そうつぶやき、マドルを振り返ると、クスリと笑った。

「泉翔のやつらはこの地を奪い取って育むと言っていた。この地に暮らしていても、ただ荒らすことしかできないのなら、いっそ奪い取られてしまったほうがいいんじゃないのか?」

 麻乃の口調が変わり、まとう雰囲気も吹き込む風のように冷たい。
 真意を計りかねて、ジッとその目を見据えた。
 本気でそう思われているとしたら危険だ。

 もしものときは、マドルの手でどうにかするしかない。
 いまさらここで敵方に回られてしまうよりは……。
 麻乃はマドルがそう考えていることを悟り、試すような、楽しむような顔でいる。

「今、この窓を飛び出して、ジャセンベルに向かおうとしたら困る、そんな顔をしている」

「そう……ですね、ですが、貴女はそんな真似はしない……違いますか?」

「……どうかな。なんなら試してみようか?」

 麻乃は窓枠を強く握り、外へ目を移した。
 一瞬、本当に飛び出してしまうかと思い、マドルは焦りで腰を浮かせた。
 景色を見つめる麻乃の顔は、成すべきことを決断した表情だ。

 こちら側だ。

 麻乃は今、こちら側にいる。
 暗示で見せた幻は、思いのほか強い効果を発揮してくれたようだ。

「貴女はそんな浅はかな人ではない」

 もう一度、マドルを振り返った麻乃は、迷いのない目をしている。

「今日の午後……泉翔の軍勢が、この国へ侵攻するという情報が入っています」

「……早いな」

「貴女が倒れたと思っているからでしょう。彼らは恐れるものも止めるものも、もういないと考えているはずです」

 小柄な体つきとは裏腹に、存在感が大きい。
 奥の部屋の片づけが済んだのか、ドアの向こうから女官が声をかけてきた。
 麻乃は自分の足もとと袖を見つめた。
 今もまだ、女官と同じ衣をまとっている。

「どう……されますか?」

「これでは動きようがない」

「では、動きやすい衣服を用意しましょう」

 ドアを開き、迎えにきた女官に衣服の準備を指示した。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

【完結】仰る通り、貴方の子ではありません

ユユ
恋愛
辛い悪阻と難産を経て産まれたのは 私に似た待望の男児だった。 なのに認められず、 不貞の濡れ衣を着せられ、 追い出されてしまった。 実家からも勘当され 息子と2人で生きていくことにした。 * 作り話です * 暇つぶしにどうぞ * 4万文字未満 * 完結保証付き * 少し大人表現あり

主役の聖女は死にました

F.conoe
ファンタジー
聖女と一緒に召喚された私。私は聖女じゃないのに、聖女とされた。

【完結】失いかけた君にもう一度

暮田呉子
恋愛
偶然、振り払った手が婚約者の頬に当たってしまった。 叩くつもりはなかった。 しかし、謝ろうとした矢先、彼女は全てを捨てていなくなってしまった──。

断る――――前にもそう言ったはずだ

鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」  結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。  周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。  けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。  他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。 (わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)  そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。  ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。  そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?

夫達の裏切りに復讐心で一杯だった私は、死の間際に本当の願いを見つけ幸せになれました。

Nao*
恋愛
家庭を顧みず、外泊も増えた夫ダリス。 それを寂しく思う私だったが、庭師のサムとその息子のシャルに癒される日々を送って居た。 そして私達は、三人であるバラの苗を庭に植える。 しかしその後…夫と親友のエリザによって、私は酷い裏切りを受ける事に─。 命の危機が迫る中、私の心は二人への復讐心で一杯になるが…駆けつけたシャルとサムを前に、本当の願いを見つけて─? (1万字以上と少し長いので、短編集とは別にしてあります)

悪意のパーティー《完結》

アーエル
ファンタジー
私が目を覚ましたのは王城で行われたパーティーで毒を盛られてから1年になろうかという時期でした。 ある意味でダークな内容です ‪☆他社でも公開

いっとう愚かで、惨めで、哀れな末路を辿るはずだった令嬢の矜持

空月
ファンタジー
古くからの名家、貴き血を継ぐローゼンベルグ家――その末子、一人娘として生まれたカトレア・ローゼンベルグは、幼い頃からの婚約者に婚約破棄され、遠方の別荘へと療養の名目で送られた。 その道中に惨めに死ぬはずだった未来を、突然現れた『バグ』によって回避して、ただの『カトレア』として生きていく話。 ※悪役令嬢で婚約破棄物ですが、ざまぁもスッキリもありません。 ※以前投稿していた「いっとう愚かで惨めで哀れだった令嬢の果て」改稿版です。文章量が1.5倍くらいに増えています。

処理中です...