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待ち受けるもの
第77話 流動 ~マドル 3~
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気づくと時間は深夜を回り、日付が変わっている。
「マドルさま、そろそろお休みになられたほうがよろしいのでは……」
一番、身近にいることが多い側近が、そう訴えてきた。
ここしばらくのあいだ、倒れる回数が増えていることを気にしているのだろう。
確かに、だいぶ楽になったとは言え、無理をして疲労を重ねるのも良くないかもしれない。
「そうですね……少しばかり休ませていただきます。ですが、なにかあったときにはすぐに知らせに来てください。特に奥の部屋のこと、よろしくお願いします」
残ったものたちが出ていったのを確認してから、シャワーを使い、着替えを済ませて横になった。
普段は気を張っているせいかなかなか寝つけないのに、目を閉じた途端に意識が薄らいでいった。
突然、大きな物音と女官の悲鳴が響き、廊下をあわただしく走るいくつかの足音が聞こえ、意識が引き戻された。
時計を見ると、もう七時を回っている。
五時間も眠っていたことに驚いた。
忙しないノックと、側近の呼ぶ声がしてドアを開けた。
「なにごとですか?」
「マドルさま、あのかたが……目を覚まされたのですが……」
廊下の奥からガラスの割れる音が響いてきた。
刀は引きあげてきたけれど、武器になるものがなにもないわけではない。
暴れているらしい麻乃を止めようとしているのか、大声が聞こえる。
「周囲のものを退かせてください。あれでは、ますます興奮させてしまう」
「わかりました」
側近が奥へ向かったのを見送ってから、マドルは衣服を整えてロッドを手にし、あとを追った。
(目を覚ました……このタイミングで……あの物音からすると、もう相当に動けるのか。とすれば夕刻に使えるか……)
部屋の前までくると、女官が怯えた表情でドアの向こうをのぞき込んでいる。
頬が赤くなっている以外、その姿に変わったところはない。
「なにがあったのですか?」
「それが……あのかたが目を覚まされたので、食事の準備をしようと……ドアを開けたとき、庸儀の方々が中へ入ろうとしたので……」
「庸儀のかた?」
――ジェの側近か。
「はい。三名ほど……お止めしたのですが……聞き入れていただけず、無理やりに中へ……そうしたらあのかたが……」
女官の頬が赤いのは押し入ろうとしたのを止めたときに殴られたのだと言う。
ひどく怯えて見えたのはそのせいか。
物音は目を覚ました麻乃が暴れたからではなく、庸儀の兵とやり合ったからだ。
窓が割れ、冷たい風が吹き込んできている。
部屋の真ん中あたりで、こちらへ背を向けて立っている麻乃の足もとに、兵が二人、横たわっていた。
三人いると言ったのに、一人、足りないのは窓の外へ投げ出されたからだろうか?
側近に耳打ちをして外へ確認に行かせると、女官を脇にやり、マドルは開ききったドアをわざと強くノックした。
「ずいぶんと手荒なことをされたようですね?」
振り向きもしない麻乃の髪を、部屋を通り抜けた風が揺らした。
中へ入り、ぐるりと部屋を見回すと、置物や家具類が破損し、陶器やガラスの破片が床に散らばっている。
「特別、高価なものではありませんが、こうまでいろいろと破損させてしまうとは」
「そこの人がひどい目に遭わされたと言うのに、その心配より、品物の心配か?」
小声でつぶやいた麻乃の拳に、力がこもった。
「まさか……あのものを助けてくださってありがとうございます。庸儀の方々には、いささか手を焼いていましてね。助かりました。ところでその兵たちは……」
「死んじゃいない。こんなやつら、殺す価値もない」
振り返った麻乃の目は、マドルを通り越して女官を見つめている。
その瞳は髪と同じで濃く深く紅い。
「大きな怪我がなくて良かった。ここにいたせいで、そんな目に遭わせてしまって……ごめん、あたしのせいで……」
女官は、麻乃の言葉に小さく頭を振りながらも、怯えの色を見せたまま視線も合わせずにうつむいた。
ジェが出入りしているおかげで紅い髪には慣れてはいても紅い瞳には馴染みがないからか怯えているのが手に取るようにわかる。
麻乃のほうも恐れられていることを感じ取ったのか、一瞬、寂しげな表情を見せた。
「庸儀の方々を、軍部へ運び出してください」
マドルは近くにいた側近に指示をしてから、女官を振り返る。
「手を増やして構いませんので、急ぎ部屋の片づけをお願いします」
そう頼んだ。
「あの部屋に比べたら手狭ですが、片づけが済むまでのあいだですから」
相変わらず黙ったままで立ち尽くしている麻乃をうながし、とりあえずマドルの部屋へ案内した。
「マドルさま、そろそろお休みになられたほうがよろしいのでは……」
一番、身近にいることが多い側近が、そう訴えてきた。
ここしばらくのあいだ、倒れる回数が増えていることを気にしているのだろう。
確かに、だいぶ楽になったとは言え、無理をして疲労を重ねるのも良くないかもしれない。
「そうですね……少しばかり休ませていただきます。ですが、なにかあったときにはすぐに知らせに来てください。特に奥の部屋のこと、よろしくお願いします」
残ったものたちが出ていったのを確認してから、シャワーを使い、着替えを済ませて横になった。
普段は気を張っているせいかなかなか寝つけないのに、目を閉じた途端に意識が薄らいでいった。
突然、大きな物音と女官の悲鳴が響き、廊下をあわただしく走るいくつかの足音が聞こえ、意識が引き戻された。
時計を見ると、もう七時を回っている。
五時間も眠っていたことに驚いた。
忙しないノックと、側近の呼ぶ声がしてドアを開けた。
「なにごとですか?」
「マドルさま、あのかたが……目を覚まされたのですが……」
廊下の奥からガラスの割れる音が響いてきた。
刀は引きあげてきたけれど、武器になるものがなにもないわけではない。
暴れているらしい麻乃を止めようとしているのか、大声が聞こえる。
「周囲のものを退かせてください。あれでは、ますます興奮させてしまう」
「わかりました」
側近が奥へ向かったのを見送ってから、マドルは衣服を整えてロッドを手にし、あとを追った。
(目を覚ました……このタイミングで……あの物音からすると、もう相当に動けるのか。とすれば夕刻に使えるか……)
部屋の前までくると、女官が怯えた表情でドアの向こうをのぞき込んでいる。
頬が赤くなっている以外、その姿に変わったところはない。
「なにがあったのですか?」
「それが……あのかたが目を覚まされたので、食事の準備をしようと……ドアを開けたとき、庸儀の方々が中へ入ろうとしたので……」
「庸儀のかた?」
――ジェの側近か。
「はい。三名ほど……お止めしたのですが……聞き入れていただけず、無理やりに中へ……そうしたらあのかたが……」
女官の頬が赤いのは押し入ろうとしたのを止めたときに殴られたのだと言う。
ひどく怯えて見えたのはそのせいか。
物音は目を覚ました麻乃が暴れたからではなく、庸儀の兵とやり合ったからだ。
窓が割れ、冷たい風が吹き込んできている。
部屋の真ん中あたりで、こちらへ背を向けて立っている麻乃の足もとに、兵が二人、横たわっていた。
三人いると言ったのに、一人、足りないのは窓の外へ投げ出されたからだろうか?
側近に耳打ちをして外へ確認に行かせると、女官を脇にやり、マドルは開ききったドアをわざと強くノックした。
「ずいぶんと手荒なことをされたようですね?」
振り向きもしない麻乃の髪を、部屋を通り抜けた風が揺らした。
中へ入り、ぐるりと部屋を見回すと、置物や家具類が破損し、陶器やガラスの破片が床に散らばっている。
「特別、高価なものではありませんが、こうまでいろいろと破損させてしまうとは」
「そこの人がひどい目に遭わされたと言うのに、その心配より、品物の心配か?」
小声でつぶやいた麻乃の拳に、力がこもった。
「まさか……あのものを助けてくださってありがとうございます。庸儀の方々には、いささか手を焼いていましてね。助かりました。ところでその兵たちは……」
「死んじゃいない。こんなやつら、殺す価値もない」
振り返った麻乃の目は、マドルを通り越して女官を見つめている。
その瞳は髪と同じで濃く深く紅い。
「大きな怪我がなくて良かった。ここにいたせいで、そんな目に遭わせてしまって……ごめん、あたしのせいで……」
女官は、麻乃の言葉に小さく頭を振りながらも、怯えの色を見せたまま視線も合わせずにうつむいた。
ジェが出入りしているおかげで紅い髪には慣れてはいても紅い瞳には馴染みがないからか怯えているのが手に取るようにわかる。
麻乃のほうも恐れられていることを感じ取ったのか、一瞬、寂しげな表情を見せた。
「庸儀の方々を、軍部へ運び出してください」
マドルは近くにいた側近に指示をしてから、女官を振り返る。
「手を増やして構いませんので、急ぎ部屋の片づけをお願いします」
そう頼んだ。
「あの部屋に比べたら手狭ですが、片づけが済むまでのあいだですから」
相変わらず黙ったままで立ち尽くしている麻乃をうながし、とりあえずマドルの部屋へ案内した。
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