蓮華

釜瑪 秋摩

文字の大きさ
上 下
240 / 780
待ち受けるもの

第18話 追走 ~マドル 1~

しおりを挟む
 麻乃が一通の書類を持ち込んできたのは、訓練が終わった夜だった。
 人目を避けて部屋にこもっていたせいで、老婆のもとへは、ほかの老女の手を介して届いた。

「お休みのところを申し訳ありません。先ほど麻乃より書類をあずかりました」

「……そうか」

「なにやら返事を急いでいるようでしたので……明日の午前に受け取りに参るそうです」

「では急ぎ確認をして、間違いなく明日には渡せるよう処理をしておくとしよう」

 細く開いたドアの隙間から差し出された書類を受け取った。
 あまり長く他者と関わりを持ちたくなくて急いでドアを閉じようとしたけれど、老女の口から麻乃の名前が出て手を止めた。

「シタラさま、麻乃のことなのですが……」

「……麻乃がなにか?」

「今日、久しぶりに顔を見たのですが、なにやら思い詰めた様子だったのが少しばかり気になるのです」

「ほう……私が視たときには、なんの変わりもなかったようだが」

「そうですか……私が背に触れたときには、少々ですが、なにかに干渉されているような印象を受けました」

「干渉? 外部からなにかある、と?」

「いえ、そこまでは……」

 黒い瞳が、老婆の内側をのぞき込んでいるように見え、マドルは視線を外す。
 この老女の立場は老婆の次の位にあるらしい。

 麻乃たちが大陸へ渡ったあと、この老婆の体は棄ててしまうが、そのあとのことを考えるとまだ泉翔の中に繋ぎは残しておきたい。

「この島を出ない以上は、外からの働きかけが難しいことは承知しております。ですが、どうも気にかかって仕方がないのです。わずかばかり、内側に力を送っておきましたが……」

「恐らくは、それがために今はなんの問題も感じないのであろう。道場の師範も気にかけていたようだが、なんら案ずることはない。私には、おかしなものなど視えはしなかった」

 隙を見てこの老女へ繋ぎをつけられないか、会話を続けながら考えた。
 けれど、どうにも隙がない。
 巫女であるがゆえに、マドルの気配を薄らと感じ取っているのかもしれない。
 だとすれば長く接触するのは危険だ。

 具合が良くないからと途中で話しを切りあげ、老女を遠ざけた。
 深夜になってから人気のなくなった神殿の廊下へ出た。
 誰もが寝入った今なら、簡単に老女へ繋ぎをつけられるかもしれないと考えたからだ。

(仮に繋がったところで、この老婆のときのように抵抗されたら、そのあとに動かすことが面倒になる……)

 うっかり死なせてしまっては、長く放置はできない。
 それなりの日数、時間を作って動かし続けるのは負担だ。
 老女の部屋が見えてきたところで、前から歩いてくる若い巫女を見つけた。

「これは……シタラさま……」

 こちらの姿を見つけ、驚いた表情で頭をさげたその手をグッとつかみ取った。
 まだ若い巫女だったことは幸いだった。
 思った以上に容易よういにその中へと入り込める。

 この巫女の立場は老女の世話係りらしい。
 このタイミングでマドルに都合のいいものを手に入れられるとは、相当に運がいいと思える。

 二つ三つ、若い巫女へと指示を出して、老婆の部屋へと戻った。
 翌朝、急遽入った葬儀のために早い時間に神殿の巫女たちが動き始めた。

 本来ならば老婆は真っ先に動かなければならないのだけれど、体調が悪いことを理由に老女へすべてを任せ、人けのない神殿で麻乃を待った。

 今ならば、誰に見咎められることなく堂々と麻乃と向き合える。
 数十分して麻乃がやってきた。

 書類は西の詰所へ常勤するための申請書だった。
 持ち回りで各浜へ短期間で移動を繰り返されるより、麻乃が一つのところへとどまるのは、マドルにとっても都合がいい。
 なによりこの行動は、周囲のものたちと距離を取るためであるのもうかがえた。

「これについては良い卦が出た。私のほうからは良い返事が出せるであろう。軍のほうは良い顔をせぬかも知れん」

「承知の上です」

「ならば私のほうからも口添えしておこう」

「ありがとうございます」

 申請書が通りやすいように口添えすることを約束してやると、麻乃はホッとため息をつき、頭をさげた。
 書類を受け取ろうとした麻乃の手を取り、ジッと目を見据える。
 どうせほかのものから離れるつもりでいるのなら、これをきっかけに徹底させたい。

「できるだけ一人の時間を持つがいい。ほかの蓮華を信用するでない。一人きりにおなり」

 そう言ってやると、ふらりと体を揺らした麻乃は小さくうなずいた。
 軽い暗示はあっさりと通る。

「わかりました」

「くれぐれも蓮華たちの言葉に耳をかたむけるでないぞ」

 念を押すと麻乃はまた頭をさげ、マドルの言葉をブツブツと反芻しながら神殿を出ていった。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

【完結】仰る通り、貴方の子ではありません

ユユ
恋愛
辛い悪阻と難産を経て産まれたのは 私に似た待望の男児だった。 なのに認められず、 不貞の濡れ衣を着せられ、 追い出されてしまった。 実家からも勘当され 息子と2人で生きていくことにした。 * 作り話です * 暇つぶしにどうぞ * 4万文字未満 * 完結保証付き * 少し大人表現あり

主役の聖女は死にました

F.conoe
ファンタジー
聖女と一緒に召喚された私。私は聖女じゃないのに、聖女とされた。

【完結】失いかけた君にもう一度

暮田呉子
恋愛
偶然、振り払った手が婚約者の頬に当たってしまった。 叩くつもりはなかった。 しかし、謝ろうとした矢先、彼女は全てを捨てていなくなってしまった──。

夫達の裏切りに復讐心で一杯だった私は、死の間際に本当の願いを見つけ幸せになれました。

Nao*
恋愛
家庭を顧みず、外泊も増えた夫ダリス。 それを寂しく思う私だったが、庭師のサムとその息子のシャルに癒される日々を送って居た。 そして私達は、三人であるバラの苗を庭に植える。 しかしその後…夫と親友のエリザによって、私は酷い裏切りを受ける事に─。 命の危機が迫る中、私の心は二人への復讐心で一杯になるが…駆けつけたシャルとサムを前に、本当の願いを見つけて─? (1万字以上と少し長いので、短編集とは別にしてあります)

断る――――前にもそう言ったはずだ

鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」  結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。  周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。  けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。  他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。 (わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)  そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。  ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。  そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?

悪意のパーティー《完結》

アーエル
ファンタジー
私が目を覚ましたのは王城で行われたパーティーで毒を盛られてから1年になろうかという時期でした。 ある意味でダークな内容です ‪☆他社でも公開

いっとう愚かで、惨めで、哀れな末路を辿るはずだった令嬢の矜持

空月
ファンタジー
古くからの名家、貴き血を継ぐローゼンベルグ家――その末子、一人娘として生まれたカトレア・ローゼンベルグは、幼い頃からの婚約者に婚約破棄され、遠方の別荘へと療養の名目で送られた。 その道中に惨めに死ぬはずだった未来を、突然現れた『バグ』によって回避して、ただの『カトレア』として生きていく話。 ※悪役令嬢で婚約破棄物ですが、ざまぁもスッキリもありません。 ※以前投稿していた「いっとう愚かで惨めで哀れだった令嬢の果て」改稿版です。文章量が1.5倍くらいに増えています。

処理中です...