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島国の戦士
第221話 苦渋 ~市原 2~
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高田が道場に戻ったのはその日の深夜で、今度は尾形だけが一緒だった。
塚本が詰所から麻乃の隊員だけを全員呼び出し、道場へ集まった。
古株の隊員たちには既に詳細が伝えられていたけれど、新たに加わった隊員たちは今夜初めて麻乃の事情を聞かされた。
中には古い文献を隅々まで読んでいるものもいて、鬼神の存在があったことは認識していても、それが麻乃に通じるとはにわかに信じられないようだ。
それでも、麻乃の一番不安定なときをともに過ごしたせいか感じるものはあるらしい。
「本来なら藤川になにかあったときには、安部がおもてに立って対応することになっていたようだが、まだどちらが先に戻るのかがわからない。順当に行けば、日数の短い藤川が先に戻ることになるだろう」
尾形は一言一言を選びながら、その場にいる全員を順番に見つめ、ゆっくりと話した。
「なにもなければそれで済む。ただ……そうでない場合、藤川が先に戻ったときには高田が対応する」
「我々……私も、もちろんほかの元蓮華たちも全力で手は貸す所存だ。ただ、我々はおまえたちとは違って現役を退いて長い。できるかぎりは取り戻すが立ちゆかないことも多いだろう」
尾形の目がこちらを向いた。
市原も塚本も退いてから長い。
とはいえ、元蓮華たちよりは幾分か若い。
恐らくは、市原たちにもしっかりと勘を取り戻すようにと言いたいのだろう。
塚本とともに黙ってうなずいた。
「藤川を引き戻すことは不可能ではないが、可能とも言い切れないし容易ではない。そこは恐らく安部次第だろう」
「万が一のときには最悪の結果も起こり得るということを、おまえたちは知っておかなければならない」
「それは……俺たち自身の手で、ということもあり得る、そう考えていいのでしょうか?」
小坂は腹を決めたのか落ち着いた様子のままで尾形に問いかけた。
並んで座った後ろのほうで、かすかにすすり泣きが聞こえてくる。
そっと振り返ると隊の女の子が泣き出したようだ。
確か演習の前に麻乃に見せられた資料で、十八の女の子がいた。
戦士として二年目、まだ経験も浅いうえに幼いといっても過言ではないだろう。
それが突然こんなことになれば動揺して泣きたくなるのもわからないではない。
ただ……今はそんな場合でもない。
「泣くな! 里子!」
杉山の叱責が響き、新人たちがハッとして背筋を正した。
「泣きたいのはみんな同じだ。泣いてどうにかなるなら俺だって泣く。けどな、今はそんな場合じゃない。ここで消沈するやつは足手まといだ。気をしっかり持って聞いていられないやつらは今すぐ帰れ!」
振り返りもせず、自分の手もとを見つめたままで杉山は怒鳴った。
里子と呼ばれた女の子は袖口で目もとを拭い、かすかに肩を揺らしながらも、必死に呼吸を整えて前を向いた。
ほかにも何人かの若い隊員が気落ちして沈んでいたのが、今の一言でなにかをふっきったように顔を上げている。
道場の中に、ピンと張り詰めた空気が流れたのを感じる。
ずっと目を閉じたまま尾形の話しを聞いていた高田が組んだ腕を膝に置き、背筋を正した。
「正直に言うと、私自身が対峙しても無事で済むかは疑問だ。おまえたち、現役が総出でかかっても敵わないだろう。それは自分たちでもわかっているな?」
問いかけに隊員たちは小さく返事をした。
普段でも敵わないものが、能力のあがった相手をどうにかできるものではない。
「そのときには、おまえたちは足止めに徹してもらいたい。くれぐれも余計な手出しや深追いをしないよう、必ず足止めだけにとどめるのだ」
「一対一では対峙せず、危険を感じたらすぐに退く、まずは己の身の安全を第一に考える。それだけを肝に銘じておいてもらいたい」
「それだけですか? 俺たちにできることは、本当にそれだけなんですか?」
危なくなったら退け、自分の安全を第一に考えろ、そう言われたことに納得のいかない様子で小坂はつぶやいた。
高田は一呼吸置いて思い詰めた表情の隊員たちを眺めた。
フッとため息をつきながらも、その目はいつも以上に暖かく感じ、優しげに見える。
「麻乃を引き戻せたときに、おまえたちの誰かが欠けていたりでもしたら……それが自分の手で成したことだと知ったら、あれは終わりだ」
「おまえたちが自身の身を守ることが、そのまま藤川を守ることにも繋がるのだよ。だから決して今言ったことは忘れないようにな」
小坂がグッと言葉を詰まらせてうなだれた。
静まり返った道場の中に、柱時計の時を刻む音が響き、それがやけに耳に衝いて離れなかった。
数日後に起こるだろうなにかに、一人一人がどんな想像をしていようが、否応なく明日はやってくる。
なにが起ころうがただ、全力を尽くすしかないのだから。
塚本が詰所から麻乃の隊員だけを全員呼び出し、道場へ集まった。
古株の隊員たちには既に詳細が伝えられていたけれど、新たに加わった隊員たちは今夜初めて麻乃の事情を聞かされた。
中には古い文献を隅々まで読んでいるものもいて、鬼神の存在があったことは認識していても、それが麻乃に通じるとはにわかに信じられないようだ。
それでも、麻乃の一番不安定なときをともに過ごしたせいか感じるものはあるらしい。
「本来なら藤川になにかあったときには、安部がおもてに立って対応することになっていたようだが、まだどちらが先に戻るのかがわからない。順当に行けば、日数の短い藤川が先に戻ることになるだろう」
尾形は一言一言を選びながら、その場にいる全員を順番に見つめ、ゆっくりと話した。
「なにもなければそれで済む。ただ……そうでない場合、藤川が先に戻ったときには高田が対応する」
「我々……私も、もちろんほかの元蓮華たちも全力で手は貸す所存だ。ただ、我々はおまえたちとは違って現役を退いて長い。できるかぎりは取り戻すが立ちゆかないことも多いだろう」
尾形の目がこちらを向いた。
市原も塚本も退いてから長い。
とはいえ、元蓮華たちよりは幾分か若い。
恐らくは、市原たちにもしっかりと勘を取り戻すようにと言いたいのだろう。
塚本とともに黙ってうなずいた。
「藤川を引き戻すことは不可能ではないが、可能とも言い切れないし容易ではない。そこは恐らく安部次第だろう」
「万が一のときには最悪の結果も起こり得るということを、おまえたちは知っておかなければならない」
「それは……俺たち自身の手で、ということもあり得る、そう考えていいのでしょうか?」
小坂は腹を決めたのか落ち着いた様子のままで尾形に問いかけた。
並んで座った後ろのほうで、かすかにすすり泣きが聞こえてくる。
そっと振り返ると隊の女の子が泣き出したようだ。
確か演習の前に麻乃に見せられた資料で、十八の女の子がいた。
戦士として二年目、まだ経験も浅いうえに幼いといっても過言ではないだろう。
それが突然こんなことになれば動揺して泣きたくなるのもわからないではない。
ただ……今はそんな場合でもない。
「泣くな! 里子!」
杉山の叱責が響き、新人たちがハッとして背筋を正した。
「泣きたいのはみんな同じだ。泣いてどうにかなるなら俺だって泣く。けどな、今はそんな場合じゃない。ここで消沈するやつは足手まといだ。気をしっかり持って聞いていられないやつらは今すぐ帰れ!」
振り返りもせず、自分の手もとを見つめたままで杉山は怒鳴った。
里子と呼ばれた女の子は袖口で目もとを拭い、かすかに肩を揺らしながらも、必死に呼吸を整えて前を向いた。
ほかにも何人かの若い隊員が気落ちして沈んでいたのが、今の一言でなにかをふっきったように顔を上げている。
道場の中に、ピンと張り詰めた空気が流れたのを感じる。
ずっと目を閉じたまま尾形の話しを聞いていた高田が組んだ腕を膝に置き、背筋を正した。
「正直に言うと、私自身が対峙しても無事で済むかは疑問だ。おまえたち、現役が総出でかかっても敵わないだろう。それは自分たちでもわかっているな?」
問いかけに隊員たちは小さく返事をした。
普段でも敵わないものが、能力のあがった相手をどうにかできるものではない。
「そのときには、おまえたちは足止めに徹してもらいたい。くれぐれも余計な手出しや深追いをしないよう、必ず足止めだけにとどめるのだ」
「一対一では対峙せず、危険を感じたらすぐに退く、まずは己の身の安全を第一に考える。それだけを肝に銘じておいてもらいたい」
「それだけですか? 俺たちにできることは、本当にそれだけなんですか?」
危なくなったら退け、自分の安全を第一に考えろ、そう言われたことに納得のいかない様子で小坂はつぶやいた。
高田は一呼吸置いて思い詰めた表情の隊員たちを眺めた。
フッとため息をつきながらも、その目はいつも以上に暖かく感じ、優しげに見える。
「麻乃を引き戻せたときに、おまえたちの誰かが欠けていたりでもしたら……それが自分の手で成したことだと知ったら、あれは終わりだ」
「おまえたちが自身の身を守ることが、そのまま藤川を守ることにも繋がるのだよ。だから決して今言ったことは忘れないようにな」
小坂がグッと言葉を詰まらせてうなだれた。
静まり返った道場の中に、柱時計の時を刻む音が響き、それがやけに耳に衝いて離れなかった。
数日後に起こるだろうなにかに、一人一人がどんな想像をしていようが、否応なく明日はやってくる。
なにが起ころうがただ、全力を尽くすしかないのだから。
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