152 / 780
島国の戦士
第152話 修復 ~麻乃 11~
しおりを挟む
「おまえ……こんな時間にそういう話しをするか?」
「大丈夫ですよ、別になにも見てませんから。ただ、あの演習で怪我をしたとき……」
「ちょっと待て!」
麻乃の言葉をさえぎって、市原はそのまま稽古場を出ていき、十分ほどしてから戻ってきた。
そしてそのまま、稽古場のすべての窓を閉めて鍵をかけると、布団の上にどっかりと腰をおろした。
「よし! いいぞ、なんでも言え。戸締りも火の確認も全部済ませてきた。朝までここから出ないからな」
市原の膝頭が揺れているのが目に入り、麻乃はクッと吹き出したあと、思いっきり笑ってしまった。
そういえば、この手の話しは怖いと言っていたっけ。
「先生。アレには鍵や壁なんて意味をなさないじゃないですか。そんなにキッチリ締めきったら、なにか出たときに、逆に逃げられなくなりますよ」
麻乃がそう言うと、市原は黙ったまま、廊下への出入口の鍵を開けに行った。
笑い過ぎて涙がにじんだ目をこすりながら、フーッと息をはいて呼吸を整える。
「実は、あの演習で怪我をしたとき、誰かの声を聞いたんです」
「立てないほどの怪我が治ったっていうあれか?」
市原の問いかけに黙ってうなずいた。
「そいつは人を嘲笑うような口調で、治してやろうか、そんな傷も治せないなんて不自由だ、っ言ってきて」
「おまえが怪我していたのを知ってたのか……?」
「ええ。それで、こんな傷が簡単に治るわけがないって反論したら、不意に目眩がして、そのまま寝てしまったのか、気づいたら朝になっていました」
腕を組んで目を閉じたまま、考え込んでいる市原を上目遣いに見ると、一呼吸置いて、麻乃は自分の膝に視線を落とした。
「目が覚めて、変に体が楽になっていると思ったら、傷口が全部、ふさがってたんです」
「その声の主がなにかしたと思うのか?」
「わかりません。なんの証拠もないですし、姿も見てない……こんなこと、自分でも理解できないのに他人にわかってもらえるわけがないって思ったから、誰にも言えませんでした」
低い唸り声を上げ、市原は何度か手のひらで顔をなでた。
「まぁ、そりゃあ言えないだろうな、そんな話し……」
「それに、あのときは、どうやって傷が治ったかっていうことよりも、治った事実のほうが大事に思えて、深く考えないようにしていたんです」
今になって考えてみればおかしいということが良くわかる。
そんなことはどうでもいいなどと、どうして思えたのか。
「思い返すとあの少し前から、なにかを忘れているような気がしたり、なにをしていたのか思いだせない時間があったりするんですよね」
「それは今も続いているのか?」
「はい。それに、おかしなことばかりで落ち着かなくてイライラするし、人の思いがわずらわしくて……」
「柳堀のあと、ここへ来たおまえはひどく刺々しかったからな。どこの悪党が来たかと思ったぞ」
荒い言葉とは裏腹に、市原の目は優しげに麻乃を見ている。
修治や高田、塚本もそうだ。
もちろんほかのみんなも……こうやっていつも見守ってくれていることを知っていたのに。
問われるのがうとましくて急かされるようにみんなを遠ざけていたけれど、高田のいうように、なにもかも手放してどうするつもりだったんだろう。
「おまえには黙っていたんだが……」
いつもは言い澱むことの少ない市原が、少しうつむき加減で言葉を濁している。
なにを聞かされるのかと思い、麻乃は身構えた。
「婆さまに頼んで、遠目からおまえの様子を視てもらったんだよ」
婆さまと聞いた途端にギクリとした。
ひどく緊張したときのように、鼓動が速くなり手に汗がにじむ。
「おまえ、誰かに見られている気がするとか、怪我をする直前に誰かの声を聞いたとか言ったろう?」
「いつの間にそんなことを……」
「婆さまに言わせると、なにも心配することはないそうだ。けどなぁ、塚本はああいうやつだからすっかり安心しきっているが、俺はどうも気になるんだよ。だからおまえ、なにかおかしなことがあったときは俺にも教えろ、な?」
真面目に考えようと、頭を働かせているところに割って入るように言葉を浴びせてくる。
そんな市原に半ば閉口しながらも笑いが込みあげた。
「別に構いませんけど……そのかわり聞いた以上は、最後まで責任を持って聞いてもらいますよ」
「そのつもりがなけりゃ、そんな話しを聞きたいわけがないだろう? 聞いてなにかしてやれるのか、それはわからんが、一緒に考えてやるくらいはできる。一人で考えるよりはなにかいい案も浮かぶかもしれないしな。さ、ボチボチ寝るとするか」
パコンと平手で頭をたたかれた。
不思議と怒りは湧いてこない。
返事をして布団に潜り込むと、なにを考える間もなく、麻乃は眠りに落ちていった。
「大丈夫ですよ、別になにも見てませんから。ただ、あの演習で怪我をしたとき……」
「ちょっと待て!」
麻乃の言葉をさえぎって、市原はそのまま稽古場を出ていき、十分ほどしてから戻ってきた。
そしてそのまま、稽古場のすべての窓を閉めて鍵をかけると、布団の上にどっかりと腰をおろした。
「よし! いいぞ、なんでも言え。戸締りも火の確認も全部済ませてきた。朝までここから出ないからな」
市原の膝頭が揺れているのが目に入り、麻乃はクッと吹き出したあと、思いっきり笑ってしまった。
そういえば、この手の話しは怖いと言っていたっけ。
「先生。アレには鍵や壁なんて意味をなさないじゃないですか。そんなにキッチリ締めきったら、なにか出たときに、逆に逃げられなくなりますよ」
麻乃がそう言うと、市原は黙ったまま、廊下への出入口の鍵を開けに行った。
笑い過ぎて涙がにじんだ目をこすりながら、フーッと息をはいて呼吸を整える。
「実は、あの演習で怪我をしたとき、誰かの声を聞いたんです」
「立てないほどの怪我が治ったっていうあれか?」
市原の問いかけに黙ってうなずいた。
「そいつは人を嘲笑うような口調で、治してやろうか、そんな傷も治せないなんて不自由だ、っ言ってきて」
「おまえが怪我していたのを知ってたのか……?」
「ええ。それで、こんな傷が簡単に治るわけがないって反論したら、不意に目眩がして、そのまま寝てしまったのか、気づいたら朝になっていました」
腕を組んで目を閉じたまま、考え込んでいる市原を上目遣いに見ると、一呼吸置いて、麻乃は自分の膝に視線を落とした。
「目が覚めて、変に体が楽になっていると思ったら、傷口が全部、ふさがってたんです」
「その声の主がなにかしたと思うのか?」
「わかりません。なんの証拠もないですし、姿も見てない……こんなこと、自分でも理解できないのに他人にわかってもらえるわけがないって思ったから、誰にも言えませんでした」
低い唸り声を上げ、市原は何度か手のひらで顔をなでた。
「まぁ、そりゃあ言えないだろうな、そんな話し……」
「それに、あのときは、どうやって傷が治ったかっていうことよりも、治った事実のほうが大事に思えて、深く考えないようにしていたんです」
今になって考えてみればおかしいということが良くわかる。
そんなことはどうでもいいなどと、どうして思えたのか。
「思い返すとあの少し前から、なにかを忘れているような気がしたり、なにをしていたのか思いだせない時間があったりするんですよね」
「それは今も続いているのか?」
「はい。それに、おかしなことばかりで落ち着かなくてイライラするし、人の思いがわずらわしくて……」
「柳堀のあと、ここへ来たおまえはひどく刺々しかったからな。どこの悪党が来たかと思ったぞ」
荒い言葉とは裏腹に、市原の目は優しげに麻乃を見ている。
修治や高田、塚本もそうだ。
もちろんほかのみんなも……こうやっていつも見守ってくれていることを知っていたのに。
問われるのがうとましくて急かされるようにみんなを遠ざけていたけれど、高田のいうように、なにもかも手放してどうするつもりだったんだろう。
「おまえには黙っていたんだが……」
いつもは言い澱むことの少ない市原が、少しうつむき加減で言葉を濁している。
なにを聞かされるのかと思い、麻乃は身構えた。
「婆さまに頼んで、遠目からおまえの様子を視てもらったんだよ」
婆さまと聞いた途端にギクリとした。
ひどく緊張したときのように、鼓動が速くなり手に汗がにじむ。
「おまえ、誰かに見られている気がするとか、怪我をする直前に誰かの声を聞いたとか言ったろう?」
「いつの間にそんなことを……」
「婆さまに言わせると、なにも心配することはないそうだ。けどなぁ、塚本はああいうやつだからすっかり安心しきっているが、俺はどうも気になるんだよ。だからおまえ、なにかおかしなことがあったときは俺にも教えろ、な?」
真面目に考えようと、頭を働かせているところに割って入るように言葉を浴びせてくる。
そんな市原に半ば閉口しながらも笑いが込みあげた。
「別に構いませんけど……そのかわり聞いた以上は、最後まで責任を持って聞いてもらいますよ」
「そのつもりがなけりゃ、そんな話しを聞きたいわけがないだろう? 聞いてなにかしてやれるのか、それはわからんが、一緒に考えてやるくらいはできる。一人で考えるよりはなにかいい案も浮かぶかもしれないしな。さ、ボチボチ寝るとするか」
パコンと平手で頭をたたかれた。
不思議と怒りは湧いてこない。
返事をして布団に潜り込むと、なにを考える間もなく、麻乃は眠りに落ちていった。
0
お気に入りに追加
10
あなたにおすすめの小説
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
【完結】仰る通り、貴方の子ではありません
ユユ
恋愛
辛い悪阻と難産を経て産まれたのは
私に似た待望の男児だった。
なのに認められず、
不貞の濡れ衣を着せられ、
追い出されてしまった。
実家からも勘当され
息子と2人で生きていくことにした。
* 作り話です
* 暇つぶしにどうぞ
* 4万文字未満
* 完結保証付き
* 少し大人表現あり
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
断る――――前にもそう言ったはずだ
鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」
結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。
周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。
けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。
他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。
(わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)
そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。
ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。
そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
夫達の裏切りに復讐心で一杯だった私は、死の間際に本当の願いを見つけ幸せになれました。
Nao*
恋愛
家庭を顧みず、外泊も増えた夫ダリス。
それを寂しく思う私だったが、庭師のサムとその息子のシャルに癒される日々を送って居た。
そして私達は、三人であるバラの苗を庭に植える。
しかしその後…夫と親友のエリザによって、私は酷い裏切りを受ける事に─。
命の危機が迫る中、私の心は二人への復讐心で一杯になるが…駆けつけたシャルとサムを前に、本当の願いを見つけて─?
(1万字以上と少し長いので、短編集とは別にしてあります)
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/fantasy.png?id=6ceb1e9b892a4a252212)
いっとう愚かで、惨めで、哀れな末路を辿るはずだった令嬢の矜持
空月
ファンタジー
古くからの名家、貴き血を継ぐローゼンベルグ家――その末子、一人娘として生まれたカトレア・ローゼンベルグは、幼い頃からの婚約者に婚約破棄され、遠方の別荘へと療養の名目で送られた。
その道中に惨めに死ぬはずだった未来を、突然現れた『バグ』によって回避して、ただの『カトレア』として生きていく話。
※悪役令嬢で婚約破棄物ですが、ざまぁもスッキリもありません。
※以前投稿していた「いっとう愚かで惨めで哀れだった令嬢の果て」改稿版です。文章量が1.5倍くらいに増えています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる