87 / 780
島国の戦士
第87話 物憂い ~麻乃 5~
しおりを挟む
子どものころから大好きだった。大きくなったら修治のお嫁さんになる。ずっとそう思っていた。修治の背中に手を回しながら、麻乃はそのことを思い出していた。
この日、初めて二人きりの夜を過ごした。
麻乃が蓮華の七番部隊隊長として稼働を始めて数ヵ月後、八番部隊の蓮華が病で亡くなった。それからさらに数カ月後には、五番部隊の蓮華が戦争で片足を失い、引退することになった。
このころには、麻乃はもう落ち着きを取り戻し、持ち前の腕で十分な戦績をあげ、古参の部隊にも引けを取らないほどに動いていた。
それでも頼ってきた古株の蓮華が二人もいなくなると、不安を覚える。一番下でいることができたぶん、ほんの少しだけ甘えていられたのが、今度は麻乃の下に二人も新しい蓮華が増えてしまう。頼られるほどの自信が、麻乃にはまだなかった。
翌年の洗礼で蓮華の印を受けたのは、鴇汰と穂高だった。
二人と面識がある麻乃は少しホッとした。最後の地区別演習でやり合った相手だったけれど、知らないよりは知った顔のほうがいい。
歳が一才違いで近かったからか、すぐに打ち解けられたつもりでいたのに、あるときから急に鴇汰が麻乃にきつく当たるようになってきた。顔を合わせれば、鴇汰は必ずと言っていいほど噛みついてくる。修治もどうやら馬が合わないらしくやり合っているところを何度も見た。
しばらくすると今度は、持ち回りでどこの詰所に行っても繁華街の妓楼で鴇汰の名前を聞くようになり、麻乃はひどく嫌悪感を覚えた。
修治も時々、つき合いがどうと言っては妓楼へ出入りしていた。なぜかそれは許せても、鴇汰の名前を聞くたびに、言いようのない嫌な感情が麻乃の中で湧き立った。
鴇汰とだけうまくいかないまま、半年が過ぎたころ、鴇汰の部隊と南詰所の持ち回りで一緒になった。
隊員たちと南区の繁華街である銀杏坂へ夕飯を食べに行った帰り道、南浜に続く林の木陰にとても奇麗な女性を見かけた。一緒にいたのは鴇汰だ。
人目を避けるようにして、浜のほうへ歩いていく姿を遠目で見送りながら、なぜだか胸が締めつけられた。
(鴇汰が夜遅くに人けのない場所で、意味ありげな雰囲気で女性と一緒にいた)
という事実に、息が苦しくなるほど胸が痛んだ。修治がほかの誰かと一緒にいるところを見ても、こんなふうに胸が痛むようなことはなかったのに。
最初はどうしてそんな気持ちになるのか、麻乃にはまったくわらなかった。
それが、ふとした瞬間、無意識に鴇汰の姿を目で追ってること、言い合うたびに苛立ちよりもひどく悲しくなること、鴇汰が笑っているときは幸せな気持ちになることに気づいた。どんな感情が生じても湧いてくる苦しい胸の痛みにも。
そのとき初めて、本当に心から誰かを好きになるという感情を知った。修治に対する思いとは明らかに違うなにかが、そこにはあった。
「ねぇ、修治。あたし修治のこと、大好きだよ。でも……好きの意味が違う気がするんだ。あたしこれまで、本当に人を好きになる気持ちを知らなかったんだと思う」
宿舎に戻ったときに麻乃は修治の部屋を訪れ、思いきって自分の中の感情を告げた。
「おまえが言いだすのが先か、俺がいうのが先か、って思ってはいたんだ。近すぎて気づかなかったな、俺たち……」
初めてお互いを異性として意識してから、二年近くも一緒に過ごして、体を重ねたのは簡単に数えられるほどだった。重ねるたびに違和感を覚え、意識して避けていた気がする。
お互いがお互いを好きと思う気持ちは本当だし、抱き締められれば安心する。修治にはなんのためらいもなく寄り添える。そばにいるだけで落ち着くことも、すぐそこにお互いの姿があることも当たり前のように思うのに――。
ただ、それは恋人としての愛情ではなく、兄妹として、家族としての愛情だったと、今ごろになって麻乃も修治も気づいてしまった。
それに加えて、ある夜、修治の脇腹に残る刀傷に触れたとき、両親を亡くした日に麻乃が修治になにをしたのかをも思い出してしまった。
(修治を傷つけたのはあたしだった――)
覚醒するときに、麻乃はまた誰かを傷つけてしまうかもしれない。今度は傷つけるだけでなく殺めてしまうかもしれないという恐怖。それが心の奥底にこびりついて、どうしても拭い去れなかった。
高田に覚醒についていろいろと説明をされても、素直に受け入れることができずにいたのもそのせいだ。何度か覚醒しそうになるたびに、麻乃はそれを無理に抑え込んだ。
過去の記憶と、鴇汰への思いだけは、修治にさえも話すことができなかった。生まれて初めて、修治に隠しごとができた。
この日、初めて二人きりの夜を過ごした。
麻乃が蓮華の七番部隊隊長として稼働を始めて数ヵ月後、八番部隊の蓮華が病で亡くなった。それからさらに数カ月後には、五番部隊の蓮華が戦争で片足を失い、引退することになった。
このころには、麻乃はもう落ち着きを取り戻し、持ち前の腕で十分な戦績をあげ、古参の部隊にも引けを取らないほどに動いていた。
それでも頼ってきた古株の蓮華が二人もいなくなると、不安を覚える。一番下でいることができたぶん、ほんの少しだけ甘えていられたのが、今度は麻乃の下に二人も新しい蓮華が増えてしまう。頼られるほどの自信が、麻乃にはまだなかった。
翌年の洗礼で蓮華の印を受けたのは、鴇汰と穂高だった。
二人と面識がある麻乃は少しホッとした。最後の地区別演習でやり合った相手だったけれど、知らないよりは知った顔のほうがいい。
歳が一才違いで近かったからか、すぐに打ち解けられたつもりでいたのに、あるときから急に鴇汰が麻乃にきつく当たるようになってきた。顔を合わせれば、鴇汰は必ずと言っていいほど噛みついてくる。修治もどうやら馬が合わないらしくやり合っているところを何度も見た。
しばらくすると今度は、持ち回りでどこの詰所に行っても繁華街の妓楼で鴇汰の名前を聞くようになり、麻乃はひどく嫌悪感を覚えた。
修治も時々、つき合いがどうと言っては妓楼へ出入りしていた。なぜかそれは許せても、鴇汰の名前を聞くたびに、言いようのない嫌な感情が麻乃の中で湧き立った。
鴇汰とだけうまくいかないまま、半年が過ぎたころ、鴇汰の部隊と南詰所の持ち回りで一緒になった。
隊員たちと南区の繁華街である銀杏坂へ夕飯を食べに行った帰り道、南浜に続く林の木陰にとても奇麗な女性を見かけた。一緒にいたのは鴇汰だ。
人目を避けるようにして、浜のほうへ歩いていく姿を遠目で見送りながら、なぜだか胸が締めつけられた。
(鴇汰が夜遅くに人けのない場所で、意味ありげな雰囲気で女性と一緒にいた)
という事実に、息が苦しくなるほど胸が痛んだ。修治がほかの誰かと一緒にいるところを見ても、こんなふうに胸が痛むようなことはなかったのに。
最初はどうしてそんな気持ちになるのか、麻乃にはまったくわらなかった。
それが、ふとした瞬間、無意識に鴇汰の姿を目で追ってること、言い合うたびに苛立ちよりもひどく悲しくなること、鴇汰が笑っているときは幸せな気持ちになることに気づいた。どんな感情が生じても湧いてくる苦しい胸の痛みにも。
そのとき初めて、本当に心から誰かを好きになるという感情を知った。修治に対する思いとは明らかに違うなにかが、そこにはあった。
「ねぇ、修治。あたし修治のこと、大好きだよ。でも……好きの意味が違う気がするんだ。あたしこれまで、本当に人を好きになる気持ちを知らなかったんだと思う」
宿舎に戻ったときに麻乃は修治の部屋を訪れ、思いきって自分の中の感情を告げた。
「おまえが言いだすのが先か、俺がいうのが先か、って思ってはいたんだ。近すぎて気づかなかったな、俺たち……」
初めてお互いを異性として意識してから、二年近くも一緒に過ごして、体を重ねたのは簡単に数えられるほどだった。重ねるたびに違和感を覚え、意識して避けていた気がする。
お互いがお互いを好きと思う気持ちは本当だし、抱き締められれば安心する。修治にはなんのためらいもなく寄り添える。そばにいるだけで落ち着くことも、すぐそこにお互いの姿があることも当たり前のように思うのに――。
ただ、それは恋人としての愛情ではなく、兄妹として、家族としての愛情だったと、今ごろになって麻乃も修治も気づいてしまった。
それに加えて、ある夜、修治の脇腹に残る刀傷に触れたとき、両親を亡くした日に麻乃が修治になにをしたのかをも思い出してしまった。
(修治を傷つけたのはあたしだった――)
覚醒するときに、麻乃はまた誰かを傷つけてしまうかもしれない。今度は傷つけるだけでなく殺めてしまうかもしれないという恐怖。それが心の奥底にこびりついて、どうしても拭い去れなかった。
高田に覚醒についていろいろと説明をされても、素直に受け入れることができずにいたのもそのせいだ。何度か覚醒しそうになるたびに、麻乃はそれを無理に抑え込んだ。
過去の記憶と、鴇汰への思いだけは、修治にさえも話すことができなかった。生まれて初めて、修治に隠しごとができた。
0
お気に入りに追加
9
あなたにおすすめの小説
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
月の後宮~孤高の皇帝の寵姫~
真木
恋愛
新皇帝セルヴィウスが即位の日に閨に引きずり込んだのは、まだ十三歳の皇妹セシルだった。大好きだった兄皇帝の突然の行為に混乱し、心を閉ざすセシル。それから十年後、セシルの心が見えないまま、セルヴィウスはある決断をすることになるのだが……。
【完結】私だけが知らない
綾雅(要らない悪役令嬢1/7発売)
ファンタジー
目が覚めたら何も覚えていなかった。父と兄を名乗る二人は泣きながら謝る。痩せ細った体、痣が残る肌、誰もが過保護に私を気遣う。けれど、誰もが何が起きたのかを語らなかった。
優しい家族、ぬるま湯のような生活、穏やかに過ぎていく日常……その陰で、人々は己の犯した罪を隠しつつ微笑む。私を守るため、そう言いながら真実から遠ざけた。
やがて、すべてを知った私は――ひとつの決断をする。
記憶喪失から始まる物語。冤罪で殺されかけた私は蘇り、陥れようとした者は断罪される。優しい嘘に隠された真実が徐々に明らかになっていく。
【同時掲載】 小説家になろう、アルファポリス、カクヨム、エブリスタ
2023/12/20……小説家になろう 日間、ファンタジー 27位
2023/12/19……番外編完結
2023/12/11……本編完結(番外編、12/12)
2023/08/27……エブリスタ ファンタジートレンド 1位
2023/08/26……カテゴリー変更「恋愛」⇒「ファンタジー」
2023/08/25……アルファポリス HOT女性向け 13位
2023/08/22……小説家になろう 異世界恋愛、日間 22位
2023/08/21……カクヨム 恋愛週間 17位
2023/08/16……カクヨム 恋愛日間 12位
2023/08/14……連載開始
【取り下げ予定】愛されない妃ですので。
ごろごろみかん。
恋愛
王妃になんて、望んでなったわけではない。
国王夫妻のリュシアンとミレーゼの関係は冷えきっていた。
「僕はきみを愛していない」
はっきりそう告げた彼は、ミレーゼ以外の女性を抱き、愛を囁いた。
『お飾り王妃』の名を戴くミレーゼだが、ある日彼女は側妃たちの諍いに巻き込まれ、命を落としてしまう。
(ああ、私の人生ってなんだったんだろう──?)
そう思って人生に終止符を打ったミレーゼだったが、気がつくと結婚前に戻っていた。
しかも、別の人間になっている?
なぜか見知らぬ伯爵令嬢になってしまったミレーゼだが、彼女は決意する。新たな人生、今度はリュシアンに関わることなく、平凡で優しい幸せを掴もう、と。
*年齢制限を18→15に変更しました。
【12/29にて公開終了】愛するつもりなぞないんでしょうから
真朱
恋愛
この国の姫は公爵令息と婚約していたが、隣国との和睦のため、一転して隣国の王子の許へ嫁ぐことになった。余計ないざこざを防ぐべく、姫の元婚約者の公爵令息は王命でさくっと婚姻させられることになり、その相手として白羽の矢が立ったのは辺境伯家の二女・ディアナだった。「可憐な姫の後が、脳筋な辺境伯んとこの娘って、公爵令息かわいそうに…。これはあれでしょ?『お前を愛するつもりはない!』ってやつでしょ?」
期待も遠慮も捨ててる新妻ディアナと、好青年の仮面をひっ剥がされていく旦那様ラキルスの、『明日はどっちだ』な夫婦のお話。
※なんちゃって異世界です。なんでもあり、ご都合主義をご容赦ください。
※新婚夫婦のお話ですが色っぽさゼロです。Rは物騒な方です。
※ざまあのお話ではありません。軽い読み物とご理解いただけると幸いです。
※コミカライズにより12/29にて公開を終了させていただきます。
貧民街の元娼婦に育てられた孤児は前世の記憶が蘇り底辺から成り上がり世界の救世主になる。
黒ハット
ファンタジー
【完結しました】捨て子だった主人公は、元貴族の側室で騙せれて娼婦だった女性に拾われて最下層階級の貧民街で育てられるが、13歳の時に崖から川に突き落とされて意識が無くなり。気が付くと前世の日本で物理学の研究生だった記憶が蘇り、周りの人たちの善意で底辺から抜け出し成り上がって世界の救世主と呼ばれる様になる。
この作品は小説書き始めた初期の作品で内容と書き方をリメイクして再投稿を始めました。感想、応援よろしくお願いいたします。
旦那様は大変忙しいお方なのです
あねもね
恋愛
レオナルド・サルヴェール侯爵と政略結婚することになった私、リゼット・クレージュ。
しかし、その当人が結婚式に現れません。
侍従長が言うことには「旦那様は大変忙しいお方なのです」
呆気にとられたものの、こらえつつ、いざ侯爵家で生活することになっても、お目にかかれない。
相変わらず侍従長のお言葉は「旦那様は大変忙しいお方なのです」のみ。
我慢の限界が――来ました。
そちらがその気ならこちらにも考えがあります。
さあ。腕が鳴りますよ!
※視点がころころ変わります。
※※2021年10月1日、HOTランキング1位となりました。お読みいただいている皆様方、誠にありがとうございます。
骸骨と呼ばれ、生贄になった王妃のカタの付け方
ウサギテイマーTK
恋愛
骸骨娘と揶揄され、家で酷い扱いを受けていたマリーヌは、国王の正妃として嫁いだ。だが結婚後、国王に愛されることなく、ここでも幽閉に近い扱いを受ける。側妃はマリーヌの義姉で、公式行事も側妃が請け負っている。マリーヌに与えられた最後の役割は、海の神への生贄だった。
注意:地震や津波の描写があります。ご注意を。やや残酷な描写もあります。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる