蓮華

釜瑪 秋摩

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島国の戦士

第83話 物憂い ~麻乃 3~

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 水筒の口を閉め、体をよじって机に置いた隙に麻乃は頬を拭った。

「とにかく、もうそのことについては、なにも話すことはないよ。これ以上、なにか言うつもりなら、あたしはもう穂高とは口を聞かない」

「わったよ……麻乃がそうまで言うなら、もう、この話しはやめにしよう」

 眉間を指先で押さえてなにか考えるように下を向いてから、穂高は諦めたように言った。

「じゃあ、俺はこれから比佐子に伝えてくるよ。それ、ちゃんと全部飲んで、今日のところはしっかり休んでいるんだよ」

「うん、わかった。穂高、本当にありがとう」

「効き目は保証できるよ。明日には熱がさがってるはずだ。昼前に様子を見にくるからさ。そのときに平熱になっていたら、俺が演習場まで送っていくから」

 そう言うと、穂高は病室を出ていった。
 午後からは持てあました時間に資料を読んで過ごした。比佐子の差し入れてくれたスープを全部飲み干した途端に体の芯がポカポカしてきて、ひどく汗をかいたのには閉口したけれど……。

 包帯を変えるときに爺ちゃん先生に事情を話すと、渋々ながらも熱さえさがれば演習場に戻っても良いと、許可を取りつけることができてホッとしていた。
 あとは体力を温存するために、ひたすら横になっていればいい。
 治るまではいかなくとも動けるところまで持っていき、どうにか隊を動かせるまでにならなければ。
 相変わらず焦りは感じるものの、見通しが立ったぶん、気が楽になったからか、麻乃は睡魔に襲われて眠りについた。

 闇の中を走っていた――。

 追ってくるのはシタラで、どういうわけか炎魔刀を下げ、どうやら麻乃の左腕を狙っている。

(冗談じゃない――!)

 左腕をどうにかされた日には、あたしはもう戦士として機能できなくなってしまう。あたしが戦士を下りるときは、この命がなくなるときだ。
 必死で走って、麻乃はいつの間にか森の泉にたどり着いた。
 湖畔でシタラを振り返ると、麻乃の意志に反して左腕が動いた。その手はシタラの首をつかむと、思いきり締め上げた。


 腕が痛む。


 青黒く残った痣から力があふれ出るように、シタラの首を絞める麻乃の手にさらに力がこもった。
 苦しそうに呻く表情、麻乃と同じ小柄なシタラの体がのたうったとき、見開かれた瞳が淡く青く光った。
 驚きと恐怖で、心臓がバクンと大きく鳴ったのと同時に目が覚めた。

(夢――?)

 目が覚めてもまだ心臓が激しく鳴っているし、体が震える。夢の中で左腕が痛んだけれど、そういえばここ数日はまったく痛まない。
 今もなんともない。うつぶせたままの格好で、左腕を伸縮させてみた。

(大丈夫、痛みもないし、ちゃんと動く……)

 外はもう真っ暗だ。変な夢のせいで、余計に汗をかいた。
 着替えをしたくて看護係を呼ぼうと、体を起こした視界のはしに人影が見えた。驚いて飛び起きたせいで背中に痛みが走り、麻乃は悶絶した。
 顔を上げると部屋の隅のほうで椅子に腰をかけたまま、寝入っている修治の姿がある。疲れがたまっているんだろうか、麻乃がこれだけ動いても目を覚ます気配がない。
 その姿にホッとするような腹が立つような、そんな気分になり、松葉杖を取ると、その先で頭を軽く小突いてやった。

「そんなところで、なにをサボってんのさ」

「ん……? ああ、なんだ、起きたのか?」

「起きたのか、はこっちのセリフだよ。いつからそこにいたの?」

 修治は自分の腕時計に目をやる。

「五時ごろから……もう八時か。マズイな」

 そう言って苦笑いをした。麻乃もつられて笑ってしまう。

「チャコが参加してくれているんだってね」

「ああ、昨夜からな。相変わらず凄い女だ。ブランクが長いぶん、何度かやられたようだがな。それで、体のほうはどうだ? 戻れそうか?」

「なんだか凄く汗をかいてさ、熱、さがった感じかな。ずいぶんすっきりしたよ。ねぇ、着替えたいんだけど看護の人、呼んでくれないかな」
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