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島国の戦士
第55話 柳堀 ~麻乃 5~
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「せわしない事……」
おクマは鴇汰が飛び出していったドアを見ながら、松恵からもらったお茶をいれてくれた。口をつけてみても味が全くわからない。
「そうそう麻乃ちゃん、オレンジだけど」
「あ、それ。今年もまた、おクマさんにオレンジケーキを作ってほしくて」
「もちろんいいわョ。材料なんか買ってこなくたって、そのくらい、お安い御用なのに」
「うん、でもこれは、自分でちゃんとしたいから」
「あぁ、そうね。もうそんな時期なのよねェ」
おクマは少しだけ寂しげな表情をすると、また煙草に火を点けてドアに視線を向けている。
「それにしても、重大発言だったわねェ。さっきのアレ。アンタどうするのよ? ア・イ・ノ・コ・ク・ハ・ク」
「どうもこうも……好きだとか愛してるとか言われたんならともかく、そんなんじゃなかったし、だだの冗談に決まってるよ」
「アタシにはそうは見えなかったけどねェ? まぁ、アンタにその気がないんじゃ仕方ないけど」
大きく肩で息をつくと、麻乃はおクマから視線を反らした。
「ケーキ、どれもおいしかったよ。あたし、荷物も届くし、なんだかちょっと疲れたからもう帰るね。ネエさんたちも今日はありがとう。また来ますね」
絶対またくるのよ、と言うおクマの声を背中に、麻乃は柳堀をあとにした。
いったん、家に戻り、荷物が届くのを待ってから道場へと向かった。
本当は西浜の敵襲が気になったけれど謹慎中だから来るなと言われたし、なにより鴇汰の言葉をどう受け止めたらいいのかわからない。今は鴇汰と顔を合わせたくなかった。
もう夕方になっていて、道場には子どもたちの姿はない。
裏口へ回りあいさつをして中に入ると、調理場から多香子が顔を出した。
「あら、麻乃ちゃん。どうしたの?」
「多香子姉さん、先生はいらっしゃいますか?」
「奥にいるから、入ってちょうだい」
麻乃はうなずくと高田の部屋に向かい、襖の前で姿勢を正して座り、声をかける。
「先生、麻乃です」
「おう、入れ」
「失礼します」
高田は文机に向かい、手紙を書いていたようだ。その手を止めて振り返ると、麻乃の向かい側に座り直した。
「こんな時間にどうした?」
「今日、新しい刀を買ってきました。一度、見ていただこうと思って。黒塗りが夜光、朱塗りが鬼灯です」
高田の前に二刀を並べておいた。高田はまず夜光を手にして抜くと、隅々まで眺めた。
「これはおまえには少し長めに感じるが、間合いをしっかり覚えれば扱いやすそうでいいと思うぞ。いいものを選んだじゃないか」
次に鬼灯を手にした高田は、一瞬、顔をしかめ、ためらいがちに抜いた。
「こいつはまた……おまえ、ずいぶんと癖のあるものを選んできたな?」
「いえ、それは周防の爺さまが、あたしが夜光を選んだら、一緒に持っていくようにと言っていたらしいんです。お孫さんにそう言われました」
「爺さまが? おまえはこれをどう思う?」
「あたしは特に嫌な感じはしません。そいつとなら、つらい状態でも踏ん張りがききそうな、そんな気がするんですけど……」
「ふむ。私はどうも相性が良くないようだが、おまえがそう感じるならば、おまえには合うのだろう。しばらくは様子を見ながら使ってみるといい」
鞘に納め、高田は二刀とも麻乃に戻した。
「選別は済んだそうだな?」
「はい。近々、中央で顔合わせをする予定です」
「当分はそっちが忙しくなりそうだな。道場のことは気にせず、新しい隊にしっかり集中するといい」
「ありがとうございます。それじゃあ、あたしはこれで」
「なんだ? もう帰るか? 夕飯はもうすぐだ。食べていけ」
「いえ、今日は帰ります。失礼しました」
礼をすると、そのまま道場を出た。
歩く足取りがだんだんと速くなり、麻乃はついに駆け出した。
また腕が痛む。刺すような痛みについ顔が険しくなる。右腕はもうすっかり良くなり、痛みも引きつれも感じない。なのに左腕は相変わらずだ。
傷痕を見ても、青黒い痣が残っているだけでほかにはなにもない。
こんなことは、誰にも言えやしない。
考えないようにしようとしても、腕が利かなくなるかもしれないという思いが痛むたびに麻乃の頭の隅をかすめる。
不意に誰かがついてきている気がして立ち止って振り返った。伸びた影の映る道には、誰の姿も見えない。
ただ怖くてたまらなくなり、陽が沈みオレンジと紫の色に染まる空の下を、麻乃はひたすら走り続けた。
おクマは鴇汰が飛び出していったドアを見ながら、松恵からもらったお茶をいれてくれた。口をつけてみても味が全くわからない。
「そうそう麻乃ちゃん、オレンジだけど」
「あ、それ。今年もまた、おクマさんにオレンジケーキを作ってほしくて」
「もちろんいいわョ。材料なんか買ってこなくたって、そのくらい、お安い御用なのに」
「うん、でもこれは、自分でちゃんとしたいから」
「あぁ、そうね。もうそんな時期なのよねェ」
おクマは少しだけ寂しげな表情をすると、また煙草に火を点けてドアに視線を向けている。
「それにしても、重大発言だったわねェ。さっきのアレ。アンタどうするのよ? ア・イ・ノ・コ・ク・ハ・ク」
「どうもこうも……好きだとか愛してるとか言われたんならともかく、そんなんじゃなかったし、だだの冗談に決まってるよ」
「アタシにはそうは見えなかったけどねェ? まぁ、アンタにその気がないんじゃ仕方ないけど」
大きく肩で息をつくと、麻乃はおクマから視線を反らした。
「ケーキ、どれもおいしかったよ。あたし、荷物も届くし、なんだかちょっと疲れたからもう帰るね。ネエさんたちも今日はありがとう。また来ますね」
絶対またくるのよ、と言うおクマの声を背中に、麻乃は柳堀をあとにした。
いったん、家に戻り、荷物が届くのを待ってから道場へと向かった。
本当は西浜の敵襲が気になったけれど謹慎中だから来るなと言われたし、なにより鴇汰の言葉をどう受け止めたらいいのかわからない。今は鴇汰と顔を合わせたくなかった。
もう夕方になっていて、道場には子どもたちの姿はない。
裏口へ回りあいさつをして中に入ると、調理場から多香子が顔を出した。
「あら、麻乃ちゃん。どうしたの?」
「多香子姉さん、先生はいらっしゃいますか?」
「奥にいるから、入ってちょうだい」
麻乃はうなずくと高田の部屋に向かい、襖の前で姿勢を正して座り、声をかける。
「先生、麻乃です」
「おう、入れ」
「失礼します」
高田は文机に向かい、手紙を書いていたようだ。その手を止めて振り返ると、麻乃の向かい側に座り直した。
「こんな時間にどうした?」
「今日、新しい刀を買ってきました。一度、見ていただこうと思って。黒塗りが夜光、朱塗りが鬼灯です」
高田の前に二刀を並べておいた。高田はまず夜光を手にして抜くと、隅々まで眺めた。
「これはおまえには少し長めに感じるが、間合いをしっかり覚えれば扱いやすそうでいいと思うぞ。いいものを選んだじゃないか」
次に鬼灯を手にした高田は、一瞬、顔をしかめ、ためらいがちに抜いた。
「こいつはまた……おまえ、ずいぶんと癖のあるものを選んできたな?」
「いえ、それは周防の爺さまが、あたしが夜光を選んだら、一緒に持っていくようにと言っていたらしいんです。お孫さんにそう言われました」
「爺さまが? おまえはこれをどう思う?」
「あたしは特に嫌な感じはしません。そいつとなら、つらい状態でも踏ん張りがききそうな、そんな気がするんですけど……」
「ふむ。私はどうも相性が良くないようだが、おまえがそう感じるならば、おまえには合うのだろう。しばらくは様子を見ながら使ってみるといい」
鞘に納め、高田は二刀とも麻乃に戻した。
「選別は済んだそうだな?」
「はい。近々、中央で顔合わせをする予定です」
「当分はそっちが忙しくなりそうだな。道場のことは気にせず、新しい隊にしっかり集中するといい」
「ありがとうございます。それじゃあ、あたしはこれで」
「なんだ? もう帰るか? 夕飯はもうすぐだ。食べていけ」
「いえ、今日は帰ります。失礼しました」
礼をすると、そのまま道場を出た。
歩く足取りがだんだんと速くなり、麻乃はついに駆け出した。
また腕が痛む。刺すような痛みについ顔が険しくなる。右腕はもうすっかり良くなり、痛みも引きつれも感じない。なのに左腕は相変わらずだ。
傷痕を見ても、青黒い痣が残っているだけでほかにはなにもない。
こんなことは、誰にも言えやしない。
考えないようにしようとしても、腕が利かなくなるかもしれないという思いが痛むたびに麻乃の頭の隅をかすめる。
不意に誰かがついてきている気がして立ち止って振り返った。伸びた影の映る道には、誰の姿も見えない。
ただ怖くてたまらなくなり、陽が沈みオレンジと紫の色に染まる空の下を、麻乃はひたすら走り続けた。
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