蓮華

釜瑪 秋摩

文字の大きさ
上 下
1 / 780
島国の戦士

第1話 はじまりの刻

しおりを挟む
 ――昔。

 周囲を山や谷、川と海に囲まれた小さなこの国。
 人々は土地を耕して育み、皆が静かにつつましく暮らしていた。

 国の中心にある森の泉のほとりには、古くから人々が信仰する女神さまをお祀りしていた。
 祭事は選ばれた巫女たちが執り行い、春先には作付け、秋の収穫時期、また、気候による注意すべきことを、女神さまのご神託として伝えてくれる。

「みなさま、今年は例年よりも春の気温が上がりにくいようです。作付けの時期はひと月ほど遅らせるのが良いでしょう」

「夏は例年よりも少しばかり雨が多いようです。作物の育ちが悪くなるやもしれません。食糧は多めに保管されているでしょうが、無駄のないよう、注意を払って管理するように」

 各村や集落の長たちが集まり、巫女たちのご神託を聞いて、田畑を育んでいた。
 豊作のときには、多めに食糧を保管しているため、国民たちは不作の年でも飢えることなく過ごせている。
 そうやって長い間、この国の人々は平穏に幸せに過ごしてきた。

 年月がたち、やがて人々は山や谷を越え、別の国の人々と交流するようになった。
 往来しやすいように谷や川のあちこちに橋が掛かると、突然やって来たのは甲冑をまとい武器をたずさえた冷酷な兵士たちだ。

 資材や食糧を奪いつくし、男手を中心に多くの若者が連れ去られてしまった。
 残された年寄りや女、子どもへの手荒い仕打ちや殺りく――。
 これまで争いとは縁のなかった国の人々は、あらがう術も知らず、なすがまま、抵抗することもできずにいた。
 嵐のようにやってきた他国の兵士たちが去ったあと、荒れ果てた土地を前に、人々は茫然と立ち尽くした。

「こんなにも田畑を荒されてしまったというのに、残された若者たちは数少ない……」

「それでも、どうにか再建しなければ、蓄えもなにもかも持ち去られてしまったのだから……」

 悲しみに暮れながらも荒らされた田畑をもう一度耕し、これまでの生活を続けることしかできなかった。
 ところが、ようやく落ち着いたと思えるころになると、またほかの国の兵士たちがやってきては、すべてを奪い去ってゆく。
 せっかくの蓄えも底をつき、人々の暮らしはいよいよ立ち行かなくなってきた。

「埒が明かない……このままでは、この国は滅ぼされてしまう」

「一体、他国はどうなっているんだ? この国から奪いつくして贅沢な暮らしをしているんだろうか?」

 困り果てた人々は兵士たちが去ったのち、ひそかに他国の様子を覗きに行った。
 山や谷の向こうにあったのは、木々や草花が枯れ果て、ろくに動物もいない広大な大地だった。
 自分たちの国とあまりにも違うことに、ただ驚いた。

「こんなにも荒れた土地では作物も育たず、この国に奪いに来るのも当然だ」

「だからといって、これまでのように奪われ、殺されてしまうだけではたまらない」

 抵抗しなければならないけれど、これまで戦うという経験をしたことがなく、どうしたら良いのかわからないまま、人々は悩むばかりだった。
 そんなとき、巫女の長がご神託を受けたと言って立ちあがった。

「明日の夕刻、連れ去られた多くのものたちが、女神さまの御力を借りて戻ってきます。その夜は全員が家の外には出ないように」
 
 これまでも巫女を通してご神託を受けてはいた。
 けれどそれは、作付けや収穫の時期にすぎない。

 人々に女神さまを信じる思いはある。
 それでも、これまでとはまったく違う巫女のお告げに誰もが半信半疑のまま、翌日を迎えた。

 夕刻になると、本当に連れ去られた多くの若者たちが戻ってきた。
 人々は喜びあい、そしてご神託のとおり、それぞれが家にこもった。

 その日は深夜になると強い嵐にみまわれ、大きな地震が起こった。
 誰もが怯えながら眠れぬ夜を過ごし、嵐の去った翌朝――。

 東側にあったはずの山がなくなり、北側と南側の谷は砂浜に、西側の海岸は深く切り込まれた入り江に変わっていた。
 
「女神さまは持てる力のすべてを使い、この島をかの地より引き離しました。これでもう無益な争いに巻き込まれることはなくなるでしょう」
 
 巫女の長は国の人々の前でそう言うけれど――。

「ですが、巫女長さま。私たちが連れ去られた土地には、四つの国がありました」

「それぞれの国にも、同じように守神さまの信仰が残っていたのです」

「しかし、争いばかりを繰り返しているあいだに、どの国の人々も守神さまを祀ることさえしなくなったようで……」

 ほうっ、と巫女の長は細く長いため息を漏らした。

「確かに、あの地では神はみな、眠りについてしまったのか、守護の力を感じることはありませんでした……」

 荒れ果て枯れる一方の土地を、わずかな糧を求めて四つの国が奪い合いを繰り返している。
 そんな彼らがこの国をみつけ、自分たちの命をつなぐのは豊かなこの地だけだと信じた。
 そして手に入れるべく新たな争いを始めたのだ。

 ある日、突然に消えたこの国を、彼らが放っておくだろうか。
 探さないとは思えない。
 今すぐではなくとも、いずれ必ずここへたどり着くだろう。
 
「今までのように、のんびりと暮らしていくだけでいいのだろうか?」

「もしもまた攻め込まれたら――?」
 
 島の人々は何日もかけて考えた。
 そしてついに決意した。

 いずれまた来るかもしれない侵略の手に怯えながら暮らすのではなく、この身を鍛え、いざというときには命を賭してもこの国を守る、と。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

【完結】仰る通り、貴方の子ではありません

ユユ
恋愛
辛い悪阻と難産を経て産まれたのは 私に似た待望の男児だった。 なのに認められず、 不貞の濡れ衣を着せられ、 追い出されてしまった。 実家からも勘当され 息子と2人で生きていくことにした。 * 作り話です * 暇つぶしにどうぞ * 4万文字未満 * 完結保証付き * 少し大人表現あり

主役の聖女は死にました

F.conoe
ファンタジー
聖女と一緒に召喚された私。私は聖女じゃないのに、聖女とされた。

【完結】失いかけた君にもう一度

暮田呉子
恋愛
偶然、振り払った手が婚約者の頬に当たってしまった。 叩くつもりはなかった。 しかし、謝ろうとした矢先、彼女は全てを捨てていなくなってしまった──。

断る――――前にもそう言ったはずだ

鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」  結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。  周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。  けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。  他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。 (わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)  そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。  ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。  そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?

夫達の裏切りに復讐心で一杯だった私は、死の間際に本当の願いを見つけ幸せになれました。

Nao*
恋愛
家庭を顧みず、外泊も増えた夫ダリス。 それを寂しく思う私だったが、庭師のサムとその息子のシャルに癒される日々を送って居た。 そして私達は、三人であるバラの苗を庭に植える。 しかしその後…夫と親友のエリザによって、私は酷い裏切りを受ける事に─。 命の危機が迫る中、私の心は二人への復讐心で一杯になるが…駆けつけたシャルとサムを前に、本当の願いを見つけて─? (1万字以上と少し長いので、短編集とは別にしてあります)

(完)聖女様は頑張らない

青空一夏
ファンタジー
私は大聖女様だった。歴史上最強の聖女だった私はそのあまりに強すぎる力から、悪魔? 魔女?と疑われ追放された。 それも命を救ってやったカール王太子の命令により追放されたのだ。あの恩知らずめ! 侯爵令嬢の色香に負けやがって。本物の聖女より偽物美女の侯爵令嬢を選びやがった。 私は逃亡中に足をすべらせ死んだ? と思ったら聖女認定の最初の日に巻き戻っていた!! もう全力でこの国の為になんか働くもんか! 異世界ゆるふわ設定ご都合主義ファンタジー。よくあるパターンの聖女もの。ラブコメ要素ありです。楽しく笑えるお話です。(多分😅)

悪意のパーティー《完結》

アーエル
ファンタジー
私が目を覚ましたのは王城で行われたパーティーで毒を盛られてから1年になろうかという時期でした。 ある意味でダークな内容です ‪☆他社でも公開

処理中です...