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三上 靖
第5話 俺の五日目
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――五日目――
「あのな、真由美。俺、今日は染川さんと出かけてくるから。染川さんってわかるだろう? ホラ、うちに良く来てくれてたあの人だよ」
朝六時前、真由美は起きて洗濯やら掃除やらを始めていた。
その背中に話しかける。
「なんかな、様子がおかしいっていうか……妙な感じなんだよな。一緒にいれば、なにかわかるかもしれない。だからさ。今日も夜には帰ってくるから心配すんな」
染川さんは車で店の前まで来てくれるといっていた。俺は急いで外に出ると、ちょうど車が店の前に止まったところだった。
俺が助手席に乗り込むと、ドアを開けようとした染川さんの手が止まって目を見開いた。
――なるほど、ドアを開けなくてもそんなふうに乗れるんだねぇ……。
感心したようにうなずいてそういった。
走り出してすぐに高速に乗ったので驚いた。俺が真由美と出かけていたときは、関越までは一般道路を走っていたから。
「いきなり高速に乗るのかい? 俺はこんなだから、高速代すら出せないってのに……」
――いいんだよ、そんなの。どのみち旅行であちこちに行くつもりでいたんだもん。それに比べたら安いもんだよ。
「そうかい? なんだか悪いねぇ。俺からなにかしてやれたらいいんだけど……」
――だってこれから、新潟と長野でおいしいものを食べられるんでしょ? それで十分だって。
染川さんは、きっと一人であちこちに行っても、結局はどこにでもあるようなチェーン店に行っただろうから、地元のおいしい店に行かれるだけでありがたいという。
そういえば、北海道でも同じようなことを言っていた。
平日の朝、しかも高速でも車が多い。主にトラックだから、きっと仕事なんだろう。
数カ所でほんの少し渋滞していたけれど、思った以上にすんなりと目的の街に着いた。
――俺、新潟には初めてなんだよ。関越に乗るのもだけど。トンネル、長かったね。
「へえ、そう。染川さんはスキーはやらないのかい?」
――たまにかなぁ。でもいつも、栃木や福島だったから、使うのは東北道ばっかりだったな。
雑談をしながら目的の店を告げると、染川さんはスマートフォンで検索をしてくれた。
まだ昼には少しばかり早いけれど、店は開いているようで早速向かった。
店に入り、おすすめはなにかと聞いてくるので、糠ニシンと、皮クジラと冬瓜の味噌汁を注文してくれるようお願いした。
ここでは、どうしてもこれが食べたかった。
真由美の実家は新潟で、遊びに行くたびに必ずどちらも出てきて、これが米と一緒に食べると本当にうまい。
――なんていうか……独特なニオイだね……味噌汁。すごいアブラだけど……。
染川さんは不安げな顔をしている。確かにクジラの脂は癖がある。意を決したように料理を口に運んだ。
「あ~、そうそう。これこれ。いやあ……懐かしいな……」
――見た目はアブラすごいけど、冬瓜が吸っているのかな? 思ったほどじゃあないね。
ポツリとそうつぶやく。
「そうなんだよ。ニシンもな、ぬか漬けにしてあるんだけどうまいんだ、これが」
――うへぇ……! しょっぱい! オヤジさんに取られてもまだしょっぱいって、塩味《えんみ》ヤバいね。
店の人に聞こえない程度の小声で俺に話しかけてくる。
確かに塩味は強いかもしれない。それでもうまさが勝つのか、染川さんは黙々と平らげた。
ここから今度は長野に向かう。
俺の実家は長野とは言っても群馬寄りで、山と山に挟まれた渓谷のような場所だ。
夏には月見草が、秋にはコスモスが街道沿いに咲き乱れてなかなかの景色だけれど、有名な観光地があるでもなく静かな土地だ。今回はそこへは行かない。
最寄りと呼ぶには遠い駅近辺にある、小さな食堂へ向かう。
代替わりをしたようで、俺が行った当時の店主ではなくなっていたけれど。
――えっ? 中華料理? 俺、長野だから蕎麦を食べるのかと思っていた。
「うん、まあ蕎麦ももちろんうまいから食べたいんだけどな。ここに来ておきたかったんだよ」
――ふうん。そうなんだ。駅前だから割と栄えているけど、周辺に高い建物が少なくて景色よさそうだね。
「ああ。近くに千曲川が流れていてな、夕焼けが奇麗にみえたもんだよ」
そんな話しをしながら、店に入る。
ここでも染川さんは定食は食べすに、一品料理を数種類頼んでくれた。
餃子や炒めもの、懐かしい味だ。
俺はこの店と出会って、料理人になろうと決めたんだった。
――うまいね、ここ。なんだかオヤジさんの店を思い出すなぁ。
「そうか? そう言ってもらえると嬉しいねぇ。ここは俺のルーツってやつになるのかもしれないからな」
――へぇ……もしかして昔、通った店?
「そうなんだよ。当時は今の俺より年上の親父さんがやっていたんだけどな」
またいつでも来られると思っていたし、自分の店のことで手一杯だったこともあって、足が遠のいていた。
まさかこれが最後になるなんて、思ってもみなかったから。
――オヤジさん? どうしたの? 大丈夫?
染川さんにそう言われて、俺は自分が泣いていることに気づいた。
「ん? ああ、大丈夫だよ。いい年して感傷に浸っちまったなぁ」
俺は照れ笑いでごまかし、染川さんを促して店をあとにした。
――明日はどうするの? また遠くに行く?
「いや、明日は都内で知り合いの店をいくつか回ろうと思っているんだ」
――そうなんだ……また俺も一緒に行っていいかな?
「明日もかい? そりゃあ構わないけど……」
――やった。それじゃあ明日もよろしくね。
家の前まで乗せてもらい、明日の待ち合わせ時間を決めて染川さんと別れた。
「あのな、真由美。俺、今日は染川さんと出かけてくるから。染川さんってわかるだろう? ホラ、うちに良く来てくれてたあの人だよ」
朝六時前、真由美は起きて洗濯やら掃除やらを始めていた。
その背中に話しかける。
「なんかな、様子がおかしいっていうか……妙な感じなんだよな。一緒にいれば、なにかわかるかもしれない。だからさ。今日も夜には帰ってくるから心配すんな」
染川さんは車で店の前まで来てくれるといっていた。俺は急いで外に出ると、ちょうど車が店の前に止まったところだった。
俺が助手席に乗り込むと、ドアを開けようとした染川さんの手が止まって目を見開いた。
――なるほど、ドアを開けなくてもそんなふうに乗れるんだねぇ……。
感心したようにうなずいてそういった。
走り出してすぐに高速に乗ったので驚いた。俺が真由美と出かけていたときは、関越までは一般道路を走っていたから。
「いきなり高速に乗るのかい? 俺はこんなだから、高速代すら出せないってのに……」
――いいんだよ、そんなの。どのみち旅行であちこちに行くつもりでいたんだもん。それに比べたら安いもんだよ。
「そうかい? なんだか悪いねぇ。俺からなにかしてやれたらいいんだけど……」
――だってこれから、新潟と長野でおいしいものを食べられるんでしょ? それで十分だって。
染川さんは、きっと一人であちこちに行っても、結局はどこにでもあるようなチェーン店に行っただろうから、地元のおいしい店に行かれるだけでありがたいという。
そういえば、北海道でも同じようなことを言っていた。
平日の朝、しかも高速でも車が多い。主にトラックだから、きっと仕事なんだろう。
数カ所でほんの少し渋滞していたけれど、思った以上にすんなりと目的の街に着いた。
――俺、新潟には初めてなんだよ。関越に乗るのもだけど。トンネル、長かったね。
「へえ、そう。染川さんはスキーはやらないのかい?」
――たまにかなぁ。でもいつも、栃木や福島だったから、使うのは東北道ばっかりだったな。
雑談をしながら目的の店を告げると、染川さんはスマートフォンで検索をしてくれた。
まだ昼には少しばかり早いけれど、店は開いているようで早速向かった。
店に入り、おすすめはなにかと聞いてくるので、糠ニシンと、皮クジラと冬瓜の味噌汁を注文してくれるようお願いした。
ここでは、どうしてもこれが食べたかった。
真由美の実家は新潟で、遊びに行くたびに必ずどちらも出てきて、これが米と一緒に食べると本当にうまい。
――なんていうか……独特なニオイだね……味噌汁。すごいアブラだけど……。
染川さんは不安げな顔をしている。確かにクジラの脂は癖がある。意を決したように料理を口に運んだ。
「あ~、そうそう。これこれ。いやあ……懐かしいな……」
――見た目はアブラすごいけど、冬瓜が吸っているのかな? 思ったほどじゃあないね。
ポツリとそうつぶやく。
「そうなんだよ。ニシンもな、ぬか漬けにしてあるんだけどうまいんだ、これが」
――うへぇ……! しょっぱい! オヤジさんに取られてもまだしょっぱいって、塩味《えんみ》ヤバいね。
店の人に聞こえない程度の小声で俺に話しかけてくる。
確かに塩味は強いかもしれない。それでもうまさが勝つのか、染川さんは黙々と平らげた。
ここから今度は長野に向かう。
俺の実家は長野とは言っても群馬寄りで、山と山に挟まれた渓谷のような場所だ。
夏には月見草が、秋にはコスモスが街道沿いに咲き乱れてなかなかの景色だけれど、有名な観光地があるでもなく静かな土地だ。今回はそこへは行かない。
最寄りと呼ぶには遠い駅近辺にある、小さな食堂へ向かう。
代替わりをしたようで、俺が行った当時の店主ではなくなっていたけれど。
――えっ? 中華料理? 俺、長野だから蕎麦を食べるのかと思っていた。
「うん、まあ蕎麦ももちろんうまいから食べたいんだけどな。ここに来ておきたかったんだよ」
――ふうん。そうなんだ。駅前だから割と栄えているけど、周辺に高い建物が少なくて景色よさそうだね。
「ああ。近くに千曲川が流れていてな、夕焼けが奇麗にみえたもんだよ」
そんな話しをしながら、店に入る。
ここでも染川さんは定食は食べすに、一品料理を数種類頼んでくれた。
餃子や炒めもの、懐かしい味だ。
俺はこの店と出会って、料理人になろうと決めたんだった。
――うまいね、ここ。なんだかオヤジさんの店を思い出すなぁ。
「そうか? そう言ってもらえると嬉しいねぇ。ここは俺のルーツってやつになるのかもしれないからな」
――へぇ……もしかして昔、通った店?
「そうなんだよ。当時は今の俺より年上の親父さんがやっていたんだけどな」
またいつでも来られると思っていたし、自分の店のことで手一杯だったこともあって、足が遠のいていた。
まさかこれが最後になるなんて、思ってもみなかったから。
――オヤジさん? どうしたの? 大丈夫?
染川さんにそう言われて、俺は自分が泣いていることに気づいた。
「ん? ああ、大丈夫だよ。いい年して感傷に浸っちまったなぁ」
俺は照れ笑いでごまかし、染川さんを促して店をあとにした。
――明日はどうするの? また遠くに行く?
「いや、明日は都内で知り合いの店をいくつか回ろうと思っているんだ」
――そうなんだ……また俺も一緒に行っていいかな?
「明日もかい? そりゃあ構わないけど……」
――やった。それじゃあ明日もよろしくね。
家の前まで乗せてもらい、明日の待ち合わせ時間を決めて染川さんと別れた。
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