ラスト・チケット

釜瑪 秋摩

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今野 洋平

第4話 オレの四日目

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――四日目――

 オレは仁美に乗者して哲哉の車に一緒に乗り込んだ。
 出発時間が遅い気がする。とはいっても今はまだ午前中で、着くのはお昼ごろか。
 普通ならそれでいい。でもうちは違うんだよ……。

――遅い! こんな時間に来るなんて非常識にもほどがあるぞ!

 危惧していたとおり、着いたとたんにこれだ。
 仁美も勤も哲哉も、呆気に取られて黙ったまま立ちつくしている。

――さっさと支度をして手伝いに回らんか! この出来損ないめ!

「そんな言いかたはないだろう! 仁美はここのことなんてなにも知らないのに!」

 オレは親父に食って掛かって、ついその肩を突いた。
 つもりだったけれど、手は親父の肩をすり抜けてしまった。

「クソ……! こんなことを言われても庇うこともできないなんて!」

――とりあえず俺たちは一度帰って支度をしてからまた来るよ。

 勤と哲哉はそういって帰っていった。
 いつの間にいたのか、母親に促されて仁美と一緒に実家に入った。

――あの……手伝いってなにをするんですか? 私、楓もまだ小さいのであまり離れられないんですけど。
――食事の支度と来てくださったみなさんのおもてなしよ。子どもは置いてきたら良かったのに……。

 母親は無表情のままそういった。
 この人もいつもこうだ。親父になにを言われようと、なにをされようと、ずっと黙って抵抗もしない。
 最も抵抗したところで、あの親父はなにも改めようとしないだろうけど。
 奥から兄嫁の聡子さとこさんが出てきた。

――あら。いらっしゃい。遅かったのね。
――子どもも連れてきているそうよ。
――ふうん。それじゃあ、奥の部屋でうちの子と一緒に遊ばせておけばいいんじゃあない? 一平いっぺいさんがみてくれるから。えっと……仁美さんだっけ? こっちに来て。
――はい……よろしくお願いします。

 聡子さんに案内をされ、向かったのは兄の部屋だ。
 それより、兄が子どもをみてくれるって?
 オレにはそれが信じられなかった。兄も母親と同じで感情が薄く、いつも親父の言いなりだった記憶しかない。
 それに兄は跡取りだ。こんなときに来客を放って子どもの世話なんて、あの親父が許すはずないと思うのに。

――一平さん、こちら洋平さんの奥さん。お子さんも一緒だっていうから、手伝いをしてもらっているあいだ、華《はな》と一緒に遊ばせてあげてよ。
――ああ、わかった。仁美さん……だっけ? 大変だったね。今日、明日も大変だと思うけど……。
――いえ……すみませんが楓をよろしくお願いします。

「大変だったって……兄貴、そんなことを言う人じゃなかったじゃないか」

 思わず兄の顔をみつめてつぶやいた。結婚してなにか変わったんだろうか?
 昔と違って変にしっかりした顔つきをしているように見える。

 そのまま仁美は聡子さんに促され、台所へ向かった。
 この家の台所は昔のままの造りだ。土間にやたらと低い水回り。炊飯器もガス炊きの古い釜。
 さすがに風呂は移動していたけれど、トイレと一緒に屋外にある。

「なにも変わっていないな。昔のままだ」

 オレが子どものころ、食卓に母親の姿はなかった。
 祖父母と父、兄とオレ。給仕が済むと母はいつも土間で一人で食事をしていた。

 いつの時代だよ!
 と、突っ込みたくなるほど古いしきたりだ。
 食べているあいだに会話などほとんどなく、話してもせいぜい成績に関する嫌味を言われるか、クソみたいな小言を喰らうだけだった。

 中学のころ、哲哉の家で夕飯をごちそうになったとき、家族全員でダイニングテーブルを囲み、学校であったことや部活のことを楽しそうに話す様子をみて、本当に驚いた。
 こんな暖かな食事の風景は、テレビドラマの中だけのことかと思っていたから。

 母親と聡子さんのほかに、親戚の女性陣と近所の奥さんがたが忙しなく食事を作り、座敷に集まっている男性陣に給仕をしていた。
 こうやって葬儀などで人が集まると、食事の順番も出てくる。最初に家長とその親類の男性、次に来客の男性陣、そのあとは来客の女性陣、そして最後に向かえる側の女性陣だ。
 それでも日中はまだましなほうだ。お通夜のあとや告別式の夜などは、酒も出るから女性陣はさらに大変になる。

「未だにこんなことを続けているなんて、本当にばかげているよ」

 お通夜の準備が始まると、部屋のあちこちのふすまが外されて大広間になる。
 来たときは気づかなかったけれど、昨夜のうちにある程度は準備がされていたのか、オレの体があった。
 横たえられた体は、見たところ大きな傷がなくてホッとする。

 脇に飾られた生花が目に入った。職場や友人たちにも連絡がいったんだろう。知った名前がいくつもあった。
 葬儀社の人たちがそれらを並べている横で、親父がまた余計なことを言う。

――こんな花なんてよこすくらいなら、香典の一つも持ってくるべきだろうが。こんな非常識な人間としか付き合えなかった洋平も、まったくロクなもんじゃあないな。

 場が一瞬で固まった。
 葬儀社の人たちも驚いた顔で親父をみてから、すぐに目を逸らした。関わりたくないという気持ちが行動に現れているようだ。

 そりゃあそうだろう。こんなこと……いや、こんな非常識なことをいう人間などそうはいないだろうから。
 夕方になってお通夜が始まると、やっと手伝いから解放された仁美が楓を連れて大広間に入ってきた。
 オレの妻だというのに、一番後ろの端の席に座らされている。
 ここへ来てから、オレの体と対面する時間も作ってもらえていない。

「ごめんな、仁美。こんな家で本当にごめん」

 読経を聞きながらしきりに目もとを拭っている仁美に寄り添い、オレはただ謝った。
 勤と哲哉のほかにも、同級生が何人か参列してくれていて驚いた。
 ここ数年は同窓会にも顔を出していないのに。
 オレはただ、参列してくれたみんなに感謝の言葉を伝えた。

 お通夜のあとも、通夜振る舞いだなんだと手伝わされていた仁美は、みんなが寝静まった深夜になってようやく解放されて棺の前にやってきた。寝ずの番をしろと言われているんだろう。
 これ見よがしに棺の脇に敷かれた布団にため息をこぼすと、中を覗き込むようにしてオレの顔に触れている。

――ごめんね、洋平……。こんなにちょっとしか一緒にいられないなんて思わなかったよ。

「オレのほうこそ……仁美にこんな思いをさせたくなかった……もっとちゃんと、ハッキリ伝えておくべきだったよな」

 オレたちは朝までの数時間、並んで座り、黙ったまま一緒に泣いた。
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