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クリスマスの不審者
しおりを挟む苛つきを手に込めて死ぬつもりで手首にカッターを押し付けたその瞬間、けたたましい音が響き部屋の窓が開いた。
「メリークリスマス!!!!」
雪混じりの寒風と共に、赤いサンタもどきの服を着てあからさまな付け髭を付け白い袋を担いだ不審者が勢いよく部屋へと入ってくる。
「いいクリスマスを過ごしてるかな? あ、全く過ごしてないね。そんな君にプレゼントがあるんだ」
不審者は袋を床に置き中からごそごそと何かを取り出して俺に見せてくる。フリップのようなものだった。焼死や八つ裂き、感電死というような物騒な単語と、それにそぐわないやけにファンシーなイラストがずらっと並んでいる。
「君には僕から死をプレゼントするから、好きな死に方を選んでくれ!」
満面の笑みで淀みなくそう言い放つ。
俺はカッターを持ったまま、そいつの余りの勢いに気圧されて固まっていた。
「……あれ」
部屋に流れた沈黙で俺に無視されたと思ったのかそいつは急に不安げな顔をする。
「え、えーと……あ、多すぎて選べない? おすすめは真っ二つだよ。内臓が良い具合にでろんと出てきて……」
慌てて説明をしだすけれど、俺にとってはそんなことどうだっていい。
「誰だよ」
そいつは解説をぴたりと止める。
「スラッジって言うんだ。身長は168センチで、体重は……」
「プロフィールじゃなくて、一体なんなんだよ。どうやって入ってきた」
「頑張って」
「ふざけてんの?」
「その言い方は酷いだろ」
寒いから窓を閉めた。
俺は鍵を掛けていた筈だ。そもそもここは6階だ。この不審者がどうやって入ってきたのか全く分からない。
スマホで110を押そうとしたら慌てた様子で取り上げられた。
「通報しないでくれ! 怪しいものじゃないんだ。ただ君を殺しに来ただけだよ」
「その訴えに怪しさ以外の何を感じればいいんだよ」
スマホを取り返しがてらに足を引っ掛けるとそいつは簡単にその場に尻餅を付く。もういっそカッターでぶっ刺そうか。どうせ死ぬのだから不審者の一人や二人殺したところで変わらないだろう。
馬乗りになってカッターを振り上げるとそいつはぶんぶんと首を横に振る。
「やめて、それ刺されても僕死なないから! 痛いだけだから! やめてくれ!」
「なんだよそれ」
ぎゃあぎゃあと喚いてうるさいから解放した。
そいつは床に正座し話を聞いてくれと頼み込んでくるから、渋々正面に座り聞くことにした。
「僕人間じゃないんだ。幽霊とか、そんなのの類だよ。今日だけサンタの真似事をしてるんだ」
「絶対にサンタをはき違えてる」
「人にあげるなら自分が貰って嬉しいものをっていうのは定石だろ? だから僕は世界中の人を殺してあげたいんだ。誰もいない二十六日を作り上げたいんだ」
それはサンタじゃなくて悪魔だろ。
「僕が生きてる間はね、生まれてすぐ親がいなくなって親戚に引き取られて、ずっと物置に閉じ込められて育ったんだ。毎日のように殴られて、機嫌が悪いと爪を剥がされて、真冬には水を頭からかけられて、レイプされたりしてた。ご飯は生ゴミかそこら辺の虫でね、僕ご飯食べるの大っ嫌いだったんだ。でも、あるクリスマスの日にケーキを貰ったんだよ。そんなの初めてだった。喜んで、泣きながら食べて、それで、中に毒が入っててそのまま死んだ」
つらつらと語られるのは胸糞の悪い話なのに、そいつの声は穏やかだ。
「うれしかったなぁ……だって死んだらもう寒くもないし、お腹もすかない。どこにでも行ける。僕は死んで初めて幸せになれたよ」
話しながら邪魔になってきたのかそいつは付け髭を外した。声で分かってはいたけれどかなり若いようだ。
若くて、整った顔だ。
「生きていたって辛いことばっかりだろ? だからね、皆死ねばいいんだよ」
まるで善意しか無いようににっこりと笑って言う。
「で、どの死に方が良い? やっぱり最後は派手に内臓ぶちまけたりとかしてもいいと思うんだよ」
フリップを片手に楽しげに手を動かし血飛沫が飛び散る範囲を語るそいつは、内容はさておき無邪気で楽しそうだ。
物凄く好みだった。
「じゃあ腹上死」
俺の言葉にそいつは動きをぴたりと止める。
「え、えっと……その……僕色んな死に方に対応できるようチェーンソーとか火薬とかなら沢山持ってるけどそういうのの準備は……」
フリップに半分顔を隠して、目を逸らしながら狼狽えている。
「良いよ。俺が持ってる」
迫ると怯えたように後ずさるけれど、ここは狭い部屋の中だ。すぐに逃げられなくなる。
「好きな死に方選べって言ったのは君だろ」
視線を下に落とすそいつの髪を鷲掴みにして無理矢理上を向かせた。ああ、本当にかわいい顔をしてる。
そんな見た目で自暴自棄になっている相手の所に飛び込んでくるなんてどうかしている。
「わ……分かったよ」
承諾を受けたから髪からは手を離し腕を掴んでもう二度と使う予定の無かったベッドまで連れていく。
必要な物を取って戻ってくるとそいつは尻を押さえていた。
「ゆ、幽霊でも痛いものは痛いし、どれだけ痛くても死ねないから優しくしてね」
「何か勘違いしてない?」
「え?」
きょとんとしている。
「抱く側か抱かれる側かに関わらず腹の上で死ねば腹上死だろ?」
まだ分かっていなさそうなそいつの耳を掴んで無理矢理引き寄せた。痛がるそいつの耳元で囁く。
「抱けって言ってるんだよ」
◇◇◇
サンタもどきがひんひんと泣いている。
「ちんちん勃たない……まだ君生きてるのに……」
本人が言うようにちんこは萎えきっている。ぐすぐすと泣きながら扱いている姿はかなり面白いから別に眺めているだけでもそこそこ楽しい。
「休憩すればいいだけだろ」
「駄目だよ!」
ばっと見上げてくる下半身丸出しのサンタもどき。まあ俺なんて素っ裸だけど。
「もうすぐ日付変わっちゃうのに……」
「変わったら何かあんの」
「僕は二十五日にしか人を殺せないんだよ。早くしないと君の事死なせてあげられない」
だから頑張らないといけないのにと、必死でちんこを扱いている。復活したところで自称幽霊の癖に体力のないこいつ相手じゃどれだけかかっても死にはしないだろうけど。
「ひぅ……ちんちん痛い……」
マスかいたことが無いのかというぐらいそいつの手つきは雑でちんこは少し腫れていた。もう無理だろう。
「あと十二分しかないけど」
「そんなぁ……」
また泣き出すそいつの手をちんこからどかせた。不思議そうに俺を見ているそいつを尻目にちんこを掴んで口を寄せる。
「へっ? え、え!?」
間の抜けた声を出しているそいつのちんこを口の中に入れた。
「わ、あっ……あったかっ……ひっ 、待って、やめて、舐めないで!」
「んううぅー……ひうっ…んんっ」
舐めてるだけなのに、そいつは馬鹿みたいに喘いでぜえぜえと息を吐いていた。
「良かったね。勃ったよ」
「ひんっ」
先端を撫でながら軽く扱いたらサンタもどきは妙な声をあげる。俺の手には生暖かい液体がかかる。
「……出すなよ」
「ごめん……」
「死にたい。死んでた」と言いながらそいつは顔を手で隠した。
日付はとっくに変わっていた。
「人殺せないとか言ってたけど、それなら二十五日以外は何やってんの?」
「それは幽霊らしく……話題のお店チェックしたりフェスに行ったり。夢の国も行く」
「全然幽霊らしくないし随分と満喫してるね」
死んでから幸せになれただとか言っていたのは本当らしい。
「最後に好みの奴とセックス出来たし、もう良いよ。勝手に死ぬから君は遊びにでも行けば?」
カッターはどこに置いたかなとベッドから降りようとしたら、そいつは腕を掴んでくる。
「来年、来年は君の事ちゃんと殺すから! 盛大に、華々しく死ねるように頑張るから!」
「……それまで生きていたくないんだけど」
「う……」
目が逸らされる。しかし俺の腕はしかと掴まれたままだ。手を離す気配がない。
「一人で死ぬのは危ないよ。人間って中々死なないんだ。誰も介錯してくれずにのたうち回って死ぬのは、苦しいよ」
現れ方もやっている事も、存在自体も訳が分からない白昼夢のような奴の癖して、その言葉はやけに真に迫っていた。
「君はそうだったの?」
「うん。君が死にたかった理由は何? 殺すのは無理でも、そっちなら多少改善の手伝いが出来るかも知れない。せめて来年まで持つぐらいには協力できると思う」
「ふられたんだよ。ずっと付き合ってた奴に。女と付き合うとか突然言い出して音信不通になった。腹いせに目の前で首かき切ってやろうと思ってついさっき家に行ったのに、あいつ引っ越してたし」
「とてつもない思い切りの良さだね。そこまでしないと気が済まない程、大事な人だったんだね」
何だか盛大に勘違いをされている。
「顔」
「え?」
「顔が好きだっただけ。性格なんて元から糞野郎だと思ってたし、顔以外に良い所なんて思い付かない」
「それでも好きだったの? 顔が好みなだけで?」
「一つでも好きな場所があるんなら十分だろ」
「んー……僕はそもそも物置から出た事がなくて、親戚以外の人間とあったこともなくて、人のことは怖いとしか思ってなかったから、好きな人なんていなかったよ。でも、そっか。恋愛って、そういうものなんだね」
顔だけ好きで付き合ってやっていた奴が舐めたことをしてきたからトラウマを植え付けようとしていたのだけれど、それは恋愛なんだろうか。
好きな所が一つでもあれば付き合うのには十分でも、恋愛なんてご大層な名前が相応しいようには思わない。
そいつは妙に納得している様子だったから口には出さないでおいた。
「俺は君の顔も好みだけど」
「えっ」
「じゃなきゃこんな不審者とセックスしようなんて思わない」
不審者の顔に触った。何歳かは知らないが年下か同年代だろう。柔らかい。幽霊の癖に体温がある。
「それなら、僕と付き合うかい? 来年までの繋ぐらいにはなれないかな。僕は週四ぐらい外出するけど」
「もっと落ち着けよ。つうか、君の方は俺のこと好きじゃないだろ」
「え……その……君は……」
「なに」
「……あったかくてきもちいから」
「……」
具合が良かったのはそれはそれでいいけれど、妙に照れながら言うからこっちまで居心地が悪い。
「セックスして血が出ないのなんて初めてだった」
「……ああ」
「優しくしてくれてありがとう」
「大体のセックスはそもそも血なんて出ないけどね?」
「え?」
◇◇◇
「お土産」
クリスマスに家に侵入してきた不審者は、今は俺の家で暮らしていた。週4は外出すると言っていたけれど本当にその通りで、一週間ほぼ帰ってこないこともざらだった。
そいつはどこの土産なのか分からないポップコーンをテーブルに乗せている。
「毎度毎度、よく行くところあるよね」
「インスタとか小まめにチェックして話題になってるお店には一度は行くようにしてるんだ」
「スマホ持ってんの?」
そいつは首を横に振る。
「人のをこう、覗いて」
「不審者」
「幽霊なんだからそれぐらい良いじゃないか」
言いながら半透明になる。こいつは完全に姿を消したり壁を透けたり飛んだり、やりたい放題出来るらしい。幽霊とは便利だなとしみじみ思う。人間なんかよりよっぽど使える身体だ。
「今日飛び降り自殺しようとしている人を見かけたんだ」
「どこで」
「学校の屋上」
「なんで君が学校に行くんだよ」
「やっぱり若い子の方が情報早いから……」
でね、とそいつは話を続ける。
「校舎から落ちたぐらいじゃ、死にきれなくて最悪の場合身体だけ動かなくなって精神だけ生きている羽目になるよって止めようとしたんだ。死にたいなら、クリスマスまで待ってくれれば僕が綺麗に内臓引きずり出してあげるから! って。そしたら、凄く恐がられてその子そのまま落ちちゃった」
「死んだ?」
「骨が折れただけみたい。ああ、ちゃんと頭を潰してあげたかった……」
嘆きながら机に突っ伏している。善心で人を殺そうとしているこいつはつくづく狂人だと思う。
「君ってクリスマス以外は人は殺せないとか言ってなかった?」
「殺せないよ?」
「でも今日は、その学生が落ちたのほぼ君のせいだし、打ち所が悪ければ死んでたんじゃないの?」
それは殺したことにならないの? と聞けば、
「殺意を持って人に触れるかどうかの差なんだ」
俺の首に手を伸ばしてくる。
「本当は君のことも今すぐ楽にしてあげたいのに」
首を絞めているような仕草をするのに、首には何の感覚もない。
「どういう原理?」
「分からない。僕は幽霊だからそもそも人にあまり干渉できないようになっているけれど死んだ日だけ干渉しても良いよって神様が許してくれてるとか、サンタクロースも人類を皆殺しにしたがっていて力を貸してくれてるとか」
「夢も希望もないな」
「夢と希望しかないよ」
ぱっと手を離した。
「誰もいない世界は誰も泣かない世界だよ」
「……」
それは誰も笑わない世界でもあるだろ。
「ところでこのポップコーン凄いんだよ!
ポップコーンじゃない味がするんだ!」
「ならポップコーン食べる必要ないだろ」
「無意義を味わえる趣のあるお菓子だね」
◇◇◇
「もうすぐクリスマスだね! 君の命日だね! どんな死に方が良い? チェーンソー新調してみたんだよ。これで三枚下ろしにだって出来るよ! 魚の気分味わってみない?」
スラッジはチェーンソーを持ちながら善意で物騒なことを言っている。
「腹上死」
「……」
そっと床にチェーンソーが置かれる。スラッジは去年持って来ていたサンタの袋を漁りだした。
「そう言われると思ってそっちの準備もしてたんだ!」
ごそごそと取り出されたのはローションだとかコンドームの類だ。
「僕は持久力がないからこういうのも買ってきたよ」
バイブや電マも出てくる。
「これでえっちしようね」
「そのバイブ燃費悪くて電池すぐ切れるよ」
「えっ、嘘」
どうりで安い……なんて呟きながらスラッジはバイブを撫でる。
「じゃあやっぱり僕が頑張るしかないかな……」
「それ何」
「マムシの血」
「幽霊に精力とかあんの?」
本人の生体活動すらないのに。
「良いクリスマスにしようね」
◇◇◇
「メリークリスマス!!!」
「……真夜中に何」
「去年は悲しい結果に終わったから今からえっちしよう。あれ、なんで、なんで耳を抓るの。痛いよ。やめて」
「やるなら先に言えよ。寝てる時に起こすな」
「ごめん」
「どうして僕のちんちんは言う事聞いてくれないんだろう……」
「まず早漏をどうにかしろよ」
「早漏じゃない……」
不審者はめそめそと悲しげにちんこを撫でている。
「もう方法なんてなんでも良いから適当に殺してよ。幽霊になった方が楽しそうだし」
「でも、でも、腹上死したいって去年からずっと言ってたんだし、変えちゃ駄目だよ。最後ぐらい希望に合わせてあげたい」
まるで懇願するような訴え方だった。
「このままじゃまた日付変わるけど?」
「その時はまた来年……」
「それまで生きてたくないって、去年も言ったよね」
「でも、でも、最近は楽しそうだったじゃないか!」
突然出された大声に俺は軽く怯んだ。不審者はどことなく泣きそうな顔をしながら死ななくても良いだろだなんて言い出した。
「死んだ方が幸せだって言ってた癖にどうしたんだよ」
君は人を殺したがっているのが存在意義のような奴だろう。
不審者はぐっと顔を歪めた。
「そんなの、うそだよ。どうして人間にまともな扱いなんて受けたことない僕が人間の幸せなんて考えるんだよ。大っ嫌いだよ。僕のこと殺した奴らも、助けてくれなかった奴らも、知りもせずのうのうと生きてた奴らも、全員苦しんで死ねばいい。全員僕の手で殺してやりたい。皆死んだらそのまま消えるよ。こんな状態なのは僕だけ。だから君も……」
言葉は尻つぼみになり、暗い顔をしたそいつはそれ以上口を開かなかった。
俺はがりと頭を掻いた。こいつ以外の幽霊なんて見たことが無い。何にも煩わされない生活が出来るなんて、そんな都合のいい話、無いか。
それは、もういい。どうしようもない事だ。分からないのはこいつの態度だ。
「俺のこと嫌いなら、尚更どうして早く殺さないんだよ」
「……嫌いじゃない」
小さな声だった。
「君は殺したくない。人の手があんなにあったかいなんて、僕は君に会って初めて知ったんだ」
「……それだけ?」
「人を好きになる理由なんて一つでもあれば十分だって言ったのは君じゃないか!」
赤く染めた顔でそいつは叫んだ。俺が人と付き合う時に使う程度の基準に、君は死に際の怨嗟よりも重きを置いてるのか。
茶化すことは出来なかった。その顔の赤みは本物だったから。
◇◇◇
「ホワイトクリスマスだね。もっとクリスマスらしくなるように、雪を赤色で染めに行ってきます」
「結局人は殺すのかよ」
「うん。恨みは死んだって消えないからね。君以外の人間なんて大嫌いだよ」
白い袋を担ぎ、窓をからからと開け、そいつは一度振り返った。
「……僕はきっとこの先もずっと人を殺すただの悪霊だけど、嫌いになる?」
「どうせ人間殺すなら俺の元彼殺してこいよ」
「……うん! 内臓一つずつえぐり出してくるね!」
明るく言い切ってから、そいつは思い出したように白い袋の中から物を取り出して俺に寄越してきた。
「倫理観がばがばの君へは僕がいない間の為にこれをあげるね」
「これすぐ電池切れるって言ってるだろ」
「ちゃんと電池の替えも用意したんだ」
「なんで買い換えるって選択肢が無いかったんだよ」
「何回も買いに行くの恥ずかしくて……」
渡された質の悪いバイブと乾電池の6本パック。どうせ使わないから適当にベッドへと放った。
不審者は袋を担ぎ直して窓枠へと足をかける。
「行ってきます」
「行ってらっしゃい」
人類を皆殺しにしたいらしい悪魔へ手を振った。
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