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とぶまえ

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◆付き合ってない

地獄の恋

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 僕には好きな人がいた。いや、いた、というのはちょっとおかしいかもしれない。好きな人がいる。誰よりも何よりも好きな大事な人。

 彼と出会ったのは中学一年の時だ。隣の隣の席に彼はいた。一目見て、「あ、好みだ」と思った。授業中はいつも隣の席の奴を邪魔だななんて思いながら彼を見つめていた。
 その時の僕は思春期真っ盛りで、好きな相手に直接声をかけるのが気恥ずかしくて中々仲良くなれないでいた。クラスの中で仲の良いグループが固まってきた頃、僕と彼は全く別のグループにいて、関わることも少なかった。
 彼はいつも笑顔で穏やかで、でもしっかり主張をすることも出来て、スポーツも出来て、クラスの中心にいた。成績はちょっと良くなかったけれど、まあ、それは愛嬌というものだ。男子からの評判も良ければ女子からの評判も良かった。人気者、という存在だった。
 僕はと言うと、教師から問題児というレッテルを貼られてしまうような人間だった。授業の妨害はするし、教師にも同級生にも喧嘩を売るし、備品は壊すし、反省もしない。授業の妨害をしたのはゆっくり彼を眺めたいのに教師がだらだら喋っていてうるさかったからだ。他のはまあ、僕の性格としか言えない。よろしくない子供という自覚は大いにあった。でも行動を改めようとは思わなかった。

 とある日の放課後、僕は野球部の部室から盗んで来たバットで教室の窓ガラスを割った。むしゃくしゃしていたとかそういう理由ではなくて、単に窓ガラスの強度を確かめたかっただけだ。子供のかわいい好奇心だ。窓ガラスは拍子抜けする程にあっさりと砕け散った。
 窓ガラスは約立たずという結論を得た僕はさっさと教室を出ようとした。その時、彼が教室に入って来た。驚いた僕は硬直してしまった。彼も少し驚いた様子で、バットを持った僕と割れた窓ガラスを交互に見ていた。そして、小さく笑った。

「どうせなら全部割れば良かったのに」

 彼の言葉を聞いて僕はぽかんとした。いつも笑顔で穏やかな彼がそんな事を言うなんて信じられなかった。だって、そんな、まるで僕みたいなろくでもない奴が言うようなことを。
 彼に強い親近感を覚えた。それがきっかけで、彼のことが気になるという小さな感情は明確な恋へと昇華した。

 二年生になる頃には僕と彼は親しくなっていた。昼食を一緒に食べ、放課後は一緒に遊びに行き、メッセージアプリで頻繁にやり取りをした。親友と言っても差し支えないだろう。好きな相手と一緒に過ごす事が出来て僕は浮かれていた。
 もしかしたら彼も僕の事が好きなのかも知れないと、調子に乗った僕は三年生になった時に彼に告白した。結果は散々だった。無理と一言でばっさりと切り捨てられ、その後しばらく彼から避けられた。なんとか元の仲まで戻すのに二ヶ月を要した。

 高校に進学してからも、僕の片想いは続いていた。それとなく告白し、無理だと断られるという事を繰り返した。皆の前では浮かべていた営業スマイルのような笑顔を僕の前では浮かべなくなった彼は、それはもう面倒臭そうな表情で僕の告白を一蹴し続けた。
 三年生になった時、僕は焦りを感じ始めた。僕と彼の希望の大学は違う。成績のよろしくない彼は名前さえ書けば入れるような適当な大学を選んでいた。このままでは離れ離れになってしまう。いくらメッセージアプリで繋がっているとはいえ、会う回数が減れば自然と関係も希薄になってしまうだろう。それだけは絶対に避けたかった。
 高校最後の冬休みに僕はまた彼に告白した。場所は僕の家。思いの丈を全てぶつけ、そしてみっともなく「なんでもするから付き合って」と縋り付いた。

「本当になんでもしてくれんの?」
「うん。なんでも。なんでもいいよ。君と付き合えるのならなんだって出来る」

 彼はにこっと笑う。

「じゃあ爪剥がして見せて」
「……え?」
「小指でいいよ。一番、なくても困らなさそうだし」

 剥がれた爪を想像して血の気が引いていった。

「出来るよね?」

 彼が念を押すように言う。僕に出来る返答は一つしかなかった。

「うん。出来るよ」

 僕は部屋にあったペンチで左手の小指の爪を剥がした。想像を絶する痛みで気絶してしまいそうになりながら、震える手で剥がした爪を彼に差し出した。
 その時の彼の表情は忘れる事が出来ない。嗜虐心と感心と嘲笑、色んなものが混ざりあった笑顔だった。

「付き合ってあげる」

 僕が何よりも欲しかった言葉を言って、彼は僕を抱きしめた。

 彼と初めてセックスをしたのはそれから数ヶ月後の事だった。彼は丁寧に僕を抱いて、それから、するりと左手に触れた。

「まだ綺麗にならないんだね」

 彼が見ているのは左手の小指だ。爪は少しは生えて来ているものの中々元通りにはならず、今も歪だ。

「早くもう一回剥いで欲しいのに」

 彼が左手に頬擦りする。僕は黙ってそれを見つめていた。頭の中では、爪を剥がした時の激しい痛みを鮮烈に思い出していた。
 彼は僕を面白がっている。セックスをしたのだって、どんな反応をするのか気になったから以上の感情はないだろう。彼は僕の事が好きな訳じゃない。彼は本当にまた僕に爪を剥がさせるだろう。玩具のいい遊び方を思いつけば、もっと酷いことを要求してくるかも知れない。

 僕は彼が好きだ。誰よりも何よりも好きな大事な人だ。しかしながら、僕の気持ちが報われることは一生ないだろう。諦めた方がいい。そうすれば、精神的にも肉体的にも辛い思いをせずに済む。傷が浅い内に彼から離れた方がいい。

「出来るよね?」

 彼が笑顔で聞いてくる。数ヶ月前に見せた笑顔と同じだ。

「出来るよ」

 離れた方がいいと、分かってる。

 でも、どうしても好きなんだ。
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