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しおりを挟むスラッジは三日家に篭った。地下にあった書斎でひたすら魔導書だという分厚い本を読んでいた。本人は珍しく真剣にやっているようだった。俺は魔法使いらしいところがこの家にあったんだなと思いながら薄暗い書斎を眺めていた。本棚の中に、付箋の貼られた本を見つけ手に取る。
「この本は妙に付箋が貼ってるね」
「ああ、それはヘテロとゲイのお仲間を見分ける魔法が載ってるんだ」
「……君って前からそんななの? というかそれなら俺が同性愛者だって最初から分かってたの?」
「うん。とても役に立つだろう? どこにも所属せず引き篭もってると中々出会いが無くてね。お仲間を探して積極的に声をかけて行くしかないんだ。篭ってても出会えた君は奇跡だよ」
そっと本をしまって、すぐ側にあった新品同様のあまり読まれていなさそうな本を取り出した。軽く開きぱらぱらとめくると沢山の化物の絵が描かれている。
「これは?」
「ああ、それは魔族の事典だよ。魔族、見た事ある? 人とも動物とも違う、超常的な存在。悪魔って呼ぶ人もいる。人と似た姿だったり、植物のような姿をしてたり、腕や足が何本も生えている異形の姿だったりする。彼らは魔法とは切り離せない間柄なんだ。彼らは魔法を軽々と扱える。そもそも魔法は彼らが使っていたから魔法と言うんだ」
「それ本当なの?」
「うん、今考えたんだ」
どうりで全く聞いたことがない話な訳だ。魔族であることと、魔法が使えることは別問題だ。
「あんまり読まれた形跡がないけど」
「興味本位で買ったはいいものの、この国に住んでて実際魔族に遭遇する機会なんてないから、使い道が無くて読むのをやめちゃったんだ。役に立たない知識を頭に入れたところで仕方ないだろ?」
確かにこの辞典の中身を覚えたところで、普段役に立つ事なんて何もないだろう。今日日、魔族なんて絶滅危惧種だ。
無意識に溜め息をつきながら本を戻した。
「僕は犯人が一つミスをしてくれればそれが致命傷になってすぐ尻尾を掴めると思ってたんだ。だからゆっくり待ってた。でも当てが外れてしまったからアプローチを変えないといけない」
「頑張ってるみたいで何よりだよ。君はまだしばらくここにいるの?」
「いい手段が見つかるまでは、そうだね」
「分かった」
スラッジは本から顔を上げた。
「俺は一度城に帰って進捗を報告してくるよ」
「それなら是非使命感に溢れた僕が事件解決のために邁進していると伝えておいてくれ。お礼は人肉ディナーで良いとも伝えて欲しい」
「最後のはともかく、仕事だから君の成果はちゃんと伝えるよ」
人肉のこと、しばらく言わなくなったかと思えばこれだ。冗談と軽口ばかりのこいつもこれだけは本気らしい。
夜には帰ると伝えて書斎を出た。城に着くのは昼ぐらいになるだろう。それからスラッジのことを報告し、私用を済ませて、となるとやっぱり戻りは夕方を過ぎる。これで戻った時にあいつがいなかったら失態でしかないけれど、あの集中した様子ならふらふらと出歩きはしないだろう。されたら困る。私用に支障が出てしまう。
◇◇◇
真っ暗な森の中を通ってスラッジの家に辿り着いた。私用に時間を取られて予定よりも更に遅くなってしまった。
スラッジは書斎から出ていて、最初に出会った散らかった小汚い部屋にいた。小さなガラスの小瓶を手で弄んでいる。
「やあ、おかえり。報告はどうだったかな。僕は人の肉を食べることは出来そう?」
「君が犯人なんじゃないかって疑いはほぼ晴れたよ。人肉の件は伝えたらまた疑われるだろうから話してない」
「君は優しいね。とてもあんなことをする人とは思えない」
何の話だと思いながらスラッジをじっと見た。スラッジは小瓶を持ったまま薄く笑っている。
「……進展は?」
「あったよ。他人の使った魔法を打ち消す魔法というものがあってね。普段僕以外の魔法使いと会うことなんてないし、あまり使わないからすっかり使い方を忘れていたんだ。資料を探すのに三日かかったし、習得し直すまでに一日かかったよ」
「打ち消す?」
オウム返しにするとスラッジは小瓶を軽く持ち上げた。
「この中に被害者の一人の記憶をそのまま閉じ込めてあるんだ。犯人が被害者に自分の姿を記憶させないように使った魔法を、この中で消せたらなって思ったんだ。本当、難しかったよ。自分で直接見たならまだしも、間に一人噛んでいるせいで難易度が跳ね上がってた。手品大好き少年には荷が重いよ」
「……でも君はやったんだろ」
「だって一応大魔法使いだからね、僕」
ずっと不本意がっていたはずの呼び名を言いながらスラッジは小瓶を投げ渡して来た。受け取って中を覗けば、被害者に話しかける俺の姿が映っている。
ああ、こいつは本当に、優秀な魔法使いだ。大魔法使いと呼ばれているのも頷ける。その場で魔法を打ち消すならともかく、他人の記憶の中の魔法なんて、どうやって消すのか検討もつかない。
「犯人、君だったんだね。こんな近くにいただなんて。僕は盲目だったのかって自己嫌悪に陥るよ。君は犯人の条件に全て当てはまっているのに」
「君って絆されやすいんだね」
「君だからだよ」
スラッジは悲しそうに表情を歪めた。
「あんなに身体の相性がいい人なんて初めてだったのに。君は人に挿れることはある? 肉が吸い付いてくるような感覚って、素敵なんだよ」
そして下品なことを言う。こいつは表情もまるで信用出来ない。
「君はどうしてあんなことをしたの?」
「……」
小瓶を床に投げ捨てた。
「君は人の肉を食べるのが夢なんだったね。俺の夢は、この国を潰すことだよ」
「国に恨みでもあるのかい?」
「何にも。たまたま都合のいい場所にあったってだけ。いい場所だと思うよ。ちょっと狭いけど気候が安定していて、不気味ではあるけれど緑の生い茂った森があって、眺めのいい海もある。住むには丁度いい」
「……別荘が欲しいなんて話じゃないんだね?」
「そう。『俺達』が住むのに丁度いい」
手っ取り早く俺が何なのか分からせるために、俺は剣を抜いて自分の左の手首を切り落とした。床に落ちた手は灰のように崩れて、腕からは新しい手が生えてくる。魔法で治しているのではなく、元からそういう身体なのだと、こいつなら見れば分かるだろう。
一部始終を見ていたスラッジは慌てる様子すらなく、淡々としていた。
「人ですら無かったんだね、君」
「人間だなんて自己紹介した?」
「してないね。思い込んでいた僕のミスだ。ショックだよ」
「魔族なんかには近付きたくないって?」
スラッジははっきりと首を横に振り、心底残念そうな様子で語り始める。
「僕の予定では事件を解決して犯人の肉を食べさせて貰う筈だったんだ。犯人が人間じゃないなら、僕の計画は破綻する。せっかくここまで頑張ったのに、骨折り損のくたびれ儲けだ」
「君には性欲と食欲しかないの?」
「ちゃんと睡眠欲もあるよ。食べてセックスして寝れれば幸せだ」
スラッジは冗談めかして言う。それから少しだけ姿勢を正した。
「肉は食べられないとは言え、事件解決を頼まれた身としては君を国に突き出さなきゃいけない」
「大人しくはいそうですかって捕まると思ってる?」
「僕はそうだねって言って見過ごす訳にもいかない」
「困ったね」
剣を握り直した。
「動きを止める魔法なんて俺には効かないからな」
「ああ、だよね、さっきからやってるのに、どうにも手応えがないと思った。やっぱり君は魔法が達者なんだね。何年修行したの? 魔族は寿命が長いと聞くし、それこそ百年以上だったりする?」
「殺されるかも知れないのに無駄話する余裕があるなんて君は呑気だね」
「これでも焦ってるんだ。捕まえる準備をするよりも先に君が戻ってきてしまったから。もっとゆっくりしてきてくれれば良かったのに」
「ついさっきまで狂人化の仕込みをしてた。遅くなる分狂人化の被害者が増えてたよ」
「それは僕の知ったことじゃないよ。むしろ増えてくれて構わない。被害者が増えれば犯人を捕まえた時に一層感謝される。正義の味方は利己主義なんだ」
相変わらず、清々しいまでにクズだ。
スラッジが手を動かそうとしたから、何かする前にと剣を振り上げた。
◇◇◇
数回瞬きをしてスラッジは目を覚ました。
「おはよう。いい朝なんじゃない?」
俺から目覚めの挨拶を言うのは初めてだった。いつもスラッジの方が早く目を覚ましていたから。
「嫌な目覚めだ」
スラッジは不満げに言う。後ろ手に縛って転がしていたスラッジは何も無い床の上をもぞもぞと虫のように動いて起き上がる。一階は散らかっていて好きではないから、柄で殴って気絶させた後に二階に移動させていた。
「寝起きから緊縛なんて、君は嗜虐趣向に目覚めてしまったのかな」
突然スラッジの背後から激しく火の手があがる。スラッジも火に包まれたけれど熱がる様子はない。まあ、自分で起こしたのだから当然だろう。
「火ぐらいじゃその縄は燃えないよ」
「なんて面倒で最悪な縄なんだ」
火は一瞬でかき消える。スラッジ本人も家財の一つも燃えてはいなかった。
「君の家は凄いね、暇潰しにちょっと荒らそうとしてみたけど、壊そうとしても傷すらつかない」
「これでも防災意識と防犯意識は強いからね。天災や火事、窃盗なんかを防ぐ備えは万全だよ。人を捕まえる備えも十全にしておけば良かった」
「今更何を言ったって後の祭りだよ」
「分かってるよ。負け犬の遠吠えだと思って聞き流してくれ。僕はどうして殺されてないの?」
「君のこと気に入ってるから」
スラッジは驚いたような顔をした。
「君の魔法の腕は本物だよ。たかだか二十数年程度しか生きてない人間が俺ですら出来ないことを出来る。殺すなんて勿体ないだろ?」
「手品大好き少年なんて側に置いておいて何に使うんだ」
「さあ。今のところは使い道は何にもないよ。計画は順調、君の手なんて必要ない。でももしもってこともある。その時の為にだよ」
実際問題、ただ気に入ったというだけだ。優秀な魔法使いではあるけれど今すぐの利用価値なんてない。
「俺の目的はこの国を一度潰して俺達が住む場所にすること。長年迫害され続けてきた俺達にはもうどこにも行き場がない。強引にでも生きる場所を獲得しなきゃならない。準備はほぼ済んだよ。戦えそうな若い男から発狂させて、事件を起こさせる。怪我人と発狂した人間の処理に手間取らせて、更に人手を減らす。今日仕込んできた奴らが全員狂人になれば、かなりの被害が出て、兵士や警察は鎮圧に追われるだろうね。病院も怪我人で溢れかえる」
「その間に侵略ってこと? 回りくどいことをするね」
「内部で混乱させておけばこっちの被害は少なくて済むだろ? 俺達は君達より丈夫だし力もあるけれど、数が減り過ぎてる。多勢に無勢って言うだろ。俺達に真正面からこの国を侵略するような力なんてない」
説明なんてこの辺りでいいだろう。こちらの事情なんて話したところで、こいつは同情も共感もするような人間じゃない。
そんなことより、もっと確実に関心を引けると確信していることがある。
「俺の仲間になるなら、人間の肉を食べさせてあげるよ」
「……え?」
「今の国王は死んで、国は瓦解する。そうなればもう法律なんて機能しなくなる。誰も君を非難出来なくなる。君の念願は叶うよ」
スラッジの目つきは明らかに変わった。
「僕はずっと、人の肉を食べてみたかったんだ。昔、魔法使いを嫌ってる連中に家が燃やされた時に僕の親も燃えたんだ。その時に嗅いだ匂いが、人生の中で最も食欲をそそる香りだった。だから、人肉がこの世で一番美味しいんだろうと信じて生きてきた」
叶えてくれるの? とスラッジは尋ねてくる。
「いくらでも」
簡潔に答えてやると、スラッジは感極まったように目に涙を滲ませた。
「ああ、ああ、こんなに嬉しいことなんてない。僕の長年の夢だったんだ。 正義の味方なんてならなくてもいいんだね。僕は、僕のままで好きなものを食べられるんだね。君は神様だよ。靴でも舐めようか?」
這い蹲って本当にやろうとするから靴を遠ざけた。そんなことなんて期待してない。
「条件は二つ。俺の仲間に危害を加えないこと。俺に逆らわないこと」
「勿論だよ。どうして僕が君に危害を加えると言うんだろう。誓ってそんなことはしないよ」
スラッジの様子からしてもう危険はないだろうと判断して縄を解いた。スラッジは勢いよく抱きついてくる。
「君以上の恩人はいないよ、神様」
「その呼び方、やめろ」
「どうして? 君を表すには相応しい言葉だよ」
こいつがどうして大魔法使いと呼ばれたがらなかったのかようやく分かった。大袈裟過ぎる。
「好きなものを好きなだけ食べられる素晴らしい生活が待っているんだね。明日はいい日だ。目覚めもきっといい事だろう」
抱きついてきていたスラッジは、何故か徐々にベッドに近付こうとする。
「おい、スラッジ」
「嬉しい時こそ楽しい事をするべきだと思うんだ」
「食欲が満たされそうになって性欲が湧くなんてド変態だね、君」
「止めろと言うなら止めてあげるよ。君に逆らわないって約束したからね」
スラッジは俺をベッドへ押し倒してくる。こいつの頭の中にはあるのは自分のことだけで、明日死ぬかも知れない人間達のことなんてこれっぽっちも考えていないのだろう。
本当に、とんでもなく利己的で、どこまでも俺好みの奴だった。
俺は口角を釣り上げた。
「止めないよ。言っただろ、君のこと気に入ったんだって」
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