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明日香

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呼吸が速く浅い。心臓の鼓動が聞こえそうなくらいバクバク激しく動いている。

 高揚・恐怖・興奮・緊張・不安……おそらくそういった様々な感情が金剛明日香の身体を廻っている。



 草木が生い茂る森の中、木々の隙間から日差しが降り注いでいる。少し前まで草の匂いが鼻を刺激していたのに今は感じない。感じるほどの余裕が無い。動いていなくてもじんわり汗ばむほど暑いはずが、今は背中から冷たい汗が流れている。



 両手で握っている槍がひどく重い。その槍の先にはドロッと粘度が高く、青い液体がこびり付いていた。



 明日香の視界には2匹のゴブリンがいる。皮膚は深緑色で目が大きく耳が尖っている。身長は1mほどだろうか。動物の毛皮を羽織っている。

1匹は横たわっていて動く気配がない。明日香が槍で仕留めたのだ。

 もう1匹は大きく吊り上がった目を見開いてこちらを睨みつけている。歯を食いしばり、腹の底から絞り出すような低くおぞましい呻き声を発していた。



――気持ち悪い――



 そう思わずにはいられない。



 ゴブリンは怒っていた。

 家族? 仲間? 関係はどうでもいい。とにかく大事な者が殺されたのだ。当然の反応だろう。

 しかしそんなことを気にするつもりは明日香にはサラサラ無い。もう1匹のゴブリンも始末することになりそうだからだ。



 本来であれば、隣で剣を構えてブルブル震えているナオキがもう一匹のゴブリンを仕留めるはずだった。だが全く動けず今に至る。



「ちょっとナオキ! アンタの獲物なんだからさっさとやっつけてよ。ほら、アイツかなり怒ってるじゃない」

「いや、無理だよ。怖いし、それに何だか可哀そうじゃないか」



 ハァ……とため息が漏れる。



「可哀そう? 相手はゴブリンよ!? 人間に害しか与えない害虫に対して何言ってるの!? いいから早くやりなさいよ」



 まったく話にならない。何でこんな臆病な奴がこの世界に召喚されたのかも理解できない。

 明日香だって出来ることならこんなことはやりたくはない。だが、この世界ではやらなくてはいけない。なぜナオキにはそれが理解できないのだろう。



「ほら、その手に持ってる剣で一突きよ! そうすればスグ終わるわ」

「そんな簡単にいくかよ。相手だって生きてるんだ。もしかしたら襲ってくるかもしれないじゃないか」



役立たず。アンタなんか連れてくるんじゃなかった。



 心の中でナオキを誘ったことを呪った。





 もしかしてではなく、いつ襲って来てもおかしくはない。そんなオーラがゴブリンからは感じてとれる。だから尚更、速やかに始末する必要があった。

 このままナオキと言い合いをしていたら、ゴブリンが隙をついて襲って来る。そして、二人のウチどちらかが負傷するだろう。最悪死ぬ。



誘ったのは私だし、もう私がやるしかない。
深呼吸をし、覚悟を決めると明日香はゴブリン目掛けて飛び出した。

 しかし、それを読んでいたようにゴブリンも明日香目を掛けて飛び出していた。そして体勢を低くし、明日香のミゾオチへ体当たりをした。



ドフッ



 意表を突かれた明日香はその衝撃で後ろへ倒れた。その拍子に持っていた槍が手から離れた。



「あぁ……」



 隣で見ていたナオキから思わず声が漏れる。



『あぁ……』じゃないわよ! 誰のおかげで私がこんな目に合ってると思ってるの!! 二人が無事帰れたら絶対アンタのことぶっ飛ばしてやる。



 痛みに耐えながら心の中でナオキに向けて悪態を吐く。合わせて明日香はこの状況をどう対処するかを考えていた。

 だがミゾオチの痛みと倒れた衝撃でうまく考えが纏まらない。そんな中、ゴブリンは明日香の持っていた槍を手に取りこちらへ歩いてくる。



ヤバい、逃げないと。



 身体を動かそうとするが痛みでうまく動けない。

 そうしている間にゴブリンは明日香の目の前に立ち、槍を振り下ろそうとしていた。



体が動かない……八京さん……



 ゴブリンの攻撃に備えていると、ドンッという音と共に左から衝撃が走り飛ばされた。



 ナオキだ!



 ゴブリンが振り下ろす直前にナオキはヘッドスライディングの形で明日香を突き飛ばしたのだ。その結果、ナオキはゴブリンの攻撃を背中に受けることになったが、幸いなことに刃先ではなく柄の部分で攻撃を受けていた。



「あがぁぁぁ!」



 ナオキから声がした。



「馬鹿! 何で私を突き飛ばすの!? ゴブリンを攻撃しなさいよ!」



 痛みに耐えながらも悪態が出てしまう。



「うぅぅ」



 どうやらナオキは痛みで言葉を発することが出来ないようだ。

 ゴブリンは再び攻撃をするべくもう一度槍を振りかぶっていた。



「危ない! ナオキ避けて」



ドゥン!



 言い切る前にナオキの背中にもう一撃入った。



「うっ……」



 衝撃でナオキの身体がエビのように反り返る。今回も刃先ではなく柄が当たったため致命傷には見えないが、ナオキは動かなかった。

 何度も何度もゴブリンはナオキに槍を叩き付け、そのたびにナオキの体は反り返った。

 やがてゴブリンは槍の刃先をナオキの頭目掛けて大きく振りかぶった。



「や、やめて! ナオキが死んじゃう……」



 明日香は叫んだが、ゴブリンの動きは止まらない。明日香は必死で動こうとするが痛みのせいでうまく動けず地べたを這いずるような動作になってしまう。



このままじゃナオキが殺されちゃう。私の体、動いてよ……



 必死に動こうとするが、身体は思うように動かない。

 やがてゴブリンの持つ槍がナオキ目掛けて振り下ろされた。



「いやーーーー」



 明日香は思わず目を閉じた。
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