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第八章 こころ揺れる
やるせなさに身を焦がす
しおりを挟むエルドリッジは、過労で倒れて10日ほど療養した後、漸く通常の執務に復帰した。
この間、国王の体調不良について外部に漏れる事はなかった。
偶然にもこれより少し前に、国の上層部のみで情報を処理する緊急体制が出来ていたからだ。そう、ヒロインクッキー。ある意味、お手柄と言える。
オスニエルは、今回代理を務めて改めて父エルドリッジが抱える執務量の多さに気づかされた。王太子としてそれなりに執務をこなしているつもりでいたが、だいぶ考慮されていた。
確かにオスニエルはまだ学園に通う身だ。だが父エルドリッジには公務を共に担う王妃がいない分、ただでさえ対応する仕事量が多い。
正妃がいれば当然負担が減らせるが、いるのは法で公務をしない事を定められている側妃ジュヌヴィエーヌ。そして彼女は仮初の側妃だから、オスニエルはいつか自分の妃にしたいと思った。
「仮初か・・・」
オスニエルは、倒れた父の側から離れようとしなかったジュヌヴィエーヌの姿を思い出し、目をきつく瞑った。
ジュヌヴィエーヌは恋愛ごとに疎い。マルセリオ王国の元婚約者のせいだろうが、異性が自分に恋愛感情を向けるという発想がない。
向けられる筈がないと思っているのだ。それくらいジュヌヴィエーヌの自己評価も自尊心も、元婚約者によって粉々に砕かれていた。けれど、そこまでされてもジュヌヴィエーヌが責めるのは元婚約者ではなく自分の方なのだ。
―――そうジュヌヴィエーヌを評したのは、エルドリッジだった。
『なあ、オスニエル』
あれはジュヌヴィエーヌを側妃に迎えてすぐの頃だったろうか、エルドリッジは言った。
『あの子はね、自分がちゃんと愛せなかったから、あのバカ王太子に愛されなかったと思っているんだ。婚約者が男爵令嬢に心を移したのも自分のせい、婚約が解消になったのも自分のせい。マルセリオの王家に手酷く裏切られたのに、恨んでもいない。でも僕は、そんな事が当たり前だと思ってほしくないんだ。あの子は愛されてほしい。僕は、あの子がいつか恋を知ってくれる事を願うよ』
こんなものを使わなくていい恋をね、と言いながら、エルドリッジはジュヌヴィエーヌから取り上げた恋の秘薬の瓶をゆらゆらと振った。
ジュヌヴィエーヌがいつか恋を知ってくれたら、そうエルドリッジが言った時、オスニエルは何も思う事なくただ同意した。
まだ彼女に恋をしていなかったから。初めての対面の時に綺麗なひとだと見惚れたけれど、特別な感情はなかったから。
だから、そう願っているのなら、父がその役目を果たせばいいじゃないか、なんてその時は思ったのだ。
マルセリオで王太子妃教育を受けていたジュヌヴィエーヌなら、きっと父の支えになってくれるからと。
年の差はあるが穏やかな者同士、似合いの夫婦になるのでは、とさえ思っていた。
それがどうだ。
エルドリッジが過労で倒れ、心配のあまり学園を休んでつきっきりで看護するジュヌヴィエーヌを、今の自分は素直にありがたいと思えなかった。
なぜオスニエルが執務室にいて、ジュヌヴィエーヌは父の側にいるのかと苛立ちを覚えてしまったのだ。
「・・・なんとも理不尽で、やるせないものだな、恋とは」
明日から再び学園に通い始めるという日の夜、王族専用の居住棟にある自室に戻ったオスニエルは、一人がけ用のソファでぽつりと零した。
「こんな感情に心を乱している場合ではないというのに」
エルドリッジが復帰したとして、考えなければいけない事は山積みだった。
ヒロインクッキーの研究調査はまだ終わっておらず、以前より小規模になったといえ神殿側の動きも油断できない。オスニエルの婚約者候補らの中で不審な動きをする者がいるという報告もあるし、留学を申請してきた王女の件やマルセリオへの対応も協議しなければならない。
「・・・そうだ。いずれ例のクッキーの件も、エチとジュジュに話を聞かないといけないと父上が言っていた」
先ほど自戒したばかりだというのに。
話しかける口実を得た事を喜ぶ自分に気づき、情けないなとオスニエルは苦笑した。
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