125 / 128
静かに、響く
しおりを挟む王都の外れ。
かつてアレハンドロが生まれ、育った屋敷の裏手にある道を、二つの影が進んでいく。
小さな影と、それにぴったりと付くように後ろを進むのが大きい方の影だ。
コロコロと微かに車輪が回る音がするのは、小さい方の影が車椅子に乗っているためだろう。
それら影たちが橋の手前に来た時、車椅子を押していた大きな影がぴたりと止まる。
二人が目指す前方、橋の中央に、もう一つの影を認めたからだ。
「・・・ザカライアス、いいから進め」
「ですが」
「いいんだ。どうせ誰だか分かってる」
「・・・あの方ですか」
「ああ。丁度いい、あれを渡してしまおう」
「・・・分かりました」
ザカライアスは再び車椅子を押し始めた。
二人はゆっくりと、橋の中央に立つ人影へと近寄っていった。
「よう、レンブラント」
「・・・」
「やっと刑の執行許可を出してくれたな。だいぶ待たされたが・・・いちおう感謝しとくよ」
「・・・下らない言い方をするな。刑の執行なぞ・・・俺にそんな権限がある筈なかろう」
「ん~、じゃあ今日だけ警護の者たちをここから外してくれたことに感謝するってことにするか?」
「・・・相変わらず悪趣味な奴だ」
「死にたがってる奴を生かそうとする方が悪趣味なんじゃない?」
無表情で、いやどこか不機嫌な様子で返答するレンブラントを、アレハンドロは気にする風もない。ただいつもの様に飄々と言葉を継いだ。
「でも、感激しちゃうよ。まさかあんたが俺に最後のお別れを言いに来てくれるなんてさ」
「・・・お前に聞きたいことがあったから来た、それだけだ」
「へえ? あ、そうだ。俺もあんたに渡したいものがあったんだよな。ついでだから今、渡しとくよ」
アレハンドロはそう言うと右手をすっと上げた。
後ろに立っていたザカライアスが、車椅子の取手に括り付けていた鞄から袋を取り出す。
「・・・?」
「あんたからもらったって言う金。だいぶ使っちゃったけど、もう要らないから返しとく。補充できる分はしといたから」
その言葉と同時にザカライアスが前に進み出て、袋を三つレンブラントに差し出した。
「こちらの袋二つにはそれぞれ金貨二百枚ずつ、そしてこちらの袋には金貨八十二枚と銀貨六十枚、銅貨が五十枚ほど入っております」
「・・・」
差し出された袋三つに視線を落とすレンブラント、だがそれに手を伸ばそうとはしない。
するとザカライアスはそのまま袋をレンブラントの足元に置いた。
ザカライアスは静かにアレハンドロの背後に戻る。レンブラントは、アレハンドロをじっと見据えた。
「この金は、好きに使えとお前に渡したものだ。今さら返す必要はない。要らないと言うのならその男に与えれば良いだろう」
「ザカライアスにはちゃんと餞別をあげてあるから気にすんな。こいつもそれ以上は要らないってさ」
その言葉に頷きを返すザカライアスを見て、レンブラントは「例の商会か」と呆れたように言った。
「ああ、勿論あんたも知ってるよな。小さいけど、お陰さまで経営もなかなか順調でね。
こちらが新しい会頭さまになるから、あんたのとこのレジェス商会、いや、名前変えたんだっけ。
まあ、そことも長い付き合いになるかもな。今後ともよろしく」
「・・・」
レンブラントは黙って足元の袋へ視線を落とした。
「・・・商会を立ち上げるのに随分と金がかかった筈だが」
「言ったろ? 補充できる分はしといたって」
「・・・」
「あんたにも言い分はあるんだろうけどさ。それは受け取ってもらうよ?
元よりあんたは俺に払う義理なんてないんだ。俺はナタリアを死なせたくなかっただけだし、死刑になる原因作ったの俺だし」
巻き戻りについて知らないザカライアスはアレハンドロの言葉の意味が理解出来ず、背後で微かに眉を顰める。
レンブラントはそれに気づいたが、今さら咎めはしなかった。ただ黙って頷きを返す。
「けど、もう全部どうでもいいんだ。気がついちまった。やっぱりどこにも・・・ミルッヒはいないから」
そう言ったアレハンドロの眼はとても寂しげで、レンブラントはこれまでずっと感じていた疑問をつい口にした。
「・・・お前は、どうしてそんなに死んだ妹にこだわる? 大事にしていたという記録もなかったが」
「ははっ、やっぱり調べてあるんだ? まあ確かに、俺はさんざんミルッヒを傷つけてたけどさ、でも」
川の方へと顔を向ける。
その表情は懐かしげでありながら、悲哀を含んでもいる。
「ミルッヒは、俺の世界に色を付けてくれた・・・白と黒しかなかった世界に」
「・・・」
「あの日、ここでミルッヒが落ちた時・・・掴もうとした俺の手が間に合わなかった時、また世界は白と黒だけになった。食いもんの味も分からない、雑音ばかりの世界に戻っちまった」
レンブラントは顔を顰める。アレハンドロの背後に立つザカライアスも同様だ。彼はミルッヒの死後、数年経ってからレジェス商会に来た。ミルッヒとは会ったこともない。
「・・・ナタリアの涙を初めて見た時、見つけたって思ったんだ・・・ミルッヒを見つけたって」
でも、とアレハンドロは呟く。
「ナタリアはミルッヒじゃなかった」
何を当たり前のことを、とレンブラントは思った。だが咄嗟に出そうになったその言葉を飲み込む。
「ミルッヒは闘わない。いつだって、やられっぱなしだった。親父からも、母からも、使用人たちからも・・・俺からも」
「・・・」
「ミルッヒは、あんな風に闘おうとはしない。あんな・・・ナイフ持ってる奴にしがみついて止めるなんて」
眼下の川は、いつかの時のように微かな水音を立てて流れている。膨大な水を抱えながら、何事もなかったかのように静かに。
「あんなの、ミルッヒじゃない」
ただ静かに流れるだけだ。
「だから・・・もういいんだ」
アレハンドロは、ゆっくりと顔を橋の向こうへと向ける。
「この世界のどこにも、ミルッヒはいないって、やっと分かったから」
「・・・アレハンドロ」
「だから、今さら止めるなよ?」
「・・・」
レンブラントは唇を引き結び、目を瞑った。
アレハンドロはザカライアスに合図を送る。
それに頷いたザカライアスは、アレハンドロの車椅子を再び押し始めた。
「じゃあな」
「・・・」
車椅子がレンブラントの横を通り過ぎようという時、アレハンドロは唐突に呟いた。
「俺、あんたには散々やられたんだ。前の時」
「・・・は?」
「分かるだろ? 前の時だよ。あんた凄かったんだぜ、怒りまくってさ。すごい追い詰められた」
「・・・」
「あんたのああいう容赦ないとこ、結構気に入ってたよ」
橋の中央に辿り着き、アレハンドロはザカライアスの補助のもと、欄干の上へと昇る。
「・・・アレハンドロ」
下に流れる水流を覗き込んだアレハンドロの背に、レンブラントの声が被さるようにかけられる。
「ん?」
「お前に、聞きたいことがあるって言っただろ」
「・・・ああ、そうだった。なに?」
「・・・」
暫く押し黙った後、レンブラントの口が開く。語ったのは、アレハンドロが予想していなかった人のこと。
「ふうん」
アレハンドロは欄干の上で楽しそうに笑った。
「なんか、面白いことでも考えたのか? いいよ、教えてやるーーー」
季節は未だ初春。
風は少し肌寒く。
彼らの交わした言葉は、風の中へと消えていった。
それから、レンブラントはその場を立ち去って、そしてーーー
その後に静かに響いたのは、水の音。
それが、アレハンドロの最後の日の出来事だ。
71
お気に入りに追加
2,083
あなたにおすすめの小説
記憶を失くした彼女の手紙 消えてしまった完璧な令嬢と、王子の遅すぎた後悔の話
甘糖むい
恋愛
婚約者であるシェルニア公爵令嬢が記憶喪失となった。
王子はひっそりと喜んだ。これで愛するクロエ男爵令嬢と堂々と結婚できると。
その時、王子の元に一通の手紙が届いた。
そこに書かれていたのは3つの願いと1つの真実。
王子は絶望感に苛まれ後悔をする。
【短編】旦那様、2年後に消えますので、その日まで恩返しをさせてください
あさぎかな@電子書籍二作目発売中
恋愛
「二年後には消えますので、ベネディック様。どうかその日まで、いつかの恩返しをさせてください」
「恩? 私と君は初対面だったはず」
「そうかもしれませんが、そうではないのかもしれません」
「意味がわからない──が、これでアルフの、弟の奇病も治るのならいいだろう」
奇病を癒すため魔法都市、最後の薬師フェリーネはベネディック・バルテルスと契約結婚を持ちかける。
彼女の目的は遺産目当てや、玉の輿ではなく──?

【書籍化・3/7取り下げ予定】あなたたちのことなんて知らない
gacchi
恋愛
母親と旅をしていたニナは精霊の愛し子だということが知られ、精霊教会に捕まってしまった。母親を人質にされ、この国にとどまることを国王に強要される。仕方なく侯爵家の養女ニネットとなったが、精霊の愛し子だとは知らない義母と義妹、そして婚約者の第三王子カミーユには愛人の子だと思われて嫌われていた。だが、ニネットに虐げられたと嘘をついた義妹のおかげで婚約は解消される。それでも精霊の愛し子を利用したい国王はニネットに新しい婚約者候補を用意した。そこで出会ったのは、ニネットの本当の姿が見える公爵令息ルシアンだった。書籍化予定です。取り下げになります。詳しい情報は決まり次第お知らせいたします。
私は貴方を許さない
白湯子
恋愛
甘やかされて育ってきたエリザベータは皇太子殿下を見た瞬間、前世の記憶を思い出す。無実の罪を着させられ、最期には断頭台で処刑されたことを。
前世の記憶に酷く混乱するも、優しい義弟に支えられ今世では自分のために生きようとするが…。
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。

最愛の婚約者に婚約破棄されたある侯爵令嬢はその想いを大切にするために自主的に修道院へ入ります。
ひよこ麺
恋愛
ある国で、あるひとりの侯爵令嬢ヨハンナが婚約破棄された。
ヨハンナは他の誰よりも婚約者のパーシヴァルを愛していた。だから彼女はその想いを抱えたまま修道院へ入ってしまうが、元婚約者を誑かした女は悲惨な末路を辿り、元婚約者も……
※この作品には残酷な表現とホラーっぽい遠回しなヤンデレが多分に含まれます。苦手な方はご注意ください。
また、一応転生者も出ます。

不実なあなたに感謝を
黒木メイ
恋愛
王太子妃であるベアトリーチェと踊るのは最初のダンスのみ。落ち人のアンナとは望まれるまま何度も踊るのに。王太子であるマルコが誰に好意を寄せているかははたから見れば一目瞭然だ。けれど、マルコが心から愛しているのはベアトリーチェだけだった。そのことに気づいていながらも受け入れられないベアトリーチェ。そんな時、マルコとアンナがとうとう一線を越えたことを知る。――――不実なあなたを恨んだ回数は数知れず。けれど、今では感謝すらしている。愚かなあなたのおかげで『幸せ』を取り戻すことができたのだから。
※異世界転移をしている登場人物がいますが主人公ではないためタグを外しています。
※曖昧設定。
※一旦完結。
※性描写は匂わせ程度。
※小説家になろう様、カクヨム様にも掲載予定。
さよなら、皆さん。今宵、私はここを出ていきます
結城芙由奈@コミカライズ発売中
恋愛
【復讐の為、今夜私は偽の家族と婚約者に別れを告げる―】
私は伯爵令嬢フィーネ・アドラー。優しい両親と18歳になったら結婚する予定の婚約者がいた。しかし、幸せな生活は両親の突然の死により、もろくも崩れ去る。私の後見人になると言って城に上がり込んできた叔父夫婦とその娘。私は彼らによって全てを奪われてしまった。愛する婚約者までも。
もうこれ以上は限界だった。復讐する為、私は今夜皆に別れを告げる決意をした―。
※マークは残酷シーン有り
※(他サイトでも投稿中)
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる