上 下
100 / 128

ただそれだけで

しおりを挟む


「姉さま!」


ナタリアがバートランド公爵家が用意してくれた馬車で病院まで戻ると、病院に来ていたフリッツが笑顔で出迎えた。

なんとニコラスに肩車をしてもらい、上機嫌に手を振っている。


「フリッツ・・・それにニコラスさま」

「お帰りなさい、ナタリア嬢」

「おかえりなさ~い!」


フリッツは、あの日の再会以来、何度か病院に遊びに来るようになった。

ナタリアの自由時間はそれほど多くないため、あまり長くは相手してはやれない。


それでも、遠くに行ってしまう前にと、こっそり会いに来てくれている。

それは嬉しい。心から、嘘偽りなく嬉しいと思っているのだが。


「・・・フリッツ、どうしてあなたニコラスさまと・・・? それに何故ニコラスさまの肩に乗っかっているの? 早く降りなさい」

「え~、高くて気持ちいいのに」


姉に嗜められ、フリッツは口を尖らせる。
そんなフリッツを肩に乗せたまま、ニコラスが緩く笑った。


「ここでフリッツくんに声をかけられてね。ナタリア嬢の弟さんだと言うから、一緒に遊んでたんだ」


どうやらフリッツは、前にニコラスを見かけた時に顔を覚えていたらしい。

ナタリアと違い、フリッツは人懐こい。ニコラスを見かけて躊躇なく声をかけたようだ。


「ご用事があってここにいらしたのでしょうに、ご迷惑をおかけしました」

「ナタリア嬢。どうか気になさらず」

「・・・あの、ニコラスさま」

「うん?」


肩車で目線が高くなり大喜びの弟は、いつもと違って見える景色に目を奪われ、楽しそうに辺りを見回すのに夢中だ。


「・・・私はオルセンの籍を抜けました。もう貴族ではありません。ですから令嬢としての呼称は不要です」

「ああ、そうだったか。だけどそれなら俺も同じだ。俺も今は子爵令息でもなんでもない、ただのニコラスだよ。『さま』付けはいらないかな」

「あ」

「じゃあ、これからはナタリアさんと呼ばせてもらおうかな。では、俺のこともニコラスと」

「・・・分かりました。ニコラス、さん」

「はい。どうぞよろしく、ナタリアさん」


既に呼ばれ慣れている筈の『ナタリアさん』なのだが、ニコラスに改めてそう呼ばれるとどうにも気分が落ち着かない。


もじもじしていると、上から弟の無邪気な声が降りてきた。


「でも、ニコラスさまは騎士さまでしょ? じゃあやっぱりニコラスさまでいいんじゃないんですか?」

「まあ、騎士は騎士だけど、騎士爵をもらった訳でもないしね。ただの平民騎士なんだよ」

「そうなんですか。でも、ニコラスさまは背が高いし、強そうだからきっとすぐに『きししゃく』をもらえます!」

「はは、そうか。それは楽しみだな」


恐らく騎士爵についてはよく知らないのだろう、だがフリッツは自信満々に言い切り、その無邪気な発言を聞いたニコラスは嬉しそうに笑った。


「フリッツ、もうあなたったら。いい加減に降りて来なさい」

「え~? 僕、肩車してもらったの初めてなのに」


心から残念そうに言う弟に、ちょっと可哀想な気持ちにならないでもない。ナタリアは力がなくて弟を肩車なんて出来なかったし、父はそもそもそういう人ではない。

身近でフリッツにこんな風に接してくれる男性などいなかったのだ。
アレハンドロはフリッツを邪険にはしなかった。だが所詮その程度だったし、レオポルドもフリッツに優しくしてくれたが、肩車などは思いつきもしなかったらしく、一度もしていない。


それでもニコラスに申し訳なくて、再び弟を注意しようとした時、先にニコラスの方が口を開いた。


「本当に気にしないで、ナタリアさん。俺にも弟と妹がいるからね。肩車なんてしょっ中やってあげてたんだ」

「まあ」


ニコラスは確か三男だ。なのに、その下にさらに弟と妹がいるとは。


「ニコラスさんのところは大家族なんですね」

「まあ、そうなるかな。六人兄弟だからね。今はどうしてるか分からないけど、俺がいた時はいつも賑やかで煩いくらいだったよ」


だからこうして肩車をしてやるのも久しぶりで嬉しい、とニコラスは笑う。


「いいなぁ。僕もニコラスさまみたいなお兄さまが欲しかったなぁ」

「君には素敵なお姉さんがいるじゃないか」

「もちろん姉さまのことは大好きです。優しいし、姉さまの作るご飯はすっごく美味しいんです。でも、肩車は無理だもん。僕が乗ったら潰れちゃう」

「はは、それは確かに無理だろうな」


すっかり打ち解けた様子の二人に、ナタリアは内心驚いていた。


ナタリアがバートランド公爵家に行っていたのはそれ程長い時間でもない。

滞在時間は一時間程度。行き帰りの馬車に要した時間を入れても二時間といったところだろう。


一体いつ頃から一緒に遊び始めたのか分からないが、これが男同士の付き合いというものなのだろうか。


などと考えていたナタリアは、ここで気づく。なぜか自分の目の前にいる二人は随分と薄着だ。

真冬のこの時期。早春とも言えなくはないが、かなりの肌寒さだ。

どこかで上着を脱いだのだろうか。それにしても寒そうには見えないが。


「・・・あの、ちなみに肩車の前は何を?」

「ああ、剣術のしな・・・」

「チャンバラごっこです!」


ニコラスが答えるより早く、フリッツが誇らしげに声を上げた。


「チャンバラごっこ・・・」

「チャンバラかぁ。けっこう真面目に指南したんだけどなぁ」


弟の返事をおうむ返しに口にしたナタリアに、フリッツは眉を下げた。


その後、姉弟でゆっくり話したいだろうと病院から去って行ったニコラスを見送って、ナタリアはハタと気づく。


ニコラスは何の用でここに来ていたのだろうかと。


バートランド公爵家から帰って来たナタリアの顔色が、表情が、明るかった。それだけでニコラスが心から安堵していたことなど、ナタリアは知らない。


その様子を見るためだけに、仕事の休暇を取ったことも。



しおりを挟む
感想 56

あなたにおすすめの小説

【取り下げ予定】愛されない妃ですので。

ごろごろみかん。
恋愛
王妃になんて、望んでなったわけではない。 国王夫妻のリュシアンとミレーゼの関係は冷えきっていた。 「僕はきみを愛していない」 はっきりそう告げた彼は、ミレーゼ以外の女性を抱き、愛を囁いた。 『お飾り王妃』の名を戴くミレーゼだが、ある日彼女は側妃たちの諍いに巻き込まれ、命を落としてしまう。 (ああ、私の人生ってなんだったんだろう──?) そう思って人生に終止符を打ったミレーゼだったが、気がつくと結婚前に戻っていた。 しかも、別の人間になっている? なぜか見知らぬ伯爵令嬢になってしまったミレーゼだが、彼女は決意する。新たな人生、今度はリュシアンに関わることなく、平凡で優しい幸せを掴もう、と。 *年齢制限を18→15に変更しました。

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

愛された側妃と、愛されなかった正妃

編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。 夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。 連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。 正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。 ※カクヨムさんにも掲載中 ※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります ※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。

【完】愛人に王妃の座を奪い取られました。

112
恋愛
クインツ国の王妃アンは、王レイナルドの命を受け廃妃となった。 愛人であったリディア嬢が新しい王妃となり、アンはその日のうちに王宮を出ていく。 実家の伯爵家の屋敷へ帰るが、継母のダーナによって身を寄せることも敵わない。 アンは動じることなく、継母に一つの提案をする。 「私に娼館を紹介してください」 娼婦になると思った継母は喜んでアンを娼館へと送り出して──

婚約者から婚約破棄をされて喜んだのに、どうも様子がおかしい

恋愛
婚約者には初恋の人がいる。 王太子リエトの婚約者ベルティーナ=アンナローロ公爵令嬢は、呼び出された先で婚約破棄を告げられた。婚約者の隣には、家族や婚約者が常に可愛いと口にする従妹がいて。次の婚約者は従妹になると。 待ちに待った婚約破棄を喜んでいると思われる訳にもいかず、冷静に、でも笑顔は忘れずに二人の幸せを願ってあっさりと従者と部屋を出た。 婚約破棄をされた件で父に勘当されるか、何処かの貴族の後妻にされるか待っていても一向に婚約破棄の話をされない。また、婚約破棄をしたのに何故か王太子から呼び出しの声が掛かる。 従者を連れてさっさと家を出たいべルティーナと従者のせいで拗らせまくったリエトの話。 ※なろうさんにも公開しています。 ※短編→長編に変更しました(2023.7.19)

わたしのことはお気になさらず、どうぞ、元の恋人とよりを戻してください。

ふまさ
恋愛
「あたし、気付いたの。やっぱりリッキーしかいないって。リッキーだけを愛しているって」  人気のない校舎裏。熱っぽい双眸で訴えかけたのは、子爵令嬢のパティだ。正面には、伯爵令息のリッキーがいる。 「学園に通いはじめてすぐに他の令息に熱をあげて、ぼくを捨てたのは、きみじゃないか」 「捨てたなんて……だって、子爵令嬢のあたしが、侯爵令息様に逆らえるはずないじゃない……だから、あたし」  一歩近付くパティに、リッキーが一歩、後退る。明らかな動揺が見えた。 「そ、そんな顔しても無駄だよ。きみから侯爵令息に言い寄っていたことも、その侯爵令息に最近婚約者ができたことも、ぼくだってちゃんと知ってるんだからな。あてがはずれて、仕方なくぼくのところに戻って来たんだろ?!」 「……そんな、ひどい」  しくしくと、パティは泣き出した。リッキーが、うっと怯む。 「ど、どちらにせよ、もう遅いよ。ぼくには婚約者がいる。きみだって知ってるだろ?」 「あたしが好きなら、そんなもの、解消すればいいじゃない!」  パティが叫ぶ。無茶苦茶だわ、と胸中で呟いたのは、二人からは死角になるところで聞き耳を立てていた伯爵令嬢のシャノン──リッキーの婚約者だった。  昔からパティが大好きだったリッキーもさすがに呆れているのでは、と考えていたシャノンだったが──。 「……そんなにぼくのこと、好きなの?」  予想もしないリッキーの質問に、シャノンは目を丸くした。対してパティは、目を輝かせた。 「好き! 大好き!」  リッキーは「そ、そっか……」と、満更でもない様子だ。それは、パティも感じたのだろう。 「リッキー。ねえ、どうなの? 返事は?」  パティが詰め寄る。悩んだすえのリッキーの答えは、 「……少し、考える時間がほしい」  だった。

王妃の仕事なんて知りません、今から逃げます!

gacchi
恋愛
側妃を迎えるって、え?聞いてないよ? 王妃の仕事が大変でも頑張ってたのは、レオルドが好きだから。 国への責任感?そんなの無いよ。もういい。私、逃げるから! 12/16加筆修正したものをカクヨムに投稿しました。

さよなら、皆さん。今宵、私はここを出ていきます

結城芙由奈@12/27電子書籍配信中
恋愛
【復讐の為、今夜私は偽の家族と婚約者に別れを告げる―】 私は伯爵令嬢フィーネ・アドラー。優しい両親と18歳になったら結婚する予定の婚約者がいた。しかし、幸せな生活は両親の突然の死により、もろくも崩れ去る。私の後見人になると言って城に上がり込んできた叔父夫婦とその娘。私は彼らによって全てを奪われてしまった。愛する婚約者までも。 もうこれ以上は限界だった。復讐する為、私は今夜皆に別れを告げる決意をした―。 ※マークは残酷シーン有り ※(他サイトでも投稿中)

処理中です...