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あなたは狡い

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陽光を受けて煌めく刃を前に、アレハンドロが思ったことはただ一つ。


ミルッヒ。


その名前だけだった。


ああ、やっとだ。
やっとお前のところに逝ける。今度こそ。


口元が僅かに綻ぶ。

刺しやすいようにと身体を父の正面へと向けた。


ずっと、ずっと、お前のところに逝きたかった ---




けれど、運命はそんなに単純ではなく、優しくもない。

アレハンドロは一度、いや二度になるのだろうか、死を望んだナタリアの願いを阻んでいる。

そしてやはり、良い意味でも悪い意味でも、因果は巡るものだから。


刃を振り上げたマッケイの背後から華奢な腕がしがみついて来て止めたのも、それがナタリアの手であったのも、ある意味では当然の起結だったのかもしれない。


「やめて・・・っ!」


たとえどれほど強く、心の奥底から、目の前の男に殺されたいとアレハンドロが思っていても。


「・・・っ、邪魔を、するなっ!」

「きゃっ・・・っ!」


アレハンドロが命を救ったナタリアが、今アレハンドロの死の願いの邪魔をする。


もみあう二人を呆然とアレハンドロが見ていると、細いナタリアの体はいとも簡単に弾き飛ばされた。


尻餅をついたナタリアが顔を上げると、二人の様子をじっと見ていたアレハンドロと目が合った。



「・・・馬鹿っ! アレハンドロの馬鹿! どうして・・・っ」


ぶつけた箇所が痛むのだろう、右肩を押さえながらナタリアが叫ぶ。

マッケイは、ナイフをめちゃくちゃに振り回しながらアレハンドロの方へと向かった。


「どうして・・・っ、殺されそうになって喜んでいるのよ・・・っ!」

「・・・っ」


アレハンドロは言葉に詰まる。


だって。

だってそんなの。

当たり前じゃないか。
そこにしかミルッヒはいないのだから。



「ごちゃごちゃ煩いぞっ! だいたい私がこんな目に遭ったのは、お前のせいでもあるんだっ!」


振り返り、ナタリアに向かってそう叫んだかと思えば、再びマッケイは息子へと視線を戻した。


病室の外からは、複数の足音が近づいて来る。


アレハンドロの前に立ったマッケイが、もう一度ナイフを振り上げる。

開いたままの扉から、人影が現れた。


「いっ・・・っ!」

「駄目っ!」


ナタリアの悲鳴のような制止の声と重なるように、病室内で低い声が響いた。


「動くな」


病院の警護担当の者よりも早くそこに飛び込んで来たのは、レンブラントに遣わされたストライダム侯爵家の騎士、ニコラスだった。


アレハンドロの左胸に僅かに突き刺さったナイフを持つマッケイの右手を、中途で掴んだニコラスがぎりりとねじり上げる。


呻き声を上げながら、マッケイがナイフを持つ手を緩めた。


切先に血のついたナイフが、乾いた音を立てて床に転がり落ちる。


数分遅れて、ザカライアスが呼んだ病院警護の男たちも現れた。


ニコラスは床に落ちたナイフを取り上げ、警護の男二人がマッケイの身柄を確保した。


未だ喚き立てるマッケイを横目に、ナタリアはアレハンドロが座っているベッドの側に立った。


見下ろせば、実の父親がナイフを振り上げた時とは真逆の表情。


絶望の色が、アレハンドロの瞳に浮かんでいた。



「ナタ、リア・・・」

「・・・アレハンドロは、ずるいわ」


アレハンドロが目の前の女性を本当の名で読んだことなど、今の状況では気づく余裕もなく。


沸き立つ感情のままに、ナタリアは言葉を継いだ。


「私を生かそうとするくせに、いつも自分は一人死のうとして。おかしいでしょ、そんなの。私だって死にたかった。あなたがそれを止めたのに」


警護の男は既にマッケイを連れて病室から出ていた。人物がマッケイだったこともあり、商会員だったザカライアスが付き添う事になる。


アレハンドロの左胸につけられた小さな切り傷の治療を終えると、その場にはナタリアとアレハンドロと、そしてニコラスだけが残された。


「アレハンドロは、ずるい」


そしてナタリアは同じ言葉を繰り返した。


「・・・見てよ、アレハンドロ。私は前を向こうとしてるわ。生きてるのも辛いけど、こうして息をしてるだけでもみっともないと思うけど、それでも生きようとしているの」


涙が、ナタリアの眼から溢れた。


やはりこの子は泣き虫だ。そんなところは、どうやっても変わらない。


そんなことを思ったのは、アレハンドロか、それともニコラスなのか。


二人の心情など知る由もないナタリアは、涙を拭うこともせず、次の言葉を言うために再び口を開く。


「レオとお別れをしたわ。噂されても学院に通い続けた。口をきいてくれない令嬢だって相変わらず何人もいるし、ここに住まわせてもらうためにお手伝いもしてる。
・・・お、お父さまとは最後まで分かり合えなかったけど、もう割り切れたと思う・・・ベアトリーチェさまに申し訳なく思う気持ちだけはどうにも出来ないって諦めるしかないけど」


後ろで静かに見守っていたニコラスが目を見開く。


ここで主の妹ベアトリーチェの名前が出てくるとは思わなかったからだ。だが勿論、口を挟むような無神経な真似はしない。


「わた、私は、レオが申し出てくれた援助をどうするか決めたの」


アレハンドロは、最初に一言発したきり何も言わなかった。ただじっとナタリアを見つめている。


「看護学校に行くわ。ここじゃないけど、寮があって、病院に付属して見習いとして働きながら勉強できるところがあるの。だから、アレハンドロ」



ナタリアは、大きくひとつ息を吸った。


「あとふた月、ううん、卒業したら直ぐにそちらに移るつもりよ。だから・・・」


ナタリアは一度、言葉を切った。


「・・・その時が来たら、私はあなたから離れるわ」

「・・・っ」



その時、その言葉に息を呑んだのは、確かにアレハンドロだけではなかった。




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