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読めない人
しおりを挟む「おやまあ、ストライダム卿ではありませんか。もしかして、わざわざ書類を取りにいらしたのですか?」
文官服を着た細身で小柄な男性が、レンブラントを見て立ち上がった。
王宮の内務部。
その第一課の副室長補佐がレンブラントだ。
内務部は内政全般を担当する。
そこの第一課は文官であれば誰もが憧れる花形部署で、彼はあろうことか、二十二歳という若さで副室長補佐というポストを任されていた。
「せっかくの休暇にここにまで顔を出すのは嫌だったんだが、他人に任せていい書類じゃないし」
「休み明けに書類の山に埋もれる、という選択肢もございましたが」
どうやら機密書類らしい。
本当は内務部から出さないのが原則だが、本人のみの手で運搬するという条件付きで特別に認められたようだ。
「それが嫌だからわざわざこうして取りに来たんだろ。分かってて言うなよ、アレク」
「ふふ。申し訳ございません。条件が条件でしたのでお届けに上がる訳にもいかず」
「仕方ないさ。持ち帰るのを忘れた俺のミスだ。久しぶりの休暇に浮かれてたのかな」
「まあ確かに。最近のレンブラントさまは、特に機嫌が良くてらっしゃいましたからね。妹さんの体調がそれだけ良くなられたという事なのですから、喜ばしいことではありますが」
レンブラントの妹への過保護ぶりはここでも有名らしい、レンブラントの部下の言葉に、ニコラスはそう判断した。
まあ、病気の妹に悪いからって浮いた話の一つもないんだもんな。
名家ストライダムの嫡男に未だ婚約者もいないことを、ニコラスは私設騎士団に入るまで知らなかった。
成人になると同時にトラッド子爵家の籍から離れるニコラスは、さほど社交界に興味もなく。
流石に嫡男レンブラントの名前くらいは知っていた。が、まさかの婚約者不在には驚かされた。
それと同時に、ニコラスはレンブラントの情の深さに改めて感動したのだった。
心から尊敬する主君に出会えた幸運を噛み締めながら、護衛らしく黙って後ろに控えたニコラスは二人のやり取りを見守る。
「せっかくおいでになったのです。お茶でも飲んでいかれますか、ストライダム卿?」
少し高めの、柔らかい声が尋ねる。
いや、とレンブラントは首を横に振った。
「お茶に釣られて座ったら目の前に書類を積まれそうだからな。直ぐに帰る」
「おや、お見通しでしたか」
残念です、と笑うその部下はなかなかに胆力があるとニコラスは感心した。
なにせ、あのレンブラントに物おじもせず堂々と話しかけ、挙句ところどころに揶揄も交えているのだ。
文官で細身のタイプは珍しくない。
頭脳派だけではなく、体格や性格が武官向きではないという理由で文官を目指す人たちも多いからだ。
だが、このアレクと呼ばれた部下は態度こそ堂々としているが、それにしても体の線が細いし背も低い。
整った顔立ちをしているが、長い黒髪をきっちりと一つにまとめ背中に垂らし、凛とした清潔感のある真面目そうな文官だ。
この人も随分と若く見えるけど。
第一課に所属してレンブラントさまの部下になるくらいだから、相当に優秀なんだろうな。
いや、でも。
いくら頭脳派だとしても細すぎる。これじゃ剣なんて持ってもいられないだろう。
いくら文官でも、護身が必要な時はあるだろうに。
「どうした?」
馬車へと戻る回廊を進みながら、あれこれと考えを巡らせていたニコラスに声がかかる。
「あ、いえ。さっきのレンブラントさまの部下の方、やけに細身だったので少し気になりまして」
「・・・アレクのことが?」
「あ、はい。護身も必要だろうに、あの細腕では剣も持てないだろうと」
「ああ・・・なんだ、そっちか」
「・・・はい?」
「いや。何でもない。まあ、女の細腕に大振りの剣は無理だろう。念のために小刀を仕込ませてはいるが」
「・・・は?」
今、なんて言った?
オンナ?
オンナノホソウデ?
「・・・あの、レンブラントさま?」
ニコラスは恐る恐る口を開く。
「アレクさま、と仰っておられませんでしたか? その、男性名のように思うのですが。本当に、あの、じょ、女性の方なので?」
「ああ。正式にはアレクサンドラという。れっきとした伯爵令嬢だ」
アレクサンドラ、それで略名がアレク、いや、紛らわしすぎないか?
「確か、文官の女性には女性用の文官服が支給される筈だったと記憶してますが」
「そうだな。その通りだ」
「ですが、先ほどの方は男性用の文官服を身につけてらっしゃいましたよね」
「ああ。別に男装を隠している訳じゃないらしいが、何やら本人の意向でな。室長も許可している」
「・・・」
そんなに緩くていいものなのか?
考えていることが顔に出ていたのだろう、レンブラントが苦笑した。
「詳しい理由は聞いてないが、男と勘違いされてる方が都合が良いのかもしれないな。いない訳ではないが、まだまだ女性の文官の数は少ない。
あってはならないことだが、他所ではたまに女性文官が面倒なことに巻き込まれることもあるらしいし」
「・・・はあ」
「女であることを隠してる訳じゃない。だが、一見して男性に間違われれば、その方が良いと思ってるのかもな。
まあ室長なら理由を知ってるかもしれないが、俺はただあいつの直属の上司ってだけだし」
そんなことを話しながらそのまま馬車に乗り込むが、先ほどの男装文官伯爵令嬢に衝撃を受けたニコラスは、行きとは打って変わって眠気がなかなか訪れず。
身体を休めつつ窓からの景色を眺め、それでもやがて疲労に負けてニコラスが少しうとうとし始めたのは、帰りの道のりも半分ほど進んだ頃だろうか。
「・・・そうか。ウヌカンが」
「はい。いかがいたしましょうか」
「今はどうとも判断しかねるな。俺はこのままストライダム家に戻り情報を集める。
ニコラスにも行ってもらうか。偶然だが連れて来ていて良かった」
「分かりました。ではそのように伝えて来ます」
静かな話し声に、沈みかけていたニコラスの意識が反応する。
目を開ければ、窓の外にいる護衛と話をしていたレンブラントが視線を向けていた。
「起きたか」
「・・・レンブラントさま? 何かあったのでしょうか」
「ストライダム家からの早馬がこの馬車を止めた。先ほどスタンが対応したところだ」
レンブラントは、もう一人の護衛の名前を口にする。
王宮に向かい、忘れ物を取って帰るだけ。
少しの談笑はしたが、ストライダム家を出発してから二時間も経っていない。
それなのに早馬を寄越し、しかも現れたのはあのウヌカンだと言う。
「あの、すみませんでした。レンブラントさま。俺うっかり眠ってしまって」
「寝かせるつもりで乗せたんだ。何の問題もない。まあ、今から動いてもらうつもりでいるがな。
まだはっきりとした情報ではないのだが・・・どうも怪しい。お前に行ってもらいたい所がある」
「なんなりと」
ニコラスは姿勢を正した。
・・・緊急事態、ってことだよな?
主君を見るも、その表情からは何も読み取ることは出来ない。
「ウヌカンが今、馬を手配している。お前はそれに乗って、俺が今から言う場所に行き、異常がないか確認してくれ。ここから行くのが一番近い。
スタンは俺の護衛としてここに残す。・・・頼んだぞ」
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