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空色の髪の少年
しおりを挟む--- 私、あなたみたいな子、嫌いよ。ナタリア ---
少し潤んだ瞳が鋭く細められる。
つい昨日まで、友達だと笑いあっていた少女が、言葉のナイフを振り上げた。
違う、違うわ。ニーナ。
それを壊したのは私じゃない。
そんな言葉が彼女に真っ直ぐに届く筈もなく。
出会って二か月程の小さな友情の芽は、あっけなく踏み潰された。
ああ、まただ。
どうしていつも。
私は、嫌われてしまうのだろう。
鏡の前で泣いて問うても、目の前に映り込む自分は何も答えてはくれなかった。
今度こそ仲良くなれる。
きっと、この子とは。
そう思うたび、すぐに現実を突きつけられ、やがて思い知る。
親しくならなければいい。
挨拶するだけ、たまに声をかけるだけ。
壊れるような関係を築かなければ、後で泣くこともない。
何が、そして誰が原因でそんな事が起きていたのか知らなかったナタリアは、そうやって心を守るしかなかった。
--- ナタリア。お前を直接泣かせるのは他の奴らの役目だった、そしてお前を笑わせるのが俺の役目。
お前はそれに合わせて泣いたり笑ったりしてりゃ良かったんだ ---
そんな。
あなただったの、アレハンドロ。
あなたが。
あなたが、今までのことを全部。
「・・・あ・・・」
目覚めた時、ナタリアの額には汗で前髪が張り付いていた。
見上げれば、最近になって随分と見慣れてきた灰色の天井。
ナタリアが間借りしているスタッフ用の居住スペースの一室だ。
ナタリアは寝床の上で起き上がり、ゆっくりと息を整えた。
「・・・最近はあまり夢に見なくなってきてたのにな・・・」
カーテンの隙間から見える色はまだ薄暗い。
夜明け少し前といったところだろうか。
張り付いた前髪をかきあげ、ナタリアは深く息を吐いた。
毎日の労働で疲労の溜まった体はまだ睡眠を求めている筈なのに、再び横になっても眠れる気はしなかった。
アレハンドロがナタリアを攫い、森の中の隠れ家に連れて行った日。
あの日、それまでずっと何も知らないままにナタリアの周りで起きていた事の全てを知った。
大事な物が消える理由。
友達だと思った人が離れていく原因。
アレハンドロがナタリアを通して見ていたもの。
消えてなくなった時間にナタリアが犯した罪。
そして、ナタリアがレオポルドと結ばれてはいけない理由まで。
森の中の隠れ家に攫われ、時間が巻き戻る前の出来事について聞かされた時。
アレハンドロはあの時もナタリアに薬を盛った後はここに連れ込むつもりだったと言った。
判断がつかない状態のまま婚姻届けにサインをさせ、レオポルドの後妻になるのを阻止したかったと。
--- その前に、ベアトリーチェの部屋に飛び込んで行かれちゃったけどな ---
虚に笑うアレハンドロに、どうしてそれほど自分に執着するのか分からず首を傾げた。
けれど、もしアレハンドロの言うように、今のこの時が巻き戻りによるやり直しなのだとしたら。
何をまずやり直すべきかと問われれば、答えは一つしか思い浮かばなかった。
アレハンドロの異常な執着、ライナルファ侯爵家の窮状の原因、ナタリアがベアトリーチェを妬んだ経緯、そしてベアトリーチェは命を落とすことになったそのそもそもの始まりは。
ナタリアのレオポルドへの恋だ。
それはナタリアにとっては希望でしかなかったものだけれど。
使い勝手の良い駒としか自分を見てくれない父と、場当たり的な対応しかしない母と、何も知らず姉に頼る無邪気な幼い弟と。
先の見えない日々を送りながら、メイドと並んで家事をこなしながら、それでも笑うしかないと笑みを浮かべながら。
自分には王子さまがいるから大丈夫だと言い聞かせて日々をやり過ごした。
この想いがあったから、やり過ごすことが出来たのだ。
けれど、もう夢は見られない。あの腕の中には戻れない。
だから、あの時あのまま隠れ家で救助を待つ選択は出来ず、アレハンドロの後を追う。
共に堕ちてしまおうと、そう思ったから。
なのに。
--- お前まで死ぬのは許さないよ ---
当の本人が、欄干の上に立って水流を眺めておきながらそんな言葉を告げた。
アレハンドロはナタリアを安全な場所へと突き飛ばす。
そうして自分ひとり、欄干からゆっくりと体を傾けていく。
ナタリアはよじ上った欄干を思い切り蹴り、ゆっくりと落ちて行くアレハンドロの胸を目がけて飛び込む。
駄目だと言われても聞けなかった。
だって。
もう、頑張れる気がしなかった。
もう、楽になりたかった。
生きている方がずっと辛い。
こんな、自分の存在自体が罪であるような世界で、生きろなんて言って欲しくなかった。
だけどアレハンドロはこんな時もやっぱりアレハンドロで。
彼の手がナタリアを強く抱き込む。
彼の身体がナタリアを覆う。
大事そうに、とても大事そうに。
しっかりと抱きしめて。
そうして、二人は落ちていった。
結果、右肩を脱臼した以外ナタリアに大した怪我はなく、だが、アレハンドロは二週間ほど意識が戻らず。
その後ようやく意識が戻ったと思えば、彼は六歳以降の記憶を失っていた。
「ミルッヒ」
ナタリアの命を繋いだアレハンドロは、彼女を妹と呼ぶ様になる。
アレハンドロによって殺されたと皆が信じて疑わなかった妹の名を、彼は嬉しそうに、懐かしそうに、そして少し切なげに口にする。
記憶を失くしてから、アレハンドロはナタリアが見たこともない表情で笑うようになった。
幸せだと言わんばかりの柔らかい表情、それを目にするたび、ナタリアは胸がぎゅっと掴まれたような痛みを感じる。
この笑顔が向けられる先に、自分がいないことをナタリアは知っているから。
出会った時から、彼が自分に妹の姿を追い求めていたことにやっと気づいたから。
何もかも失ったような気持ちになりながら、それでも出来ることならあの家には戻りたくないと思った。
自分にはレオポルドと共になる未来はない、でももし選べるのなら、金のためだけにどこぞの後妻にさせられるのは嫌だと思ってしまう。
贅沢だろうか。我儘なのだろうか。そう思いつつも、それでもどうしても。
だから、せめてこの先の道は自分で選べるようにというレオポルドの提案に一縷の望みを繋いで頷いた。
病院のスタッフ用の居住スペースに部屋を借り、手伝いをしながら学園にも通う毎日を送り始め、そんな生活も既に四か月が経とうとしている。
ライナルファ侯爵家からの援助金の使い道も決まり、この先の願いも伝えた。
オルセン子爵家からの除籍手続きも終わり、来週には正式に通達が出される事になっている。
そうなれば正式に立場は平民になる。
学園での立場はさらに微妙になるが、あと二か月程で卒業だ、大した問題は起きないだろう。
いや起きたとしても構わない。
もう慣れっこだ。
頭の中ではぐるぐると思考が巡り、それでも体ば無意識のうちに洗濯を終えたシーツを一枚一枚取り出しては張り出したロープにかけていく。
ふと視線を落とせば、ベアトリーチェのくれたクリームのお陰でかなり傷が改善された指先が見えた。
お礼を言いたいな。
ああ、でも。
そんな機会なんてないよね。
ナタリアは一瞬、遠い目になる。
・・・そうだ。
ニコラスさまにもきちんとお返事をしなければ。
あんな風に言ってくれたけど、やっぱり私は。
生きているだけで罪深い私では、あの方にはとても。
そんな事を考えながら、最後の一枚と籠からシーツを取り出した時。
ナタリアの背中に、ぎゅっと抱きついてきた小さな手があった。
「姉さま・・・っ、見つけた・・・っ」
ナタリアは振り返って目を瞠る。
「フリッツ・・・?」
ナタリアと同じ空色の髪。
髪を短く切り揃えた九歳の少年の顔は、大好きな姉に久しぶりに会えた喜びで輝いていた。
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