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本物の恋
しおりを挟む「・・・いや、それは考え過ぎだと思うぞ」
週末の午後。
久々に休みを取れたレンブラントは、自邸の中庭にある四阿で、ベアトリーチェとテーブルを挟んでお茶を飲んでいた。
自分ばかりが幸せになっているようで少し心苦しいと話した時の、レンブラントの返答だ。
「そう、かしら」
「そりゃそうだろ。お前はどうしてもあの娘とレオが結ばれてほしい様だが、好きあっている者同士が結婚したからって必ず幸せになるとも限らない」
「そんなこと」
「じゃなきゃ大抵が恋愛結婚で結ばれる平民の離婚率は、ほぼゼロの筈だろ」
「・・・むむ」
「あのな、トリーチェ」
レンブラントは呆れ声で続ける。
「お前とエドガーみたいなケースの方が稀なんだよ」
未だ納得がいかない様子のベアトリーチェの頭を、ぽんぽんと叩く。
「好きになった相手が同じく自分を好いてくれていて、二人の間に身分の差も経済的な問題もなく、互いをよく知っていて支え合える関係を育んで・・・そんな相手がいるというのは一種の奇跡なんだぞ。
誰もがそんな恋を出来る訳じゃない」
ぽかんと口を開け、兄を見上げたベアトリーチェを、レンブラントはじろりと睨む。
「なんだ、その目は」
「いえ、お兄さまが恋愛を語ると、どうも響きが胡散臭くなるなと思って・・・」
と、口にしたところで両頬をむぎゅっとつままれる。
「・・・減らず口を叩くのはこの口か?」
「いひゃい! お、おひいひゃま、いひゃいでふ」
「全く。体の調子が良くなってきたせいか、生意気な口ぶりまで絶好調だな?」
「ごめんなひゃい」
ベアトリーチェが涙目で謝ると、ようやくほっぺをつまんでいた手が放される。
「お兄さま」
ベアトリーチェは、兄に引っ張られたばかりの頬を手でさすりながら言葉を継いだ。
「さっきの話ですけど、私は今のエドガーさまとでは身分差が出来てしまったのではないですか。エドガーさまは生まれは同じ侯爵家ですけど、今は平民になってますもの」
「・・・ああ、それな。それもまあ、あまり問題にならなさそうって言うか」
「え?」
面倒そうに頭を掻きながら、仕方ないと言葉を継ぐ。
「エドガーが今、研究開発に参加してる薬、つまりお前の病いを治す薬な。あれの開発に成功したら、その功績で十中八九あいつは叙爵されるだろうから」
「・・・へ?」
「まあ、それだけ価値がある薬だって事だ。だがもし叙爵されなかった場合でも、うちに子爵位が余ってる。その時はお前が子爵位をもらって、エドガーを婿にとれば問題ない」
「・・・はあ」
「逆にお前が平民になるって手もあるが、お前に家事の一切合切が出来る訳ないしな。恋をしたら自動的に料理が上手くなるとか言うなら話は別だが、世の中そう甘くないだろ」
「・・・」
「お前、不器用だもんな」
そうしみじみと呟かれてから、エドガーの方が料理が上手いんじゃないかとまで言われ、何となく負けた気がしたベアトリーチェだったが、そうやって軽口を叩く兄が何故かとても嬉しそうなので、この場は言われっぱなしにしようと思った。
「大体さ、お前が自分の幸せに罪悪感を持つ必要なんてないだろ」
レンブラントが呆れたように言う。
「・・・そう、かしら」
「当たり前だ。別にお前は使命を託されて時間を遡った訳じゃない。
巻き戻りを計画したアレハンドロはあの娘の処刑を避けたかっただけだろ。それなら目的は果たされた訳だ。
お前が責任を感じる必要がどこにある」
「それは・・・そうかもしれないけど」
今まで、自分の未来など思い描いたことがなかったのだ。いずれ衰弱して死ぬと分かっていたから。
だからずっと、周りの人たちが幸せになる事しか願っていなかった。
そのせいなのか、いざ幸せに包まれると、どうして良いか分からなくなってしまう。
「なぁ、トリーチェ」
難しい顔で考え込んだベアトリーチェを見て、レンブラントは苦笑する。
「お前には巻き戻り前の記憶がある。恐らくは、お前の遺体を媒体に使ったせいだろう。だが責任を感じるな。お前も巻き込まれた側だ。
記憶がないだけで、巻き戻ったのは俺もレオポルドもあの娘も同じだ。未来を知っていようが知っていまいが、皆それぞれが自分の人生に責任を持つべきなんだよ」
「・・・」
「現に、エドガーは何も知らない時からずっと頑張ってたろ。お前を助けたくて、いつか奥さんにするんだってさ。そして、どうやらそれは見事に叶えられそうだ」
「・・・お兄さま」
「揶揄ってる訳じゃない。ただ、それが普通だって言いたいだけ」
「それが・・・普通」
自分の幸せを喜んでもいい。願ってもいい。
そうしても、いい。
小さく呟いた妹の頭を、レンブラントはそっと撫でる。
「そうだ、トリーチェ。お前は幸せになっていいんだよ」
その言葉に、ベアトリーチェは顔を上げる。
目の前には、優しい兄の笑顔があった。
「と言うか、是非とも幸せになってくれ。ベアトリーチェ」
翌日、エドガーからの手紙が届いた。
相変わらず、どこかで採取して作ったらしい押し花も同封されている。
留学が決まった当初、ベアトリーチェはエドガーが自分の薬のために隣国まで行く事にしたとは知らなかった。
だから、遠い地にいるエドガーに心配をかけたくなくて、手紙にはなるべく良いことばかりを書いていた。
体調や症状の悪化については何も触れず、面白いこと、楽しかったことばかりを、たとえ聞きかじった話でも、とにかく良い話だけで埋め尽くした。
結局それにエドガーが騙される事はなかったし、三か月ごとに会いに来てくれたから症状などバレバレだったけれど、後になって自分のために薬を開発しようとしていると知ってからは、意地も見栄も張らずにありのままを書き綴るようにした。
不整脈で動悸がするとか、立ち眩みが酷くなったとか、体重が落ちたとか、食欲がないとか、小さな変化でも細かに。
それがとても良かったのだとエドガーは言う。
彼によると、作ろうとしている薬はとても効果がある代わり、ある意味強すぎて、一定の体力がない人には体に負担をかけてしまう恐れがあるのだとか。
だから、病気に直接は関係しない体力を上げる薬草とか、安眠効果のあるハーブとかも送ってくれている。
一時的に症状を改善する薬までは出来ていた。
あとは、その効果を持続させるための『何か』をエドガーたちは模索している。
来年の完成を目指していると言う。
薬が無事出来た時に直ぐに飲むことが出来るように、苦くても体質改善の薬草茶は欠かさず飲んでほしいとエドガーからは言われていた。
アーティ、いつも君を想っているよ。
最後に付け加えられた一文に、頬が緩む。
最近のエドガーの手紙は、日を追うごとに甘さを増している。
ベアトリーチェとの未来を本当に楽しみにしてくれているのだと、読むたびに実感するくらいに。
「早く・・・逢いたいな」
ベアトリーチェは、エドガーからの手紙をそっと胸に抱き、小さく呟いた。
次のエドガーの来訪予定は、まだ一か月半も先。
大切で、大好きで、離れたくなくて、思うだけで胸が苦しくなる人。
ベアトリーチェは今、本物の恋をしている。
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