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今さら
しおりを挟む「ナタ、リア・・・?」
訝しげにエドガーが問い返す。
それから、彼もまた窓の外へと視線を移した。
「彼女が・・・」
その台詞に、ベアトリーチェはエドガーもまた、レンブラントから自分の逆行について完全な話を聞かされていると気づく。
「・・・そうか」
エドガーが小さく呟いた時には、馬車は完全に止まっていた。
あの、と御者から伺うような声をかけられる。
だが、二人ともまだ何も言うことが出来ず、ただ沈黙が落ちていた。
雨足はどんどん強くなっている。
小さな軒先では大した雨よけにはならず、肌寒いのだろうか、ナタリアは体を荷物ごと抱え込むようにして両腕を擦っていた。
「あの、エドガーさま」
勇気を絞り出し、ベアトリーチェは視線を彼に向ける。
「あの方を馬車にお乗せしてもいいでしょうか」
「・・・」
「あのままでは風邪をひいてしまうわ。家までお送りして差し上げたいのです」
「・・・いいのかい?」
エドガーは、そっとベアトリーチェの手を握る。
「僕もレンから話を聞いてるんだよ。彼女は・・・」
「私の友だちでした。今はただのクラスメイトだけど。でも、私の」
「アーティ」
「私の、たった一人の親友だった人なの」
今は違うけれど。
その事実が、なぜか今さら、とても悲しい。
「・・・そうか」
それだけを呟くと、エドガーは扉を開けた。
「アーティは、ここで待っていて。君は濡れたらいけない」
それだけを言い残して、雨降る中、バシャバシャと道向こうのナタリアの方へと走って行く。
「あ・・・」
呆然と開いたままの扉から、ベアトリーチェはナタリアとエドガーが話している様子を見守った。
少しして、二人は雨の中を走って馬車までやって来た。
「ナタリア、さま」
前の記憶につられて、つい名前を呼び捨てそうになり、慌てて語尾に敬称をつける。
「ストライダムさま・・・ご親切にありがとうございます」
だが、馬車にたどり着いたナタリアが発した言葉は、ベアトリーチェのそれよりも遥かに他人行儀なもので。
それも当たり前なのだ。ベアトリーチェとナタリアは、学園でのこの二年半もの間、ほんの数回しか話をした事がない。
本当であれば、ベアトリーチェも彼女のことをオルセンという家名で呼ぶ方がマナーとしては正解だ。今回は顔見知り程度の間柄なのだから。
そんな当たり前の現実に、今さら胸が痛む自分に呆れつつ、馬車の中へと案内する。
「オルセンさま。びしょ濡れになってしまいましたね。こちらを下にお敷きになって」
「ありがとうございます。助かりました。雨が酷くなるばかりで困っていて。こちらの方が、ストライダムさまのお知り合いだと声をかけて下さらなかったら、ずっとあのまま立ち往生するところでした」
それまでは向かい側に座っていたエドガーがベアトリーチェの隣に移動し、ナタリアを向かいの席に座らせる。
ナタリアは腕の中に大きな紙袋を抱えていた。それもまた濡れて今にも破れそうになっていた。
「ナ・・・オルセンさまは、お買い物にでもいらしてたの?」
「はい」
少し恥ずかしそうにナタリアは頷く。
「野菜と果物と、お肉を少し・・・その、今晩の夕食用にと」
「まあ」
恥ずかしそうにしているのも道理だ。
仮にも子爵令嬢のナタリアが、召使いよろしく夕食の買い出しに行っていたのだから。
だが、ベアトリーチェもエドガーも、敢えてそこを突く様な事はしない。そのまま黙って頷いていると、ナタリアの方が言葉を続けた。
「うちは・・・貧しいので大概の事は自分たちでやるのです。それでも、普段は買い物に行ってくれるメイドが一人、いたのですけど・・・」
恥ずかしそうな表情に、今度は悲しみも加わり、ベアトリーチェは思わず記憶に引きずられて手を握りそうになり、空中で手を止めた。
エドガーは、そんな二人を観察する様に黙って見守っている。
「そのメイドが、今朝突然出て行ったきり、帰って来ないのです」
「・・・それは、心配ね。早く戻って来てくれるといいけれど」
「いえ」
思わずかけた慰めの言葉に、ナタリアは首を横に振る。
「ノーラは・・・そのメイドはきっともう、帰って来ないと思います」
「え?」
「ええ、きっともう二度と」
寂しげにそう言うナタリアに、ベアトリーチェはかつての会話を思い出した。
--- 皆いつの間にか私から離れていくの
--- いつだって、持つたびに、見つけるたびに失くしていたの。友だちも、大切なものも、希望も、夢も、ぜんぶ。そう、これまでずっと
--- 私は空っぽだったの
これも・・・そうなの?
メイドが突然居なくなったのも?
分からない。ただの偶然かもしれない、でも。
ベアトリーチェの目の前。
微笑みを浮かべながらも所在なさげに荷物を抱えるナタリアが。
今回はただの顔見知りに過ぎないベアトリーチェにまで、こんな顔でこんな話をするナタリアが。
酷く苦しそうで孤独に見えて、ベアトリーチェは胸が苦しくなった。
あなたたちの幸せの邪魔になると思ったから、今度は近づかないと決めた。
もう二度と、あなたにあんな選択をさせたくない。あんな悲しそうな泣き顔を見たくない。
ぜんぶ、ぜんぶ、私がレオポルドを愛したせいだからと、そう思っていた。
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でも。だからと言って。じゃあ今さら。
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どちらにせよ、私はいつも、大した役には立たないのだと思い知る。
それはあの時も、そして今も。
その後は誰も口を開く事はなく。
静けさが場を支配したまま、やがてナタリアが告げた場所、オルセン邸の前に馬車が到着した。
「・・・ありがとうございました。座席を濡らしてしまってごめんなさい」
「いいえ、ではオルセンさま。また休み明けに学園で」
「はい。また学園で」
今にも破れそうな紙袋を抱え、ナタリアは家の中へと入っていく。
その後ろ姿を、ベアトリーチェとエドガーは静かに見送った。
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