上 下
39 / 128

それは運命か偶然か

しおりを挟む


エドガーは、帰国してベアトリーチェのもとを訪れるたびに改良した薬を持って来る。


それらはまだベアトリーチェの病全体を治す効果はなく、その一部の機能を改善もしくは安定させるか、あるいは落ちきった体力を回復するためのものだ。

だが確実にベアトリーチェの容体は安定し、これまでになく床に伏す期間が遠のいているのは確かで。

いつもならばストライダム侯爵家に来ても丸一日滞在すれば隣国にとんぼ返りしていたエドガーは、今回は珍しく三日ほど滞在する事になった。

エドガーの体調を慮ったのが理由の半分、もう半分はベアトリーチェが夏季休暇に入ったため二人で親睦を深めてはどうかという計らいだった。勿論、ストライダム家からの。


「・・・うん。貧血状態はだいぶ改善されたね。脈も今のところ正常だ」


少しずつ、でも確実に症状が改善されている事に一番喜んでいるのは勿論ベアトリーチェ本人なのだが、家族も、そしてエドガーもまた嬉しさを隠せない。

まだ完治した訳でもなく、治療薬が出来上がった訳でもない。だから安心するのはまだ早い、そう自戒はするのだけれど。

年を追うごとに倒れる回数が増えていくのを間近に見ていた者たちからすれば、その回数が減っていっている、その事実だけで小躍りしたくなるほど嬉しいのだ。


「ありがとうございます。これもエドガーさまのお陰です」


にっこり笑うベアトリーチェの頬が、これまでになく明るく色づいて見える。
それは体調の好転によるものか、はたまた彼女の内にある仄かに湧き立つ感情によるものなのか。


「エドガーさまもゆっくりなさってね。いつも慌ただしくお帰りになるでしょ? 目の下の隈がどんどん濃くなっていくから、すごく心配だったの」


無理をしないでと言っても、きっとこの優しい人は止まらない。
却って、ベアトリーチェに気取られまいと見えないところで無理を重ねていくだけ。

そう分かっているからこそ、安易な言葉はかけられなかった。ベアトリーチェは、その無理が自分のためだと知っている。


ところが、当のエドガーは、照れくさそうに頬を指でかきながら、何やらもごもごと言い淀んでいる。

『ゆっくりして』というワードに困っているのか、それとも『心配だ』がいけなかったのか、ベアトリーチェは首を傾げながら、大人しく続く言葉を待った。


「ええと、それがね」

「はい」

「僕としては、せっかくの機会だから、君とやりたい事があるんだ」

「私と、ですか?」

「うん」


きょとんと目を丸くするベアトリーチェに、エドガーが頬を赤らめながら言葉を継ぐ。


「アーティの調子が少し良くなった事だし、その、一度、一緒に街に行ってみるのは、どうかな、なんて」

「街・・・」

「うん。アーティは、ほら、あまり行った事がないだろう?」


視線をあちこちに彷徨わせ、手で忙しなく髪をかき上げながら、辿々しくエドガーはベアトリーチェを逢瀬に誘う。


確かに、ベアトリーチェは殆ど街に行った事がない。

何かあっては大変だと、特別なことでもない限り、屋敷内で過ごすように心がけていた。

学園に上がってからは通学だけで体力を使い果たしてしまい、余計に外出の機会が遠のいていた。たぶん、もう三年以上街には行っていない。


ああ、でも巻き戻り前は、とベアトリーチェは思い出す。


家族には内緒で、学園帰りにこっそりと街へ出かけた事があった ーーー ナタリアとアレハンドロと三人で。


あの時もすぐに気分が悪くなって木陰で休むことになって、二人に心配をかけたのだ。

心配そうにベアトリーチェの顔を扇ぐナタリア。氷の入った果実水を買いに走ってくれたアレハンドロ。

結局、あの後少しだけ街を見て回って直ぐに家に送られた。アレハンドロが手配した馬車に乗せられて。


--- お大事にしてね、トリーチェ

--- 無理すんなよ、ゆっくり休め


最後に刺し殺された記憶があっても、陰でどんな事をしていたのかを兄から知らされても、それでも。


あの時、ベアトリーチェに優しくしてくれたのはまぎれもなくあの二人で。


「・・・」


懐かしい、けれど切なくもある思い出が蘇り、ベアトリーチェの眉尻が下がる。

それを否定と捉えたのだろうか、エドガーがごめんと慌てて謝った。


「え?」

「突然に言われても困るよね。やっぱり屋敷で過ごす事にしようか」


誤解させたと気づいたベアトリーチェは、慌ててエドガーの手を握る。


「そんな、エドガーさま。私、エドガーさまとお出かけしたいわ」

「え? あ? アーティ?」

「エドガーさまと街に行きたいの。ね、いいでしょ?」


エドガーの手を包み込んだ両手に、ベアトリーチェはきゅっと力を込める。

未だ勘違いが解けていないエドガーの顔にはハテナマークが浮かんでいるものの、想いを寄せる相手ベアトリーチェに真正面から見つめられては、深く考える暇も余裕もなく。

ただ、こくこくとエドガーは頷いた。




そうして次の日、二人は馬車に乗って街の広場に向かう。

広場で馬車を降りた二人は、ゆっくりと街歩きを楽しむ。
心配症のエドガーは、ベアトリーチェが疲れないようにとあちこちで休憩を挟むのを忘れない。


「美味しい。串焼きって、こんなに美味しいのね」


道端の屋台で買った串焼きは、口にするとほのかに炭の香りが立ち上る。はふはふと熱々のところをベアトリーチェは頬張った。


「ふふ。アーティは、串焼きは初めてかな」

「ええ。屋台の食べ物は食べた事がなかったの。すごく美味しいものなのね、驚いたわ」

「それだけだと喉が渇くだろう。ほら、果実水も買って来たよ」

「わぁ、ありがとう」


そう言って、エドガーが渡してきたのは、レモン味の果実水。

記憶にあるものは、確か葡萄だった。


意識した訳でもないのに、つい連鎖的にアレハンドロを思い出してしまい、困ったものだとベアトリーチェは苦笑した。


諦めが悪いと、自分でも思う。
現実を見ろと兄が怒るのも仕方ない。

あの時の優しさが、笑顔が、もしかしたら全部が嘘だった訳じゃないのかも、なんてまだ思ってしまうのだから。


「・・・」

「アーティ?」


急に黙り込んだベアトリーチェを気遣うように、エドガーが名を呼ぶ。

なんでもないとベアトリーチェは微笑んだ。


そうして数時間ほど王都散策を楽しんだ頃だろうか、それまで晴れていた空に灰色の雲がかかり始めた。

今にも雨が降りそうな様子に、二人は馬車乗り場に戻り、帰途につく。


予想通り、馬車が動き始めて暫くすれば、雨がぽつりぽつりと降り出し、段々と雨音が大きくなっていく。


「これは、暫く止みそうにないね」

「ええ。戻ることにして正解だったわ。あのままあそこにいたら、きっと雨で・・・」


ふと、ベアトリーチェの言葉が途切れる。


馬車の窓の向こう、軒先で雨宿りをしているある人の姿を見つけたからだ。


突然の雨に慌てて駆け込んだのだろう。だが軒先の長さは十分でないようだ。多少の雨は遮られているが、かなり濡れてしまっている様に見えた。


「すみません、止まってください・・・っ」

「アーティ? どうかした?」


声を受けて馬車の速度が落ちる中、エドガーが驚いてベアトリーチェを見る。

だが、ベアトリーチェの視線は窓の外へと向けられたままだ。


視線の先にいたのは、ベアトリーチェが、今度の人生でずっと親しくなることを避けてきた人。

そして前の時には、誰よりもベアトリーチェの近くにいてくれた人。

笑い、お喋りを楽しみ、いつも一緒に時間を過ごした人。


ベアトリーチェの口から、ぽつりとその人の名前が溢れた。


ナタリア、と。




しおりを挟む
感想 56

あなたにおすすめの小説

婚約者から婚約破棄をされて喜んだのに、どうも様子がおかしい

恋愛
婚約者には初恋の人がいる。 王太子リエトの婚約者ベルティーナ=アンナローロ公爵令嬢は、呼び出された先で婚約破棄を告げられた。婚約者の隣には、家族や婚約者が常に可愛いと口にする従妹がいて。次の婚約者は従妹になると。 待ちに待った婚約破棄を喜んでいると思われる訳にもいかず、冷静に、でも笑顔は忘れずに二人の幸せを願ってあっさりと従者と部屋を出た。 婚約破棄をされた件で父に勘当されるか、何処かの貴族の後妻にされるか待っていても一向に婚約破棄の話をされない。また、婚約破棄をしたのに何故か王太子から呼び出しの声が掛かる。 従者を連れてさっさと家を出たいべルティーナと従者のせいで拗らせまくったリエトの話。 ※なろうさんにも公開しています。 ※短編→長編に変更しました(2023.7.19)

お飾り公爵夫人の憂鬱

初瀬 叶
恋愛
空は澄み渡った雲1つない快晴。まるで今の私の心のようだわ。空を見上げた私はそう思った。 私の名前はステラ。ステラ・オーネット。夫の名前はディーン・オーネット……いえ、夫だった?と言った方が良いのかしら?だって、その夫だった人はたった今、私の足元に埋葬されようとしているのだから。 やっと!やっと私は自由よ!叫び出したい気分をグッと堪え、私は沈痛な面持ちで、黒い棺を見つめた。 そう自由……自由になるはずだったのに…… ※ 中世ヨーロッパ風ですが、私の頭の中の架空の異世界のお話です ※相変わらずのゆるふわ設定です。細かい事は気にしないよ!という読者の方向けかもしれません ※直接的な描写はありませんが、性的な表現が出てくる可能性があります

私が死んで満足ですか?

マチバリ
恋愛
王太子に婚約破棄を告げられた伯爵令嬢ロロナが死んだ。 ある者は面倒な婚約破棄の手続きをせずに済んだと安堵し、ある者はずっと欲しかった物が手に入ると喜んだ。 全てが上手くおさまると思っていた彼らだったが、ロロナの死が与えた影響はあまりに大きかった。 書籍化にともない本編を引き下げいたしました

結婚記念日をスルーされたので、離婚しても良いですか?

秋月一花
恋愛
 本日、結婚記念日を迎えた。三周年のお祝いに、料理長が腕を振るってくれた。私は夫であるマハロを待っていた。……いつまで経っても帰ってこない、彼を。  ……結婚記念日を過ぎてから帰って来た彼は、私との結婚記念日を覚えていないようだった。身体が弱いという幼馴染の見舞いに行って、そのまま食事をして戻って来たみたいだ。  彼と結婚してからずっとそう。私がデートをしてみたい、と言えば了承してくれるものの、当日幼馴染の女性が体調を崩して「後で埋め合わせするから」と彼女の元へ向かってしまう。埋め合わせなんて、この三年一度もされたことがありませんが?  もう我慢の限界というものです。 「離婚してください」 「一体何を言っているんだ、君は……そんなこと、出来るはずないだろう?」  白い結婚のため、可能ですよ? 知らないのですか?  あなたと離婚して、私は第二の人生を歩みます。 ※カクヨム様にも投稿しています。

記憶を失くした彼女の手紙 消えてしまった完璧な令嬢と、王子の遅すぎた後悔の話

甘糖むい
恋愛
婚約者であるシェルニア公爵令嬢が記憶喪失となった。 王子はひっそりと喜んだ。これで愛するクロエ男爵令嬢と堂々と結婚できると。 その時、王子の元に一通の手紙が届いた。 そこに書かれていたのは3つの願いと1つの真実。 王子は絶望感に苛まれ後悔をする。

悪役令嬢の生産ライフ

星宮歌
恋愛
コツコツとレベルを上げて、生産していくゲームが好きなしがない女子大生、田中雪は、その日、妹に頼まれて手に入れたゲームを片手に通り魔に刺される。 女神『はい、あなた、転生ね』 雪『へっ?』 これは、生産ゲームの世界に転生したかった雪が、別のゲーム世界に転生して、コツコツと生産するお話である。 雪『世界観が壊れる? 知ったこっちゃないわっ!』 無事に完結しました! 続編は『悪役令嬢の神様ライフ』です。 よければ、そちらもよろしくお願いしますm(_ _)m

どなたか私の旦那様、貰って下さいませんか?

秘密 (秘翠ミツキ)
恋愛
私の旦那様は毎夜、私の部屋の前で見知らぬ女性と情事に勤しんでいる、だらしなく恥ずかしい人です。わざとしているのは分かってます。私への嫌がらせです……。 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ 政略結婚で、離縁出来ないけど離縁したい。 無類の女好きの従兄の侯爵令息フェルナンドと伯爵令嬢のロゼッタは、結婚をした。毎晩の様に違う女性を屋敷に連れ込む彼。政略結婚故、愛妾を作るなとは思わないが、せめて本邸に連れ込むのはやめて欲しい……気分が悪い。 彼は所謂美青年で、若くして騎士団副長であり兎に角モテる。結婚してもそれは変わらず……。 ロゼッタが夜会に出れば見知らぬ女から「今直ぐフェルナンド様と別れて‼︎」とワインをかけられ、ただ立っているだけなのに女性達からは終始凄い形相で睨まれる。 居た堪れなくなり、広間の外へ逃げれば元凶の彼が見知らぬ女とお楽しみ中……。 こんな旦那様、いりません! 誰か、私の旦那様を貰って下さい……。

選ばれたのは私ではなかった。ただそれだけ

暖夢 由
恋愛
【5月20日 90話完結】 5歳の時、母が亡くなった。 原因も治療法も不明の病と言われ、発症1年という早さで亡くなった。 そしてまだ5歳の私には母が必要ということで通例に習わず、1年の喪に服すことなく新しい母が連れて来られた。彼女の隣には不思議なことに父によく似た女の子が立っていた。私とあまり変わらないくらいの歳の彼女は私の2つ年上だという。 これからは姉と呼ぶようにと言われた。 そして、私が14歳の時、突然謎の病を発症した。 母と同じ原因も治療法も不明の病。母と同じ症状が出始めた時に、この病は遺伝だったのかもしれないと言われた。それは私が社交界デビューするはずの年だった。 私は社交界デビューすることは叶わず、そのまま治療することになった。 たまに調子がいい日もあるが、社交界に出席する予定の日には決まって体調を崩した。医者は緊張して体調を崩してしまうのだろうといった。 でも最近はグレン様が会いに来ると約束してくれた日にも必ず体調を崩すようになってしまった。それでも以前はグレン様が心配して、私の部屋で1時間ほど話をしてくれていたのに、最近はグレン様を姉が玄関で出迎え、2人で私の部屋に来て、挨拶だけして、2人でお茶をするからと消えていくようになった。 でもそれも私の体調のせい。私が体調さえ崩さなければ…… 今では月の半分はベットで過ごさなければいけないほどになってしまった。 でもある日婚約者の裏切りに気づいてしまう。 私は耐えられなかった。 もうすべてに……… 病が治る見込みだってないのに。 なんて滑稽なのだろう。 もういや…… 誰からも愛されないのも 誰からも必要とされないのも 治らない病の為にずっとベッドで寝ていなければいけないのも。 気付けば私は家の外に出ていた。 元々病で外に出る事がない私には専属侍女などついていない。 特に今日は症状が重たく、朝からずっと吐いていた為、父も義母も私が部屋を出るなど夢にも思っていないのだろう。 私は死ぬ場所を探していたのかもしれない。家よりも少しでも幸せを感じて死にたいと。 これから出会う人がこれまでの生活を変えてくれるとも知らずに。 --------------------------------------------- ※架空のお話です。 ※設定が甘い部分があるかと思います。「仕方ないなぁ」とお赦しくださいませ。 ※現実世界とは異なりますのでご理解ください。

処理中です...