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ねずみ

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ザク、ザク、


まだ夜も明けきらぬ時間。

オルセン子爵邸にある小さな庭、そこの壁近くに植えてある一本の大きな木の下を、園芸用シャベルで掘る女性の姿があった。








ナタリアは、小さな頃から王子さまを夢見ていた。


父親はナタリアに関心がない。

虐待まではしないけれど、愛情も示すことはない。

少ない収入の一部を家政に回し、残りは自分の趣味嗜好に費やすーーーその主な先は賭博。


多少の負けはこんでも、大金を投じたりはしない、それは幸運と言うのだろうか。


夫からの関心が薄いことに慣れきった母親と歳の離れた真面目な弟。


年を取った執事が一人と、ナタリアが幼い頃から働いてくれているメイドが一人。


手が足りない分は、ナタリアとナタリアの母が働いて補った。


いつか、王子さまみたいな人が現れる。


優しくて、ハンサムで、太陽みたいに笑う人。

強くて、いつも側にいてくれて、自分を守ってくれる、ナタリアだけの王子さま。


ナタリアに告白してくる男性は少なくなかった。


最終的にはナタリアから離れて行く事に変わりはないけれど、それでも好きだと言ってくれる人はそれなりにいたのだ。


でも、いつもその手を取るのが怖くて、なかなか踏み出せないでいるうちに、いつの間にかに目の前から居なくなる。


あの人もそうだった。


ニコラス・トラッド。

同じ子爵同士で、でもニコラスは三男だから騎士になって騎士爵をもらうんだと言っていた。


一目惚れです、付き合ってください、と手を差し出され、ナタリアは直ぐにその手を取れなかった。

でも、その判断は正しかった様だ。

学年の終わりには、その人は学園を去っていたから。


王子さまなんていない。

自分を助け、愛し、守ってくれる王子さまなんて、この世にはいないのだ。

それも当然だ、自分はお姫さまではないのだから。


だとしても自分には友がいる。アレハンドロが。

自分を女性として見ることなく、変わらぬ友としてずっと側に居続けてくれる人が。


そんな人が一人でもいてくれる。
なら、それでいい。


そう自分に言い聞かせていた時、あの人は現れた。


輝く黄金の髪、夏の青空の様な明るい青の瞳。

ニコラスと同じ騎士訓練科の彼は、背が高く引き締まった身体をしていた。


太陽神が地上に息子を生み落としたかと思うほど、その人は美しく。なのに奢ったところはなくて。


その人は照れくさそうに笑い、ひとつ咳払いをすると、ずっとあなたが好きでした、と言った。


模擬戦の応援に来ていた時にナタリアを見かけ、その時からずっと想っていた、と。


ニコラスと親しくしている様だったから、横から奪うような真似はしたくなくて今まで何も言わずにいたけれど、と続けて。


後ろに白馬がいてもおかしくない、むしろバッチリ似合うだろう、それ程に絵本から出てきた王子さまそのものだった。


・・・ああ。


気がつけば頷いていた。

手を繋ぎ、歩いていた。寄り添っていた。


きっと、この人なら私を守ってくれる。


そう思った。


そう思って、幸せな、夢のような一年を過ごして、そして。

レオポルドが学園に来なくなった。


夏季休暇に入るふた月ほど前のことだ。


不安で不安で堪らなくて。

また大事に思う人がいなくなる、そう思うと怖くて。

そんな不安を抱えたまま、夏季休暇に入った、その夜。

見知らぬ男性が突然に自分の部屋に現れた、しかも夜中に。


思わず叫び声を上げそうになって、口を塞がれて、レオポルドの使いで来たと告げられた。


その人が渡してくれたのは、レオポルドからの手紙と綺麗なガラス細工のペンダント。


そして、便箋の方はダミーで、本命は小さなメモだと。

ペンダントは服の下に隠し、風呂の時も寝る時も外さないようにと。


それから、大事なものが手元に残った試しはないだろう、と問われた。



あれから三日。

ナタリアはずっと考えていた。



--- 自分の家のネズミは、自分で捕まえろ 



あの夜、私にそう言ったあの男の人は、結局だれだったんだろう。


ベッドの上で目を覚ましたナタリアは、胸元をそっと手で押さえた。

そこには、名前も知らないその男性が持ってきたレオポルドからだというペンダントがある。


不思議な人だった。

ナタリアを叱っている様で、心配している様で、でもどこか突き放している様で。


時間にして、たぶん30分もここにいなかった。

だけど、何か。

何か、自分に大切なことを教えてくれていた気がする、そうナタリアは思ったのだ。


「・・・ネズミ」


他に誰もいない室内で、ナタリアは独り言ちる。


「ネズミって、あの動物のネズミのこと・・・じゃない。だから、きっと」


あの男の人は、私の大切なものはいつもなくなってしまう事を知っていた。だからこのペンダントも服の下に隠せと言ったのだ。


--- 考えろ。誰かが助けの手を差し伸べてくれるのを待つな。まず自分が動け 



その人は、自分にとっては謎かけの様な言葉ばかりを残して去って行った。


口調を一度も荒げることはなかった。けれど、なぜかナタリアの目には彼は怒っている様に見えた。

そう、ナタリアに対して怒っていた。


だから、彼は最後にあんな一言を残していったのだ。



--- 覚えておけ。俺は、お前が



ナタリアは頭を左右に振る。

今はそのことを考えるよりも、まず。


「考えて、自分で動く・・・」


目を瞑り、少しの間考えて。

それから、ゆっくりと起き上がると、本棚から一冊の本を取り出した。メモを挟んだ本とは別のもの。こちらにはダミーと称して渡された手紙の方をしまっていた。

そしてページの間から封筒を取り出すと、部屋から出て行った。


それから、二日経った。


ナタリアの耳に、微かな音が届く。

それは、寝室の窓に面した中庭から。


そっと窓に近寄り、カーテンの端から外を覗く。


今はまだ夜も明けきらぬ早朝の時間。


一本の木の下に蹲り、何かをしている女性の後ろ姿があった。


「・・・」


ナタリアは夜着の上にショールを羽織ると、部屋を出て庭へとつながる裏口の扉を抜ける。


そして、懸命に土を掘るメイドに近づいた。


「ノーラ」


名前を呼ばれたそのメイドの肩が、ピクリと跳ねる。


「こんな朝から何をしているの」


ノーラはゆっくりと振り返る。そしてナタリアの姿を見つけた。


「あ・・・お嬢さま」

「ねえ、ノーラ」


手にはシャベルを持ち、木の根元を深く掘っていたそのメイドに、幼い頃から自分の世話をしてくれていた姉とも慕う相手に、ナタリアは問いかけた。


「どうしてそこを掘っているの? そこに何か埋まっているの?」

「あ、いえ、あの」



--- 考えろ。誰かが助けの手を差し伸べてくれるのを待つな。まず自分が動け 


そう、ナタリアは考えたのだ。

自分の家からも、大切なものが消えてなくなった事がある。

それは自分の管理が悪いせいだと思っていた。あるいは父が売ろうとして持ち出したのかも、と。

失くすことに慣れきってしまっていたから、深く考えることもしなかった。

だけど。


--- 自分の家のネズミは、自分で捕まえろ 


あの人が教えてくれた。考えるのを止めるなと怒ってくれた。


もう二度と自分が使いとして来ることはない、そう言ってベランダから出て行った、あの人が。
 

きっと、その人に知らせることは叶わないだろう。

ナタリアがその後に必死で考えを巡らせたこと。

一つのことに思い当たったこと。


その結果、分かったことは、とても悲しい事実だったけれど。


二日前に、ここに封筒を入れた箱を埋めるフリをしたのはナタリアだ。


眼から今にも涙が溢れ落ちそうになるのを必死で堪え、ナタリアは声を絞り出した。


「ノーラ」


知らないままでいたいとは思わない。でも、知ってしまえば、それはとても辛い現実だった。


「ネズミは、あなただったのね」




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