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疑念

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ケインバッハの唇が、エレアーナの指からゆっくりと離れていく。
その眼差しは、目の前の愛する女性ひとを見つめたまま。


そしてケインは、いとも優しげに、嬉しそうに、微笑んだ。

「・・・!」

普段、表情の変わることのないケインの鮮やかな微笑みに、エレアーナの鼓動が速くなる。

もう・・・。

ここでその笑顔はずるいですよ、ケインさま。

自分の顔が赤くなっていくのが、わかる。

どうしよう。
私、今までケインさまの前で、どんな話をしてたのかしら。

「あ、あの、ケインさま?」
「うん?」
「あの、その、お、お疲れではありませんか?」
「・・・なぜ?」
「あ、えと、ほら、毎夜、わたくしために警護に加わって下さってるじゃありませんか。体はお辛くありませんか?」
「問題ない。ちゃんと別の時に仮眠を取っている」
「そ、そうですか・・・」
「前に、俺は貴女を守ると誓っただろう? 賢者くずれが捕まる日まで、俺が警護に加わるのは、当然のことだ」
「・・・ありがとう、ございます」
「こちらこそ。心配してくれたことには感謝する。だが、俺は貴女の盾だ。そしてそれを特権だと思っている。貴女は何も気にせず、俺にその栄誉を与えてくれればいい」
「・・・」

う、撃ち抜かれた。
心臓、撃ち抜かれたわ。

ケインさまって、無自覚無意識で、甘い言葉を囁かれるのよね。

意識した途端、辿々しくなってしまわれるけど。

破壊力が半端ないから困ってしまうわ。

彫刻像のような整ったお顔立ちのケインさまに、真顔でそんな言葉を囁かれたら、もう、もう心臓が保たないんですけど。

「エレアーナ嬢?」

一人で勝手にドキドキしている私を、ケインさまが覗き込む。

「は、はい。なんでしょうか?」
「そろそろ邸の方に戻ろう。きっとレオンたちも心配して待っているだろうから」
「あ、はい。わかりました」

私がそう答えた時、邸の方角から微かな足音が聞こえてきた。

ケインバッハが、さっとエレアーナを背中に庇う位置に立つ。

警護の方、それとも邸の者かしら・・・?

そう考えていたら、遠目に見えたのは思ってもいない人だった

「ああ、こちらにいらしたんですね。エレアーナさま」
「バークリー、先生・・・? なぜ、こちらに?」
「突然にすみません。子どもたちに風邪薬として使用していた薬草が終わってしまいまして・・・」
「まあ・・・それは大変ですわね」

バークリーは、急いでいるのか事情を説明しながら足早に近づいてきた。

「今の時期、孤児院の花壇からは何も採れません。困っていたところを、エレアーナさまのお屋敷に薬草専用の温室があるのを思い出しまして・・・」
「え? ええ」
「もし、その薬草が温室にあるようなら、少し分けてもらえないかと、こちらまで伺った次第です」
「・・・そうなんですか」

・・・なにかしら。
なにか、引っかかる。

ああ、でも、アリエラさまたちも、薬のことで何回かバークリー先生の話をなさろうとしていたわ。

気にしすぎ・・・かも、しれない。

「どうでしょう? その薬草があるかどうか、温室に連れて行ってはもらえませんか?」
「・・・バークリー先生。お一人のようですが、ここまではどうやって?」

ケインバッハが、エレアーナを背にしたままバークリーに問いかける。

「ああ、はい。外門のところで殿下にお会いしたので人を呼んでもらい、方角を教えてもらったので・・・」
「・・・」

バークリーは、エレアーナの向こうに建つ温室に目をやりながらも、どんどん近づいてくる。

「エレアーナさま。どうかお願いします。このままでは子どもたちが・・・」
「え、ええ。それでは・・・」
「断る」

ケインバッハの声が響いた。

「ケインさま・・・?」

エレアーナがケインバッハを見上げる。
だが、毅然と立つ後ろ姿からは、その表情を伺えない。

だが、その腕は。
エレアーナを守るように大きく広げられて。

そして、その背中からは、ぴりぴりとした緊張感が漂っている。

「そんな・・・ケインバッハさま、何故ですか? このままでは子どもたちが・・・」
「止まれ。それ以上近づくな」

そこで、バークリーの足がようやく止まる。

ケインたちとバークリーとの距離は、もう数メートルほどに縮まっていた。

え・・・?

もしや、ケインさまも、なにかお感じになられた?

・・・いえ、私とは違う。
確信して、いらっしゃる。

バークリー先生が、私を、狙っている、と。

ごくりと喉が鳴る。

考えて。
考えるのよ、エレアーナ。

・・・あ。
ちょっと待って。

そうよ。確か、さっき・・・。

「バークリー。お前は、何故、王太子殿下を知っているのだ?」
「はい? 当然じゃありませんか。だって孤児院にもいらして下さってるのに」
「孤児院内の誰ひとりとして、レオンの真の身分を知る人物はいない。貴族の一人だとしか話していないだからな。院長ですら知らされていない事実を、何故お前が知っている?」
「・・・ケインバッハさま。王太子殿下のお顔は有名ですから、当然、私も存じ上げておりますよ。当たり前じゃないですか」
「・・・ほう。一般国民で王太子の顔を知る者など、これまで会ったこともないのだがな。・・・では、俺の名前を知っている理由も教えてもらおうか?」
「はい? 何をおっしゃって・・・」
「孤児院で、俺も自分の正式名称を名乗ってはいない。しかも、俺は公人ですらない。なのに、俺の名がケインバッハであることをどうして知っている?」
「そ、それは、確か、どこかで・・・」
「もう一つ。ブライトンの家名を知り、何かの時の連絡経路となるのは院長のみとされている筈だ。何故、ここに来たのが院長ではないのだ?」
「い、院長がお忙しかったからですよ。そんな、疑うなんて酷いじゃないですか。ねぇ、エレアーナさま?」
「・・・わたくしも不思議ですわ、バークリー先生。先生は、どうしてわたくしの邸にあ?温室のことをご存知なのですか?」
「ええ? 貴族の邸に温室くらいあるのが普通でしょう?」
「そうですね。温室自体は珍しいものではありません。・・・ですが先生は、薬草専用とおっしゃった。何故、普通の温室とは別に薬草専用の温室をわたくしが持っていることをご存知だったのですか?」
「エ、エレアーナさま。エレアーナさままで、私を疑うんですか?」
「動くな!」

そう言いながら、一歩足を進めようとしたバークリーに、ケインが吠える。

ぴたり、と動きが止まると、バークリーは、はぁ、と大きく息を吐き出した。

「あーあ。疑い深い人たちで全く嫌になるねぇ。大人しく騙されてくれりゃ、こっちも面倒な事をしなくて済むっていうのに」

バークリーの口調が、顔つきが、ガラリと変わる。

「まぁ、別にいいか。どうせやることは変わらないしねぇ」

そう言うと、バークリーは、にたり、と笑った。

息を呑むエレアーナを背に隠し、ケインバッハは、腰に下げていた剣を静かに引き抜いた。
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