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刻限
しおりを挟む窓から様子を伺っていたカサンドロスは、僅かに目を細めると後ろにいるユリアティエルの方へと振り返った。
「お前を抜け道から逃さなくても済みそうだ。将軍にかけられた術を解くのに成功したのかもしれん」
身軽な服装に着替え、いつでも発てる準備を整えていたユリアティエルは、ホッと安堵の息を漏らした。
勿論、安堵したのはユリアティエルだけではない。
恐ろしい程に静まり返った村の中では、誰もが固唾を呑んでカルセイランとガルスとの打ち合いを見守っていたのだ。
「夜明けまで、もうあと四半刻もない。解呪の紋様が朝日に照らされれば、否が応でも兵士たちはそれを目にする事になる。そうなれば・・・」
カサンドロスの声が、そこで途切れた。
窓の外、村の入り口にいるカルセイランの周辺から怒号が響いたのだ。
ユリアティエルは吸い込まれるように窓へと走り寄ると、窓ガラスに手を当て、覗き込むように外を見た。
ひと回り以上の体格差があるガルスが、闘いに中々決着をつけられずにいる事への怒りの声が兵士たちから上がっていた。
「将軍ともあろう方が何という体たらく! 失望しましたぞ、王太子を騙る偽者を討ち取る事も出来ぬとは!」
「そうだ! 我らは王太子妃の命を受けているのですぞ! こんな所で足止めを食らっている場合ではない!」
「全ては王太子妃さまのために!」
最後部にいた解呪された者たちは、そんな動きを抑えようとするが、それには圧倒的に人数が足りない。
「まずいな。これでは・・・」
カサンドロスが呟くのと同時に、視界の先で一瞬、獣のような俊敏さでカルセイランの背後に回った者がいた。
ガルスだ。
「・・・っ!」
カサンドロスが息を呑む。
ユリアティエルが両手で口元を覆った。
ガルス将軍がカルセイランの背後から彼の喉元に剣を突きつけるのが見えたのだ。
カルセイランは持っていた剣を地面に放ると、両手をゆっくりと上にあげる。
兵士たちが勝利の叫びを上げた。
アビエルの月の第20日。
その午前十時半を回った頃。
ソファでくつろぎ、ひとり菓子を楽しんでいたヴァルハリラの上に影が落ちた。
目の前に現れた人物が誰であるかに気づいたヴァルハリラは、不満げな表情で彼を見上げる。
「あらサルトゥリアヌス、やっとのお出ましかしら。貴方いったい今までどこに行っていたのよ?」
「別にどこにも行っておりませんが」
不機嫌さを隠そうともしないヴァルハリラに対して、サルトゥリアヌスは悪びれもせずに答えた。
「嘘を言わないでちょうだい。もう何日もずっと鏡に呼びかけていたのよ。なのに返事もしなかったじゃないの」
「応える必要がなかったので。ただそれだけですよ」
「まあ、どういう意味かしら。わたくしが呼んだのだから、応えなくては駄目に決まっているじゃないの」
ヴァルハリラは腕を組むと、睨むようにサルトゥリアヌスを見上げた。
だがサルトゥリアヌスは軽く肩を竦めて続けた。
「いえ、本当にその必要がなかったのですよ。貴女がしようとしていた事くらい分かっておりますのでね」
「・・・へえ」
ヴァルハリラの瞳に、侮蔑の色が浮かぶ。
「分かっていてわたくしの呼び出しを無視したと言うのね? 随分と酷い事をするじゃないの、サルトゥリアヌス」
「それはそれは、失礼いたしました。私としましても、我が主のご意向が成されるのが最も願うところでありまして」
ヴァルハリラは首を傾げた。
「・・・まああいわ。許してあげる。今日はせっかくの記念日ですものね。怒ったりしたら台無しになってしまうわ」
そう言うと、立ち上がって誇らしげにこう告げた。
「サルトゥリアヌス。わたくしはね、晴れて契約条件を満たしたのよ。だから期限が来るまで待っている必要もないと思って、早くお前に伝えてやろうとしていたの」
「そうですか。ならばやはり、貴女の声に応じなくて正解でした。勘違いしたままでいてもらえましたからね」
「・・・なんですって?」
不愉快そうに歪むヴァルハリラの前で、サルトゥリアヌスが嬉しそうに笑う。
いつもの感情の見えない無機質な笑みではない。
心から嬉しそうな、しかし何故か背筋が寒くなるような凍りついた微笑みだ。
「・・・サルトゥリアヌス?」
説明のつかない感覚に襲われ、思わず身震いしたヴァルハリラが、無意識のうちに仲介者の名前を呼んだ。
だがその声には応えず、サルトゥリアヌスは大仰に両手を広げ、役者のように声を張り上げた。
「ヴァルハリラさま。おめでとうございます。いよいよ刻限となりました。今この瞬間をもって契約した五年が満了したのです」
「・・・え、ええ。そうよ。さあサルトゥリアヌス。約束通り、わたくしに新たな命と人間の身体を与えなさい。わたくしは貴方が言った条件をちゃんと満たしたのだから」
サルトゥリアヌスの眼が、すっと細くなる。
「無理ですな」
「え?」
「貴女は契約条件を満たしてはいない。よって、貴女の願いを叶える筋合いはないと考える」
「なっ・・・何を馬鹿な事を言っているの? わたくしはちゃんと・・・」
「お前が精を受けた相手はカルセイランではない。あの夜にお前を抱いたのは、変容の術でカルセイランに成り済ました別の男だ」
「え・・・?」
ヴァルハリラは驚愕で目を見開いた。
「さあ茶番は終わりだ、ヴァルハリラ。我が主がお前に貸し与えた力を返してもらおう。そして、お前には分不相応であったその強大な力の対価を払ってもらおうではないか」
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