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本当はただ

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アビエルの第19日の午後遅く、斥候より新たな知らせがもたらされた。


ペイプル軍を先導していた案内役は確保。
だが、既に方角は知らせてあったらしく、依然村に向かって進んでいるという。

ホフマン軍は、幾つかに分けて別方向に誘導する事に成功。現在の勢力は半分以下となった。


「もしペイプル軍が村に到達するとしたら日没以降、か。タイミングとしては良くないな」


誰に言うでもなく、リュクスが溢す。


「ああ。闇夜では視界が悪い。せっかくの殿下の提案だったが」
「仕方なかろう。我らが決められるものでもない。夜半に襲撃されない事を願うのみだ」


襲撃に備え準備に余念がない騎士やカサンドロスの私兵たちの表情には警戒の色が滲んでいた。



そんな喧騒を、少し離れた建物の窓から眺める姿があった。

そこに扉をノックする音、続いて少女の声がした。


「ユリアさま。お食事をお待ちしました」


窓から外を見ていたユリアティエルは、その声にゆっくりと視線を室内に戻す。


「ありがとう、エイダ。ごめんなさいね。余計な仕事を増やしてしまって」
「とんでもありません」


テーブルに食事を置くと、エイダは気遣わしげな視線を送る。


ここ数日間、ユリアティエルは自分に割り当てられた仕事を果たすとき以外は部屋にいることが多くなった。


事情をよく知らないエイダでも、カサンドロスやノヴァイアスが交わした言葉から、先日、忽然と現れた王太子がユリアティエルにとってどんな人物なのか、うすうすは勘づいていた。


口を挟むべきではない。

それでも、こんなに焦燥しているユリアティエルを見ているのは辛い。


「・・・ユリアさまは、これでよろしいのですか?」


僅かに逡巡した後、エイダがようやく口にできたのはこの一言だった。


ユリアティエルは微かに笑みを浮かべ、エイダを見つめる。


「エイダ」
「・・・はい」
「今から話す事は内緒にしてね」


そう言って、人差し指を唇に当てた。


「正直言うとね、何が正しいのか、本当はどうしたらいいのかも、よく分からなくなってしまったの」


逃げているだけなのよ、と自嘲するように続ける姿に、エイダは言葉に詰まる。


「カルセイランさまが王太子殿下であられる事は知っているわね?」


エイダが頷くのを確認してから、ユリアティエルは言葉を継いだ。


「わたくしが愛したお方は、とても大きなものを背負っていらっしゃるの。民を導き規範となる責任、国全体に影響を及ぼす権威、国の行く末を左右する国策の決定、まさに国たみの命そのものがその手にかかっていると言ってもいいくらいだわ。そのためには、同じくらい厳しい目を自身に向けることが求められる。・・・王族の持つ力に、臣民が決して疑いの目を向けることがないように」


窓の外に視線を向ける。

その先にいるのは、彼女の愛しい人だ。


「本当は、あの方にお会いしたい。昔のように、その隣に立ちたいとも思うのよ。・・・でも、わたくしの身に起きたことをなかったことには出来ないから。いいえ、たとえなかったことにしたとして、そのように振る舞っても、事実は変わらないまま残るから・・・」


ふ、と溜息を吐き、首を左右に振った。


「わたくしは、それを改めて思い知ることが恐ろしいの。優しいあの方が、わたくしを案じてお側にいることを許して下さったとして、それでも自分にはもう王族に加わる資格のないことを都度に思い出すのが・・・そして、そのたびにカルセイランさまや国王王妃両陛下にお心を砕かせることになってしまうのが怖いのよ」
「ユリアさま・・・」
「わたくしを妻としても国益にはならないのだとしたら・・・お側においてくださいとお願いするべきではないでしょう?」
「・・・分かりません、ユリアさま。私には、とても難しすぎるお話です」


困ったように頭を下げるエイダに、ユリアティエルはハッとしたように口に手を当てた。


「ごめんなさい、エイダ。つい馬鹿なことを言ってしまったわ」
「いえ、そんな」
「忘れてちょうだい。これは、ただわたくしが弱虫だっていう話なのよ」


窓から離れ、テーブルの席につきながら、ぽつりと呟く。


「そう。ただわたくしが弱いだけなの」
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