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木の上のひと
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「そこで何を?」
アーサフィルドの視線は、窓の向こうにある緑豊かに葉を茂らせた一本の木へと向けられていた。
午前の授業を終えたアーサフィルドは、王族の居住棟から執務棟へと続く渡り廊下を歩いているところだった。
その時に、一本の木が目に入ったのだ。
正確に言うと、一本の木の枝に座り、幹に背をもたれかけている人物に。
およそそんな場所に人が座っているのは珍しい。というかあり得ない。
ましてや美しい装飾のついた正装服姿の美男子が、高い木の枝に座しているのだ。
思わずアーサフィルドが窓を開けて声をかけてしまったのも無理はない。
木の上の男は瞑っていた瞼を開け、声の主を確認した。
「これはこれは、第二王子殿下ではありませんか。この間は、兄君とお話中に邪魔をしてしまい、申し訳ありませんでした」
驚いた様子もなく返って来た飄々とした声。
数日前、中庭で会った男、サルトゥリアヌスだった。
「・・・それで?」
アーサフィルドは、木から降りて来た男を不審げに見上げる。
「それで、とは?」
「決まってる。あんな所で何をしていたのかを聞いているんだ」
「ああ。・・・いえ、少々ヒマだったもので」
「・・・ヒマ?」
「ええ。最近、状況に不満がないのか、担当している者からの要求が少ないもので」
何を言っているんだ、この男は。
「王城に勤めているのに、ヒマで木に登っていたとか、言い訳にしても下手すぎるよ」
むっとなって、つい棘のある声が出たが、サルトゥリアヌスは面白そうに片眉を上げただけだった。
「・・・第二王子殿下は、本当に賢いお方ですね。王太子殿下が頼りにされる理由が分かります」
その言葉に、アーサフィルドがぴくりと反応する。
「頼りにするって、兄上が? ・・・そんな筈はないだろう、僕は再来月にようやく八歳になる子どもだよ?」
「いいえ」
サルトゥリアヌスは腰を折り、視線をアーサフィルドと同じ高さに合わせてから言った。
「貴方さまはご存知ない。王太子殿下は、貴方さまから大きな力と慰めを得ておられます。・・・そしてこれから先、貴方の助けは更に大きなものとなるでしょう」
「・・・?」
アーサフィルドは、サルトゥリアヌスの言葉の意味が分からず、ただ黙って首を傾げた。
サルトゥリアヌスは薄い笑みを浮かべると、右手をひらりと宙に回した。
アーサフィルドの眼がぱちぱちと瞬き、あ・・・と声が漏れる。
「・・・解けましたか?」
「ぼ、僕は・・・あれ?」
サルトゥリアヌスは、アーサフィルドの手をぐっと握った。
「解けた今ならお分かりでしょう。貴方さまは、王太子殿下が心から愛した方を失ったことを知っている。そして、その原因となった憎い女と来月結婚することも」
その言葉に、アーサフィルドの眼が驚愕で大きく見開かれる。
「・・・どうして、それをお前が」
「第二王子殿下。貴方は兄君を心配していらっしゃる。力になりたいと思ってらっしゃる。・・・違いますか?」
アーサフィルドは、ごくりと唾を飲み込んだ。そしてゆっくりと頷く。
「ち、違わない・・・僕は、兄上を助けたい。兄上の力になりたい、そう思ってる・・・」
「ならば」
握っていた手に、更に力がこもる。
「ならばその時が来たら、必ずそうしておあげなさい。貴方の兄君を解放して差し上げるのです」
「一体、何の話を・・・」
サルトゥリアヌスは、首を横に振ってそれを遮った。
「今はこの言葉の意味が分からずとも構いません。どうせこの会話も、直に意識の底に落ちるでしょう。ですが、いずれ思い出します。その時が来たら必ず、そうです、必ず行動を起こしてくださいますよう」
アーサフィルドの目には戸惑いの色が滲んでいた。
彼がサルトゥリアヌスと会ったのは、これでまだ二度目。
しかも、その一度目は挨拶を交わした程度のものなのだ。
この男が信用出来るか出来ないかは勿論、言われている事そのものも理解出来ないのに。
だけど、この人の目が。
目が、酷く真剣で。
「・・・」
ゆっくりとアーサフィルドは頷いた。
信じてみようと思った。
何者かもよく分からない、昼間から木の上で居眠りをしているこの男のことを。
今はまだ、この男が言わんとしていた事を、何ひとつ理解出来なかったとしても。
アーサフィルドの視線は、窓の向こうにある緑豊かに葉を茂らせた一本の木へと向けられていた。
午前の授業を終えたアーサフィルドは、王族の居住棟から執務棟へと続く渡り廊下を歩いているところだった。
その時に、一本の木が目に入ったのだ。
正確に言うと、一本の木の枝に座り、幹に背をもたれかけている人物に。
およそそんな場所に人が座っているのは珍しい。というかあり得ない。
ましてや美しい装飾のついた正装服姿の美男子が、高い木の枝に座しているのだ。
思わずアーサフィルドが窓を開けて声をかけてしまったのも無理はない。
木の上の男は瞑っていた瞼を開け、声の主を確認した。
「これはこれは、第二王子殿下ではありませんか。この間は、兄君とお話中に邪魔をしてしまい、申し訳ありませんでした」
驚いた様子もなく返って来た飄々とした声。
数日前、中庭で会った男、サルトゥリアヌスだった。
「・・・それで?」
アーサフィルドは、木から降りて来た男を不審げに見上げる。
「それで、とは?」
「決まってる。あんな所で何をしていたのかを聞いているんだ」
「ああ。・・・いえ、少々ヒマだったもので」
「・・・ヒマ?」
「ええ。最近、状況に不満がないのか、担当している者からの要求が少ないもので」
何を言っているんだ、この男は。
「王城に勤めているのに、ヒマで木に登っていたとか、言い訳にしても下手すぎるよ」
むっとなって、つい棘のある声が出たが、サルトゥリアヌスは面白そうに片眉を上げただけだった。
「・・・第二王子殿下は、本当に賢いお方ですね。王太子殿下が頼りにされる理由が分かります」
その言葉に、アーサフィルドがぴくりと反応する。
「頼りにするって、兄上が? ・・・そんな筈はないだろう、僕は再来月にようやく八歳になる子どもだよ?」
「いいえ」
サルトゥリアヌスは腰を折り、視線をアーサフィルドと同じ高さに合わせてから言った。
「貴方さまはご存知ない。王太子殿下は、貴方さまから大きな力と慰めを得ておられます。・・・そしてこれから先、貴方の助けは更に大きなものとなるでしょう」
「・・・?」
アーサフィルドは、サルトゥリアヌスの言葉の意味が分からず、ただ黙って首を傾げた。
サルトゥリアヌスは薄い笑みを浮かべると、右手をひらりと宙に回した。
アーサフィルドの眼がぱちぱちと瞬き、あ・・・と声が漏れる。
「・・・解けましたか?」
「ぼ、僕は・・・あれ?」
サルトゥリアヌスは、アーサフィルドの手をぐっと握った。
「解けた今ならお分かりでしょう。貴方さまは、王太子殿下が心から愛した方を失ったことを知っている。そして、その原因となった憎い女と来月結婚することも」
その言葉に、アーサフィルドの眼が驚愕で大きく見開かれる。
「・・・どうして、それをお前が」
「第二王子殿下。貴方は兄君を心配していらっしゃる。力になりたいと思ってらっしゃる。・・・違いますか?」
アーサフィルドは、ごくりと唾を飲み込んだ。そしてゆっくりと頷く。
「ち、違わない・・・僕は、兄上を助けたい。兄上の力になりたい、そう思ってる・・・」
「ならば」
握っていた手に、更に力がこもる。
「ならばその時が来たら、必ずそうしておあげなさい。貴方の兄君を解放して差し上げるのです」
「一体、何の話を・・・」
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「・・・」
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