上 下
54 / 183

だがそれでも私は

しおりを挟む
ノヴァイアスの表情には、何の感情も浮かんではいなかった。

ただ、じっと目の前にいる男を、自分が凌辱した女性の父親を静かに見つめていた。
まるで詰られるのを、罵られるのを、ひたすら待っているかのように。

「・・・ノヴァイアス。お前の取った行動は倫理にもとる行為であり、その行為そのものは褒められたものではない。そして、ユリアティエルはそれを辛い記憶として抱えているかもしれん。・・・だがそれでも」

ジークヴァインは自身が留め置かれている地下牢をぐるりと見回した。

「・・・それでも、お前は私よりも確実にあの子の命を守ったのだろう」

ノヴァイアスは目を瞠る。
その唇は何かを言おうとしたのだろうか、一瞬、僅かに開かれたが、だがすぐに固く引き結ばれた。

「あの子がそれを恨んだとて・・・私はまず、あの子が未だ生きのびていてくれたことを嬉しく思う」
「・・・私にあのような目に遭わされてなお、あの方が自害なさらずに生きる事をお選びになったのは、ひとえにあの方ご自身の内面の強さによるものでございます」
「ノヴァイアス」

ジークヴァインの声は、あくまでも静かだった。
彼とて、ヴァルハリラによって地下牢に放り込まれて約一年半。
その間ずっと、愛娘の死を覚悟し、己の無力さを嘆き続けていたのだ。

「全ての原因はあの女にある筈だろう。我々は各々がそれに抗おうと動いただけなのだ。・・・その方法の是非を問う資格は、少なくとも私にはない」
「・・・」
「私の取った手段だけでは、あの子はいつか殺されていたに違いないのだから」

だとしても。
それでもきっと、この男は自分を責め続けるのだろう。

目の前で牢の鉄柵を握りしめ、所在なさげに立ちつくす惨めな男の姿を見て、ジークヴァインはそう判じた。

きっとお前は、この先もずっと、それこそ生きる限り願い続けるのだろうな。
私を許さないでくれ、と。
どうか憎んでくれ、と。

自分を取り巻く世界の全てに向かって。

それは、だがそれは。
お前にとって何より辛いことだろうに。

自分を呪いながら生きるよりは、いっそ死を選んだ方が楽だろうに。
こうして自分が犯した罪を、周囲に告解して回るよりは。

「・・・だがなノヴァイアス。他にどんな手段があったと言うのだろうな・・・?」

呟きにも似た、小さな小さな問い。
恐らくは誰も、ジークヴァインにもノヴァイアスにも、またカルセイランにも答えられないであろう疑問。

ユリアティエルが生きていてくれてよかった。

そう思ってしまった自分が間違いなのか。
そんな目に遭わされるくらいなら、いっそ死んで仕舞った方がマシだった、と言うべきなのか。
今、あの子がどれほどの絶望を抱えていても、それでも生きて、存在してくれている事実が嬉しい、と、そう思ってしまう自分が残酷なのか。

自分が刑の執行人としての役を負わずにすんだ事実を棚に上げて。
お前を、お前だけをただ一人、恨むべき対象として罪に問うべきなのか。

ああ、済まない。
済まない、ユリアティエル。
済まない・・・ノヴァイアス。

それでも私は、あの子が生きていてくれた事が嬉しいのだ。


その時だった。
何者かが地下牢に足を踏み入れた。

その足音は迷わず最奥へと進んでくる。

だが、ジークヴァインも、そしてノヴァイアスにも驚いた様子はない。

「・・・そろそろ出て来る頃だと思っていた」

そう言いながら、ノヴァイアスはゆっくりと後ろを振り返る。

「アデルハイデン卿に食事を運んでいたのはお前だろう? ・・・サルトゥリアヌス」


しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

挙式後すぐに離婚届を手渡された私は、この結婚は予め捨てられることが確定していた事実を知らされました

結城芙由奈 
恋愛
【結婚した日に、「君にこれを預けておく」と離婚届を手渡されました】 今日、私は子供の頃からずっと大好きだった人と結婚した。しかし、式の後に絶望的な事を彼に言われた。 「ごめん、本当は君とは結婚したくなかったんだ。これを預けておくから、その気になったら提出してくれ」 そう言って手渡されたのは何と離婚届けだった。 そしてどこまでも冷たい態度の夫の行動に傷つけられていく私。 けれどその裏には私の知らない、ある深い事情が隠されていた。 その真意を知った時、私は―。 ※暫く鬱展開が続きます ※他サイトでも投稿中

王妃の手習い

桃井すもも
恋愛
オフィーリアは王太子の婚約者候補である。しかしそれは、国内貴族の勢力バランスを鑑みて、解消が前提の予定調和のものであった。 真の婚約者は既に内定している。 近い将来、オフィーリアは候補から外される。 ❇妄想の産物につき史実と100%異なります。 ❇知らない事は書けないをモットーに完結まで頑張ります。 ❇妄想スイマーと共に遠泳下さる方にお楽しみ頂けますと泳ぎ甲斐があります。

何を間違った?【完結済】

maruko
恋愛
私は長年の婚約者に婚約破棄を言い渡す。 彼女とは1年前から連絡が途絶えてしまっていた。 今真実を聞いて⋯⋯。 愚かな私の後悔の話 ※作者の妄想の産物です 他サイトでも投稿しております

浮気の代償~失った絆は戻らない~

矢野りと
恋愛
結婚十年目の愛妻家トーマスはほんの軽い気持ちで浮気をしてしまった。そして浮気が妻イザベラに知られてしまった時にトーマスはなんとか誤魔化そうとして謝る事もせず、逆に家族を味方に付け妻を悪者にしてしまった。何の落ち度もない妻に悪い事をしたとは思っていたが、これで浮気の事はあやふやになり、愛する家族との日常が戻ってくると信じていた。だがそうはならなかった…。 ※設定はゆるいです。

妻を蔑ろにしていた結果。

下菊みこと
恋愛
愚かな夫が自業自得で後悔するだけ。妻は結果に満足しています。 主人公は愛人を囲っていた。愛人曰く妻は彼女に嫌がらせをしているらしい。そんな性悪な妻が、屋敷の最上階から身投げしようとしていると報告されて急いで妻のもとへ行く。 小説家になろう様でも投稿しています。

亡くなった王太子妃

沙耶
恋愛
王妃の茶会で毒を盛られてしまった王太子妃。 侍女の証言、王太子妃の親友、溺愛していた妹。 王太子妃を愛していた王太子が、全てを気付いた時にはもう遅かった。 なぜなら彼女は死んでしまったのだから。

かわいそうな旦那様‥

みるみる
恋愛
侯爵令嬢リリアのもとに、公爵家の長男テオから婚約の申し込みがありました。ですが、テオはある未亡人に惚れ込んでいて、まだ若くて性的魅力のかけらもないリリアには、本当は全く異性として興味を持っていなかったのです。 そんなテオに、リリアはある提案をしました。 「‥白い結婚のまま、三年後に私と離縁して下さい。」 テオはその提案を承諾しました。 そんな二人の結婚生活は‥‥。 ※題名の「かわいそうな旦那様」については、客観的に見ていると、この旦那のどこが?となると思いますが、主人公の旦那に対する皮肉的な意味も込めて、あえてこの題名にしました。 ※小説家になろうにも投稿中 ※本編完結しましたが、補足したい話がある為番外編を少しだけ投稿しますm(_ _)m

側妃、で御座いますか?承知いたしました、ただし条件があります。

とうや
恋愛
「私はシャーロットを妻にしようと思う。君は側妃になってくれ」 成婚の儀を迎える半年前。王太子セオドアは、15年も婚約者だったエマにそう言った。微笑んだままのエマ・シーグローブ公爵令嬢と、驚きの余り硬直する近衛騎士ケイレブ・シェパード。幼馴染だった3人の関係は、シャーロットという少女によって崩れた。 「側妃、で御座いますか?承知いたしました、ただし条件があります」 ********************************************        ATTENTION ******************************************** *世界軸は『側近候補を外されて覚醒したら〜』あたりの、なんちゃってヨーロッパ風。魔法はあるけれど魔王もいないし神様も遠い存在。そんなご都合主義で設定うすうすの世界です。 *いつものような残酷な表現はありませんが、倫理観に難ありで軽い胸糞です。タグを良くご覧ください。 *R-15は保険です。

処理中です...