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眼裏に浮かぶのは
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馬から降り、小川の辺りへと手綱を引く。
馬が水を飲む傍で、ノヴァイアス自身も川べりに膝をつき、水で喉を潤した。
濡れた口元を乱暴に拭い、大きく息を吐く。
それから汚れた衣服を荷から取り出し、川の水で洗ってから木の枝にかける。
今晩はここで野宿だな。
ふう、と息を吐きながら草の上に腰を下ろす。
・・・もう三週間。
これだけ時間をかけても、やっと一部・・・北部での探索が終わっただけだ。
手がかりが皆無というのも、更に捜索を困難にしている。
諦めない。諦めはしない。
だが。
時間が惜しい。
こうしている今も、誰かがあの方を抱いているかもしれない。
殴っているかもしれない。
突き倒されているかもしれない。
・・・あの方が泣いているかもしれない。
駄目だ。
それは駄目だ。
あの方を抱いていいのは私だけ---。
燃えるような嫉妬に駆られてそんな言葉が頭をよぎり、そこではっと我に帰る。
いや、違う。
抱いてよかったのは私だけ。
そう、あの時の私だけだ。
お救いするという大義名分を勝手に掲げていた時だけの、誰からも納得されないであろう独り善がりの正義を振りかざしていた私の。
もう分かったではないか。
思い知ったではないか。
今は。これからは。
あの方を抱いていいのは、その権利があるのは。
ぐっと拳を握りしめる。
薪を集めて火を起こし、川で捕った魚を焼く。
「・・・さて、明日はどこに向かおうか」
返事が来る筈もないのに、そうぽつりと独り言ちた。
やがて日は落ち、暗闇の中に静けさだけが舞い降りる。
ノヴァイアスにとって、今、この世界を照らすのは目の前で揺らめく炎だけ。
寒い。
暗い。
ユリアティエルさま。
貴女のいない世界は、こんなにも暗くて寒くて凍えるようで。
ノヴァイアスは、そっと目を閉じた。
眼裏に浮かぶのは、心を捧げた美しい人が、愛する婚約者に向ける穏やかな笑顔。
決して自分に注がれることのない安心しきった眼差し。
そして。
彼女を初めて凌辱した時の、あの涙で溢れた悲しそうな瞳。
やめてと懇願する震える声。
彼女の肌をなぞる自分の手に、恐怖と悦楽とでわななく背中。
ひとつ、溜息を吐く。
過ぎたものは帰らない。
過去を無かったことには出来ない。
恋情のない友愛だけの眼差しでも、それを受けられることを喜べれば良かった。
私にあるのはそれだけだったのに。
もうあの方は友として私を見ることは決してないだろう。
あの方の中の私は卑怯な裏切り者で、彼女を犯し尽くし、苦しめた悪人でしかない。
私こそが、純潔を奪い、子を孕ませ、流れる苦しみを味わせた張本人なのだ。
・・・悔やんで何になる。
それはまごうことなき事実、打ち消すことの出来ない真実なのに。
パチパチと薪の爆ぜる音だけが聞こえる。
ゆっくりと、そして静かに、夜は更けていく。
それと同時に、己が身を突き刺す寒さも増していって。
軽く頭を振ると、ノヴァイアスは明日の出発に備えて早目に横になった。
少しでも眠らなければ。
明日もお前の朝は早いのだから。
馬が水を飲む傍で、ノヴァイアス自身も川べりに膝をつき、水で喉を潤した。
濡れた口元を乱暴に拭い、大きく息を吐く。
それから汚れた衣服を荷から取り出し、川の水で洗ってから木の枝にかける。
今晩はここで野宿だな。
ふう、と息を吐きながら草の上に腰を下ろす。
・・・もう三週間。
これだけ時間をかけても、やっと一部・・・北部での探索が終わっただけだ。
手がかりが皆無というのも、更に捜索を困難にしている。
諦めない。諦めはしない。
だが。
時間が惜しい。
こうしている今も、誰かがあの方を抱いているかもしれない。
殴っているかもしれない。
突き倒されているかもしれない。
・・・あの方が泣いているかもしれない。
駄目だ。
それは駄目だ。
あの方を抱いていいのは私だけ---。
燃えるような嫉妬に駆られてそんな言葉が頭をよぎり、そこではっと我に帰る。
いや、違う。
抱いてよかったのは私だけ。
そう、あの時の私だけだ。
お救いするという大義名分を勝手に掲げていた時だけの、誰からも納得されないであろう独り善がりの正義を振りかざしていた私の。
もう分かったではないか。
思い知ったではないか。
今は。これからは。
あの方を抱いていいのは、その権利があるのは。
ぐっと拳を握りしめる。
薪を集めて火を起こし、川で捕った魚を焼く。
「・・・さて、明日はどこに向かおうか」
返事が来る筈もないのに、そうぽつりと独り言ちた。
やがて日は落ち、暗闇の中に静けさだけが舞い降りる。
ノヴァイアスにとって、今、この世界を照らすのは目の前で揺らめく炎だけ。
寒い。
暗い。
ユリアティエルさま。
貴女のいない世界は、こんなにも暗くて寒くて凍えるようで。
ノヴァイアスは、そっと目を閉じた。
眼裏に浮かぶのは、心を捧げた美しい人が、愛する婚約者に向ける穏やかな笑顔。
決して自分に注がれることのない安心しきった眼差し。
そして。
彼女を初めて凌辱した時の、あの涙で溢れた悲しそうな瞳。
やめてと懇願する震える声。
彼女の肌をなぞる自分の手に、恐怖と悦楽とでわななく背中。
ひとつ、溜息を吐く。
過ぎたものは帰らない。
過去を無かったことには出来ない。
恋情のない友愛だけの眼差しでも、それを受けられることを喜べれば良かった。
私にあるのはそれだけだったのに。
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パチパチと薪の爆ぜる音だけが聞こえる。
ゆっくりと、そして静かに、夜は更けていく。
それと同時に、己が身を突き刺す寒さも増していって。
軽く頭を振ると、ノヴァイアスは明日の出発に備えて早目に横になった。
少しでも眠らなければ。
明日もお前の朝は早いのだから。
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