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運試し

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薄く目を開けた時。
最近ようやく慣れつつあった風景とは違うものが、ユリアティエルの視界に映り込んだ。

ここは・・・?

ああ、そうだわ。
私、お医者さまについて外に出たのだわ。

瞼が重い。
何故、こんなに眠いのかしら。

その時、額に冷たい何かが触れる。

ひんやりと氷のように冷たい。

これは・・・手?

誰? ノヴァイアス?

「・・・起きたか」
「・・・!」

聞き慣れたものとは違う声に、一気に頭が覚醒する。

目の前にいるのは、私を外に連れ出したお医者さま。

ああ、そうだわ。私。
私は何も知らなくて。

目の前のこの人が、敵方に属することを知らなくて。

「お医者・・・さま・・・」
「まだ俺をそう呼ぶか」

面白い、とでも言いたげに目を輝かせてくつりと笑う。

「医者では・・・ないと?」
「嘘ではない。俺は医者にも、戦士にも、王にも、奴隷にでもなれる。成りたいと思えばの話だがな」

その言葉の意図が汲めず、ユリアティエルは黙って眉根を寄せる。

「分からずとも良い、楽にしていろ。俺はお前たちのことをどうとも思っていない。あの女と違ってな」

お前たち?
あの女?

「見知らぬ男の前でむやみと喚かぬとは、やはりあの女と違って賢いようだ」

彼の手が私へと伸ばされる。
私の頬をするりと撫でる。

「美味そうだな」

くつりと笑う。

その眼に宿る無機質な光に、その指先の冷たさに背筋が凍るのを感じた。

「・・・わたくしを抱くおつもりですか?」
「ほう?」

分かりやすく目を細める。
まるで新しい玩具を手に入れた子どものようだ。

「成程、人間の男であれば、極上の女が手に入ったら、まずすることはそれなのであろう。そして今のところ、俺は人の形を取っている」
「・・・?」
「お前は面白いな」

話される言葉の意味が分からず戸惑うユリアティエルの事など気にする素振りもなく、男はただ淡々と言葉を継ぐ。

「主からの命令とはいえ、あんな女の言うことに従うのが業腹なのは事実。よし、娘よ。お前に少しばかり時間をやろう。ここのところつまらぬ事ばかりなのでな、暇つぶしだ」
「暇つぶし・・・とは?」

問い返すユリアティエルを真っ直ぐに見据えた。

「お前のこれから先については、あの女によりある程度まで決められている」

頬に手を添えたまま、親指で瞼の下をするすると撫でる。

「それでだな、その女によると、俺はお前をどこかに売り飛ばす事になっているのだ。お前はどこがいい? 娼館か、盗賊の一団か、それとも山奥の炭鉱か?」

紡がれた言葉に、一瞬で視界が絶望に染まる。

彼の話す内容の半分も理解出来ないが、これまでとは比べものにならない程の残酷な未来が自分を待ち受けている事だけは、容易に想像がつく。

言葉を返すことも出来ず、ただ黙って自身の体を強く抱きしめた。

「いや、違うな。これでは暇つぶしにもならぬ。あの女が喜ぶだけだ。ふむ、そうだな」

彼は顎に手を当て、何やら考え込んでいる。

先ほどから何度も口にしている『あの女』という言葉。
その人が私をここまで憎んでいるということだろうか。

「よし、では運試しをしよう」

暫し考え込んでいた彼が、ふと思いついたようにそんな事を言い出した。

「次に俺があの女から呼び出されるまで、お前を手元に置いてやろう。呼び出された時点でお前の時は尽き、俺はあの女の指示通りにお前を売り飛ばしてここを去る。どうだ?」

その言葉にユリアティエルが僅かに目を瞠ると、男は真面目に言葉を続けた。

「つまりは、その時までお前をここにおいてやるという事だ。ああ、だが期待はするなよ? それがいつになるかは分からぬのだからな。明日呼び出されるかもしれぬ。或いはひと月後かもしれぬ。はたまた、あの女の身に何かが起きて一生呼ばれぬかもしれんしな」

そう話しながらユリアティエルの顔を覗き込む。

「どうだ?」

残酷な未来が少しだけ先延ばしにされる可能性に安堵しつつも、ふとした疑問が湧く。

「・・・貴方さまはそれでよろしいのですか?」
「どういう意味だ?」

分からない、と首を傾げて続きを促す。

「わたくしをすぐに・・・その、売らないと、『あの女』とやらの方に怒りに触れるのでは?」

質問の意図を理解すると、何が面白いのか声を上げて笑った。

「あれの怒りなど何ほどのものか。そもそも俺の方が力も立場も上だ。ただ主の仰せに従い、あの女を受け持っただけのこと」

ひとしきり笑うと、再び言葉を続けた。

「まあ、最終的にはあの女の要望を聞き届けねばならぬ。だから次に呼び出される迄が期限となるがな」
「・・・これは運試しというより、貴方さまの気まぐれによる温情では?」

残酷な未来が、少し先に延びただけ。
たったそれだけの。

「そうでもない」
「は?」
「お前を探し回っている男がいる」
「・・・探して? わたくしを?」

それは・・・。

「ノヴァイアスだ」

・・・ノヴァイアス。彼が。

「確かに、遅かれ早かれお前は俺に売り飛ばされ、そこで酷い目に遭うだろう。いずれは死を願うほどにな。だが運が良ければ、その期間は短くなるかもしれん。或いは気の遠くなるほど長くなるかもしれん」

ここで彼は、一旦言葉を切った。

「何の根拠もない話だ。・・・さて、どうする?」

彼は、私を真っ直ぐに見据えている。

「ああ、それからもう一つ。ここにいても安全とは思うなよ。腹が減った俺に血を啜られるかもしれん。或いは、気まぐれで俺に抱かれるかもしれん。あの男・・・ノヴァイアスと違って、お前を愛してなどいないこの俺に」

くつりと笑いながら告げられた言葉に呆然とする。

目の前の男性が私の血を啜るとか抱くという言葉は勿論だが、しかしそれだけではなく。

もう一つ、そこに含まれていたものに。

愛してる? ノヴァイアスが私を?

確かに初めて私を抱いた時に、そんなことを私に囁きはしたけれど。
それは私を抱くための只の口実だと思っていた。

だって。
だって、愛しているなら何故あんなことをしたの?
何故あんな方法で私の純潔を奪ったの?


考え込む私の目の前で、彼が綺麗に微笑む。
私をあの屋敷から連れ出した時のように。

「どうする? 試してみるか? ・・・己の運とあの男の執着を」
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