上 下
20 / 183

出立

しおりを挟む
人気のない屋敷の中。
その最奥の部屋で跪く男は、己の無力さに肩を震わせて泣いていた。

だが、すぐに男は立ち上がる。
そして厩舎へ行き、元気な馬を外へと連れ出し跨った。

手がかりはない。
片っ端から当たっていくしかないだろう。

酷く非効率的で、恐ろしく時間がかかる方法。
あの方の身に降りかかるであろう事を思えば、一分一秒でも惜しいというのに。

だが、自己憐憫に打ち震え、泣いている場合ではないのだ。

「・・・申し訳ありません、ユリアティエルさま」

自己満足に過ぎない謝罪の言葉が口を吐く。

無力で愚かな私を恨んでください。

傷つけるだけ傷つけて、禄に償いも出来ぬまま、まんまとサルトゥリアヌスに拐われてしまった。

必ず・・・必ず貴女を見つけます。

だからどうか、どうか自ら命を絶つことだけはしないでください。
辛いことを耐え抜いた先に、何かがあると信じてください。

あの女の借り受けた力が尽きるまで、あと一年。
課された条件を満たせぬならば、それであの女は終わりを迎える。

カルセイランさまならば。
カルセイランさまならば、きっと。

己の愛した女性を見誤らない筈。
たとえ『傀儡』と『魅了』を重ねられても。

そうだ、あの方ならば、きっと。
私のような愚かな間違いはしない。


ノヴァイアスは掛け声と共に馬を走らせ、闇の中へと消えていく。

そうして全ては漆黒の闇へと溶けていった。

以降、暫くの間、彼の行方は要として知れないままとなる。

それはあの女、ヴァルハリラにさえも。







カルセイランは、ひとり執務室に残り、夜遅くまで公務に追われていた。

堆く積まれた書類。
指示や決定を仰ぐ報告書。
最終認定を待つ決定事項。

・・・時間がいくらあっても足りない。

なのに、追い討ちをかけるかのように連日の如く婚約者が押しかけて来て執務の邪魔をする。

一緒にいたがるくせに、実は私に何の関心もない女性。
私の時間を拘束しながら、自分のしたいことだけをする女性。
国にも民にも何の配慮も愛情も持つことなく、ただ自分の欲を満たすことのみに重きを置く女性。

何故、王はあの令嬢を私の婚約者と定めたのだろうか。

そして、何故、私は。
何故それに異を唱えないのか。
いや、唱えられないのか、

彼女の前では思考が止まる。

意識が二転三転することや、霞がかかったかのように何も考えられなくなることなど日常茶飯事だ。

厭いながらも同席を許し、誘いを断ろうと思う度に承諾の意を告げる。
これほどまでの嫌悪を持ちながら、時折、自分の内奥から引力のような圧を感じて彼女に引き寄せられる。

思うことと行うことが乖離し過ぎて、不気味さを感じると同時に、自分で自分が分からなくなる。

気がつけば、カルセイランの口からは深い溜息が漏れていた。

数年前に、突如彼女の父が宰相の地位に就いた頃からだろうか。
この国は、どこか、何かがおかしくなっている。

国王に何度問うても、この婚約は王命だという一言しか返ってこない。
まるでそれ以外の言葉が言えないかのように。

彼女に対する民からの評判も芳しくはない。
陰ながらではあるが、家臣の中には彼女の行動に眉をひそめる者も多い。

なのに誰も口に出してそれを言うことが出来ないのだ。

それをしようとすると空気が変わる。
何かが場を支配する。

まるで何かに縛られているようだ。

「・・・」

ペンを持つ手に力が籠る。

時折、頭の中に朧げな光景が浮かぶことがある。

それは優しい微笑み。
明るく上品な笑い声。
刺激的で建設的な対話。
信頼に溢れた眼差し。

・・・だが、あれは誰なのか。

ただの夢なのか、現実から逃避しようと自ら作り出した幻なのか。

だが、その幻の女性は美しかった。
民から慕われていた。
皆から愛されていた。

彼女のような女性が、私の婚約者であったなら。

未来は明るいだろうに。
この国も安泰だろうに。
私も喜びに溢れるだろうに。

そうだ、彼女は。
彼女は私の---。

その時、カルセイランの頭に鋭い痛みが走る。

軽い呻き声と共に頭を押さえ、暫しの間、黙り込む。

「・・・」

やがて痛みは過ぎ去り、カルセイランは再び顔を上げた。

「・・・何か大切な事を考えていた筈だが・・・」

手元の書類に目を落としながら、カルセイランは呟いた。

何も思い出せない。

残るのは、何か大事なものを失ったような、そんな喪失感だけだ。

カルセイランは大きく息を吐くと再びペンを取り、執務を開始する。


あと半年。
あと半年で婚姻の儀が執り行われる。

彼女を妻として迎える日が、やってくる。

しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

挙式後すぐに離婚届を手渡された私は、この結婚は予め捨てられることが確定していた事実を知らされました

結城芙由奈 
恋愛
【結婚した日に、「君にこれを預けておく」と離婚届を手渡されました】 今日、私は子供の頃からずっと大好きだった人と結婚した。しかし、式の後に絶望的な事を彼に言われた。 「ごめん、本当は君とは結婚したくなかったんだ。これを預けておくから、その気になったら提出してくれ」 そう言って手渡されたのは何と離婚届けだった。 そしてどこまでも冷たい態度の夫の行動に傷つけられていく私。 けれどその裏には私の知らない、ある深い事情が隠されていた。 その真意を知った時、私は―。 ※暫く鬱展開が続きます ※他サイトでも投稿中

王妃の手習い

桃井すもも
恋愛
オフィーリアは王太子の婚約者候補である。しかしそれは、国内貴族の勢力バランスを鑑みて、解消が前提の予定調和のものであった。 真の婚約者は既に内定している。 近い将来、オフィーリアは候補から外される。 ❇妄想の産物につき史実と100%異なります。 ❇知らない事は書けないをモットーに完結まで頑張ります。 ❇妄想スイマーと共に遠泳下さる方にお楽しみ頂けますと泳ぎ甲斐があります。

何を間違った?【完結済】

maruko
恋愛
私は長年の婚約者に婚約破棄を言い渡す。 彼女とは1年前から連絡が途絶えてしまっていた。 今真実を聞いて⋯⋯。 愚かな私の後悔の話 ※作者の妄想の産物です 他サイトでも投稿しております

浮気の代償~失った絆は戻らない~

矢野りと
恋愛
結婚十年目の愛妻家トーマスはほんの軽い気持ちで浮気をしてしまった。そして浮気が妻イザベラに知られてしまった時にトーマスはなんとか誤魔化そうとして謝る事もせず、逆に家族を味方に付け妻を悪者にしてしまった。何の落ち度もない妻に悪い事をしたとは思っていたが、これで浮気の事はあやふやになり、愛する家族との日常が戻ってくると信じていた。だがそうはならなかった…。 ※設定はゆるいです。

妻を蔑ろにしていた結果。

下菊みこと
恋愛
愚かな夫が自業自得で後悔するだけ。妻は結果に満足しています。 主人公は愛人を囲っていた。愛人曰く妻は彼女に嫌がらせをしているらしい。そんな性悪な妻が、屋敷の最上階から身投げしようとしていると報告されて急いで妻のもとへ行く。 小説家になろう様でも投稿しています。

亡くなった王太子妃

沙耶
恋愛
王妃の茶会で毒を盛られてしまった王太子妃。 侍女の証言、王太子妃の親友、溺愛していた妹。 王太子妃を愛していた王太子が、全てを気付いた時にはもう遅かった。 なぜなら彼女は死んでしまったのだから。

かわいそうな旦那様‥

みるみる
恋愛
侯爵令嬢リリアのもとに、公爵家の長男テオから婚約の申し込みがありました。ですが、テオはある未亡人に惚れ込んでいて、まだ若くて性的魅力のかけらもないリリアには、本当は全く異性として興味を持っていなかったのです。 そんなテオに、リリアはある提案をしました。 「‥白い結婚のまま、三年後に私と離縁して下さい。」 テオはその提案を承諾しました。 そんな二人の結婚生活は‥‥。 ※題名の「かわいそうな旦那様」については、客観的に見ていると、この旦那のどこが?となると思いますが、主人公の旦那に対する皮肉的な意味も込めて、あえてこの題名にしました。 ※小説家になろうにも投稿中 ※本編完結しましたが、補足したい話がある為番外編を少しだけ投稿しますm(_ _)m

側妃、で御座いますか?承知いたしました、ただし条件があります。

とうや
恋愛
「私はシャーロットを妻にしようと思う。君は側妃になってくれ」 成婚の儀を迎える半年前。王太子セオドアは、15年も婚約者だったエマにそう言った。微笑んだままのエマ・シーグローブ公爵令嬢と、驚きの余り硬直する近衛騎士ケイレブ・シェパード。幼馴染だった3人の関係は、シャーロットという少女によって崩れた。 「側妃、で御座いますか?承知いたしました、ただし条件があります」 ********************************************        ATTENTION ******************************************** *世界軸は『側近候補を外されて覚醒したら〜』あたりの、なんちゃってヨーロッパ風。魔法はあるけれど魔王もいないし神様も遠い存在。そんなご都合主義で設定うすうすの世界です。 *いつものような残酷な表現はありませんが、倫理観に難ありで軽い胸糞です。タグを良くご覧ください。 *R-15は保険です。

処理中です...