【完結】君は私を許してはいけない ーーー 永遠の贖罪

冬馬亮

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「子は流れたそうね。お気の毒さま」

全く気の毒とも思っていない明るい声が、ノヴァイアスの頭上を通り抜けていく。

「・・・は。お気遣いありがとうございます」

恭しく頭を下げるノヴァイアスに向かって、対面に座る少女はくつりと笑う。

「それにしても訪問の先触れが前日の夜って遅すぎないかしら? しかも昼過ぎにはもう到着しているなんて。今朝あの屋敷を発ったのでしょう? 一体どれだけの速さで来たの?」
「・・・馬車を使わず、馬に乗って来ましたので」
「ふうん」

ノヴァイアスの言葉の裏にあるものなど全て見透かしたかのような笑みを浮かべ、少女は楽しそうに首を傾げた。

「まぁ、でも。これで貴方がちゃんとあの女の処女を奪ったってことは分かったわ。色々と疑ってごめんなさいね?」
「・・・いえ。ご納得いただけたのでしたらよかったです」

ノヴァイアスは頭を下げたまま会話を続ける。
その瞳に、今は何を宿しているかも伺えない。
ただ声は低く、静かなままだった。

「ああ、そうそう。式の日取りがようやく決まったのよ。大まかな日程しか選定されていなかったから随分とヤキモキさせられたけど」
「・・・それは良うございました」

淡々とした返しに、少女の眼が妖しく細められ、「知りたくないの?」と問いかける。

ノヴァイアスがそれに対して首を横に振ると、「薄情だこと」と大笑いした。

「貴方はもう出仕はしないつもり?」
「・・・はい」

椅子に悠然と座り傲慢な視線を投げかける少女に、今もノヴァイアスは頭を上げようとしない。

「まぁ、職は残してあるけど貴方の進退などどうでもいいわ」

そう言うと、少女は突然に話題を変えた。

「あと半年。あと半年で私はあの方の妻となる。彼と初夜を迎えれば契約は満了して、私の命はもう仮のものではなくなるの。期限を設けられた時には間に合うかどうか心配だったけれど、ここまで形が整えばもう安心ね」

少女は余程ご機嫌なのか、サイドテーブルに置かれたワインを、ぐいっと飲み干した。

「貴方がさっさとあの方を裏切る決心をしてくれたおかげで、期限が切れる前にちゃんと欲しいものが手に入りそうでとても嬉しいわ。ああでも、貴方に礼なんか言わないわよ。あの憎たらしい女を、生かしたまま貴方にあげたんだから」
「・・・は。重々承知しております」

言葉少なに相槌を打つノヴァイアスに、少女は細めた鋭い視線を向ける。

「ふふ、いい気分だわ。処女を失ったあの女は、もうどうあがいたってあの方の妻にはなれないのよ。ああ良い気味。あの澄ました顔が屈辱で染まる姿をこの目で見たかったけど・・・残念ね。もう会えないなんて」

不穏な言い回しに、これまでずっと下げていたノヴァイアスの視線が僅かに上がる。

「ねえ、貴方。あの女を奪われないようにと随分警戒しているようね。まあ、監視の目に囲まれてるんだから無理もないけど、閉じ込めたって意味はないわよ? まして報告に来る日を直前まで隠したりしてもね」

先ほどまでの機嫌のよさそうな声とは打って変わった、地を這うような低い声。

ノヴァイアスは上げようとしていた視線をぴたりと止める。

「・・・日程のお知らせが遅くなりましたことはお詫び申し上げます。ですが決してそのような・・・」
「でも残念でした。こっちもそのくらいお見通しよ」

ノヴァイアスは押し黙った。
少女はそこで言葉を切り、目の前の青年をじっと眺める。

「・・・反応がないのね。つまらないわ。もっと焦ってくれなきゃ面白くないじゃないの」
「仰る意味が分かりかねます」
「ふうん? じゃあ、もっとはっきり言ってあげましょうか?」

にやりと含みのある笑みを浮かべながらそう話す少女の表情は、しかしノヴァイアスには見えていない。
それでも、まるで見えているかのように、ノヴァイアスの背中には嫌な汗が流れていた。

「今頃、貴方の屋敷をサルトゥリアヌスが訪れている筈よ」

ここで、弾かれたようにノヴァイアスが顔を上げた。
その眼は驚愕で見開かれている。

「サルトゥリアヌス・・・が? 何故です?」
「あら、決まってるじゃない」

再び上機嫌な声を上げた少女は、嬉しそうに目を細めた。

「あの女を診てあげるためよ。流産してまだ二か月でしょ? 心配じゃない、何かあったらって。その点、あの男は医者ですもの。ちゃあんと診てくれるわ。そしたら貴方も安心でしょ?」
「は・・・?」
「妊娠した時もあの男が確認しに行ったわよね。あの女にとっても、全く知らない人間ってわけではないから、きっと安心して治療してもらえるわよね」
「・・・」
「あら嬉しい。やっと貴方の焦った顔が見られたわ。いつも澄ました無表情で、本当につまらなかったのよ」
「ヴァルハリラ・・・さま?」
「ふふ。屋敷に戻った時に、あの女はまだそこにいるかしら? ねえ、どう思う?」
「ヴァルハリラさまっ! 約束が違いますっ!」

銀色の眼を怒りで燃やして、ノヴァイアスは叫んだ。
だがしかし、ヴァルハリラは楽しそうに笑い転げるだけだ。

「違わないわ。ちゃんと貴方にあの女を渡してあげたでしょう? 良かったじゃないの、あの女を犯せて」
「ですが、証を差し出せば命は助けてやる、と。だから私は・・・」
「ああ、証ね。ええ、約束通りちゃんと孕むまで犯してくれたわよね。でもね、気が変わったのよ。あの女がのうのうと生きてるなんて想像するだけでも虫唾が走るの。私の愛しいカルセイランさまの隣に図々しくも居座り続けたあの女は、苦しみ抜いてから死ななければいけないのよ」

そう言うと、頬杖をついてにたりと笑んだ。

「でも感謝してよね? その前に、貴方に抱かせてあげたんだから。・・・初恋だったのよね? ふふ、よかったじゃない、実って」
「・・・」

ノヴァイアスは黙ったまま、ぐっと拳を握りしめた。

「貴方に任せておいたら大切に守られてしまうわ。・・・どうせ、証明した後はもう抱かないつもりだったのでしょう? そんなの駄目よ。身の程知らずのあの女には絶望のどん底に落ちてもらわなきゃ。苦しんで悲しんで、そして絶望のうちに死んでもらうの」

ヴァルハリラは歌うようにうっとりと呟いた。

「ああ、でも最後に、あの方の隣に立つ私の姿を見てもらうのもいいわね。愛しい眼差しで私を見つめるカルセイランさまを見せてやるの。・・・良い考えだと思わない?」
「・・・失礼いたします」

一言そう告げ踵を返して去って行く後ろ姿に、ヴァルハリラは追い討ちをかけるように更に話し続ける。

「私の温情に感謝なさい。あの女の初めてが盗賊でも娼館の客でも囚人でもなく、信頼する友人の貴方だったのだから」

だが、ノヴァイアスの姿はもうそこにはなく、果たしてその言葉をどこまで耳にしていたかはわからなかった。






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