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誘う者

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ユリアティエルの身の回りの世話は、相変わらずノヴァイアスが全て行っていた。

もう既に一年近くこの家にいるというのに、ユリアティエルは彼以外の家の者と顔を合わせたこともない。

複数人の気配があるから、召使いなり侍女なりがいることは間違いないのだが。

下腹部の違和感も収まり、だいぶ体も楽になってきた頃のことだった。
ノヴァイアスはやけに真剣な面持ちでユリアティエルの前に座ると、静かにこう告げた。

「明日は一日だけこの家を離れます」

その言葉に、ユリアティエルは心底驚いた。

ノヴァイアスがユリアティエルの側を離れることなど、これまでからすれば有り得ないことで。

だが、ノヴァイアスの表情を伺うに、これは彼にとっては本意ではないようで。
いつもならば穏やかな雰囲気を纏っているこの青年は、側から見てもわかるほどにピリピリしていた。

「朝食は、いつも通り私がこの部屋まで運びます。申し訳ありませんが、ユリアティエルさまには、昼食と夕食は召し上がらずに私が帰るまでそのままお待ちいただきたい」
「え・・・?」
「部屋の鍵は私が持って行きますので召使いたちはここに入ることが出来ません。朝食は少し多めにお持ちしますので、朝と昼は二回に分けて召し上がってくださいますか?」

夕食はノヴァイアスが戻ってから持っていく、と続いたその言葉に、ユリアティエルはまた驚く。

それは勿論、ノヴァイアスが戻ってくるまで食事を運ぶ者はいない、と、言われたこともあるが。

彼がそこまで厳密に他者との関わりを制限するとは、ということへの衝撃でもあった。

「出来るだけ早くこの屋敷に戻るようにいたします。それまでは湯あみの用意や身繕いなども、申し訳ありませんがユリアティエルさまご自身でお願いしたく存じます」

・・・ここまで制限する意味はどこにあるの?
そんなに私を閉じ込めておきたいの?
他の者に食事も運びこませないほどに?

ユリアティエルが混乱と恐怖に打ち震える中、何故かノヴァイアスは、それが一番の懸念であるかのように、何度も何度も同じ注意を繰り返す。

「この部屋から一歩も出てはなりません」

ノヴァイアスは、そう念を押した。

次の日の朝、ノヴァイアスはユリアティエルに朝食を運ぶと、予定通りその足で出発した。

久しぶりの一人きりの空間に、ユリアティエルはほぅっと息を吐く。

たった一日の静寂。

安心とは程遠いが、それでも少しは緊張が解れる。

ユリアティエルはソファに腰掛け、ぎゅっと目を瞑った。

思えば、この一年だけでどれだけの出来事が起きただろう。

愛するカルセイランと過ごした穏やかな日々がもう遥か過去の話のようだ。

あの頃は、こんな日が来るなんて夢にも思わなかった。
カルセイランの隣に立つ未来しか夢見なかった。

共にこの国をより豊かに、より平和に治めるために力を尽くそうと約束しあった。

今はもう、叶うことのない夢。

ならば私はせめて、愛する貴方が、今余りにも辛い状況に置かれていないことを祈ろう。

・・・とその時。
扉をノックする音が聞こえた。

それと同時に、鍵を開ける音も。

「・・・誰?」

思わずぎゅっと縮こまる身体に、聞いた覚えのある声が届く。

「お身体の具合はいかがですか? 奥さま」
「・・・貴方は・・・」
「近くまで来たので、ご様子を伺いに参りました」
「あの時の、お医者・・・さま・・・」

以前、ノヴァイアスが連れてきた医者が、扉の向こうから顔を出していた。



本当だったら、この時に気がつくべきだったのかもしれない。

どうやって一人でこの最奥の部屋まで来られたのか、とか。
何故、鍵を開けることが出来たのか、とか。
ノヴァイアスの留守をどうして知っていたのか、とか。

でも、あまりに自然にそこに佇む姿に、勝手にそれが当たり前だと思ってしまった。

たった一度診察してもらっただけの、名前も知らない相手なのに。

ノヴァイアスに捕まってここに連れてこられた以上、もう私を狙う者などいない、と、勝手に思い込んでいた。

「・・・顔色があまりよろしくないようですが」

お医者さまは綺麗に笑った。
ノヴァイアスとは違う、感情のない笑みで。

「あまり閉じこもってばかりでは、良くなるものも良くなりませんよ。・・・そうだ。少し散歩に行くのはどうでしょう? お一人では心細いでしょうから、私がお供します」



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