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レブロン王と王弟ラクロスの話 その3
しおりを挟む居住棟のどこを探しても、レブロンの姿はなかった。
ラクロスは執務棟や離宮などへも足を運ぶ。
だが、やはりそのどこにも兄レブロンの姿は見えない。
厨房を通りかかると、中に人影が見えた。
確認すれば、そこにいたのは王妃であり義姉でもあるリルエだった。
どうやら食料を見繕っていたらしく、手に皿を持っていた。
リルエもまたラクロスを見て、牢から出て来たことを知り驚いたようだ。
「ラクロスさま。良かった、やっと出て来て下さったのですね」
「・・・仕方なくですよ。兄上からはもう来て頂けない様でしたし」
「その様子では、まだ陛下とはお会い出来ていない様ですね」
「ええ。思いつく所は全て探したのですが」
無表情で言葉を返すラクロスに気分を害する事もなく、リルエはあら、と笑う。
「陛下はずっと同じ場所におられますのよ。夜は部屋に戻って来られますけれど、昼間はずっとそちらにおられますわ」
そこで貴方を待っておられます、そうリルエは言った。
王城の奥にある一般の立ち入りが禁止されている区画、そこにレブロンはいると言う。
そんな規制に今はもう何の意味もないが。
そこは、王族のみが入ることを許されていた庭園がある場所だ。
かつて、幼かったラクロスがよく兄に連れられて歩いた庭の。
レブロンは、その庭の花の手入れをしていた。
「・・・王ではなくて庭師の間違いではないですか。なんです、その格好は」
兄の姿を見るなり、ラクロスはそんな言葉を口にした。
弟に気づいたレブロンは、手についた土をパンパンと叩きながら立ち上がる。
「やっと来たか。もう最後の日だぞ」
「会いに行くなどと約束をした覚えはありませんが」
「そう言うな。私はお前が来るのをずっと待っていたのだ」
レブロンは四阿を手で示し、二人はそこに腰を下ろす。
四阿のテーブルの上には、水の入ったボトルとグラスが二つ、置いてあった。
「・・・待っていたと仰る割には、随分と見つけにくい場所に隠れておられましたね。お陰であちこち探し回る羽目になりました」
嫌味で言ったつもりだった。
だが、探し回ったと言われれば、レブロンは嬉しそうな顔をするだけだ。
「その腰の剣・・・武器保管庫にでも寄ったのか」
ラクロスが腰に差した剣を見て、レブロンは咎めるでもなくそう呟く。
「ええ。手ぶらで歩き回るのは、どうにも憚られまして」
「まあ、お前の剣の腕は相当だからな」
「謙遜も過ぎれば嫌味にしかなりません。私は兄上に一度として勝てたことはございませんよ」
「私と互角に打ち合えたのもお前だけだ」
そう言ってレブロンはにっこりと笑う。
まるで、今も大切な弟だと思っているとでも言いたげに。
・・・だから嫌なのだ。
兄に会うと、自分はいつもこんな気持ちにさせられる。
なぜ兄は、何度も自分を殺そうとした男を、こんなに優しい目で見つめる事が出来るのだ。
「あと三日しかないと教えてやったのにな。お前が牢を出るのがこんなに遅いなんて」
「・・・どういう意味です?」
「そのままの意味だよ。これでは、せっかくお前が王位に就いても、僅か数時間で終わってしまうな」
「・・・兄上?」
ラクロスが訝しげに兄を見る。
兄は両手を広げ、さあ、とラクロスを誘った。
「遅くなってすまなかった。今こそ、お前が欲しがっていたものをやろう」
「・・・」
「悪かったな。あんなに欲しがっていたのに、あの時は譲ってやれなくて」
レブロンは、そう言いながら立ち上がる。
そして、ゆっくりとラクロスの側にやって来た。
「ほら・・・心臓はここだ」
「・・・兄上、私は」
「今度は躊躇するなよ・・・あの時はそれで助かったが」
「・・・っ!」
それは、今から十五年以上前。
王位継承権を狙ってラクロスが暗躍していた時のことだ。
ラクロスはレブロンに、何度も刺客を差し向けた。
毒も盛った。
罠も仕掛けた。
だが、その中でただ一度、そうただ一度だけ。
ラクロスが自ら剣を握り、兄に襲いかかった事があった。
護衛を全て斬り伏せ、前にいるのは兄ひとり。
そしてその時、兄は剣を持っていなかった。
上から斬りかかるラクロスに、レブロンは僅かに目を瞠る。
それから、そっと瞼を閉じた。
だが剣先が兄の頭上に到達する数秒前。
ラクロスは剣を止めた。
もうあと数ミリで兄の頭に剣が届くという時に、振り下ろすのを止めたのだ。
やがて物音を聞きつけた騎士たちがその場に駆けつけ、レブロンに刀を突きつけるラクロスを発見する。
ラクロスはそのまま捕縛、投獄となった。
父王の命令によって。
その時から、ラクロスはあの地下牢に収監されていたのである。
そして今、兄は両手を広げて、弟が心臓を突き通すのを待っていた。
「ふざ、けるな」
唸るような低い声がラクロスの口から漏れた。
「・・・ふざけるな。今度こそ思いを遂げさせてやろうと、温情でもかけたつもりですか」
「・・・ラクロス」
「みくびらないで頂きたい。貴方にお膳立てしてもらわなくても、いつだって貴方の首など獲れたのです」
「ラクロス、私は」
「そうだ、いつだって獲れた。なのに・・・獲らなかった。なのに、なぜ今さらこんな茶番を・・・っ」
ラクロスは立ち上がり、腰に差した剣を引き抜くと、そのまま地面に叩きつける。
「洋々と続く未来が目の前に開けていたあの時でさえ、私は貴方の首を獲ることを躊躇った。それを今、この世の全てが終わると知った後で獲る気になる筈などないでしょう。どうして・・・どうして、それがお分かりにならない・・・っ!」
地下牢にいた時、何度も何度も考えた。
あの時、なぜ自分は剣を振り下ろせなかったのか、本当はどうしたかったのか。
自分の望みは何なのか。
ずっと、ずっと考え続けて、そして今。
星が全てを打ち砕く今になってやっと。
その答えが分かったのに。
「・・・今でも、私が貴方の命を奪うことを望んでいると、そうお思いなのですか・・・っ」
「ラクロス」
「ならば、私は、どうしたらいいのですか。望み通りに貴方に打ちかかれば、それで満足なのですか」
ラクロスの瞳から、ぽろりと涙が溢れる。
それを見たレブロンが、慌てて口を開く。
「ラクロス、すまない。そんなつもりではなかった。ただ・・・私はお前から機会を奪った。世界統一を自らの手で成し遂げるという機会を。自分の方が、より民の犠牲を少なくできると、そう思ったから」
「・・・事実でしょう。私は武力による制圧統合を謳っていました」
「だが、私のやり方は間に合わなかった。民が世界統一と平和を謳歌するのに間に合わなかったのだ」
レブロンは空を見上げる。
「民が最も待ち望んでいたものを・・・私は与えられなかった。民は犠牲だけを強いられ、何の報いもなく死んでいくのだ・・・今夜」
「それは兄上、貴方のせいなのですか」
低く、唸るような声に、レブロンは視線を弟へと向ける。
「今夜、星が落ちてくるのは貴方のせいなのですか? それを予測してなお、シャールたちの婚姻で統一を成そうと思ってらしたのですか? 違うでしょう」
「ラクロス」
「十五年前、シャールとアレクサンドラ王女の婚約が結ばれた時、誰も今日という日の出来事を予想はしなかった。だから皆、未来に夢を見て、恋をして子どもをもうけ、商売をして金を貯めた」
ラクロスは兄をじっと見つめ、言葉を継いだ。
「勉学に励んだ者も、剣の腕を磨いた者も、悪に手を染めた者も、栄誉を求めた者も皆、そうです、誰一人としてこんな日が来ることを予想だにしていなかった。もちろん私も・・・そして兄上、貴方も」
ラクロスは投げ捨てた剣を拾い上げた。
「私が提唱したやり方であれば、あと五、六年は早く統一を遂げたことでしょう。だが同時に、数えきれないほどの民が戰で命を落としていた。それでも私がそのやり方を主張したのは、その痛みの後に、長く続く未来があると思ったから」
その言葉に、レブロンは目を瞠る。
「もし、私の言う通りにしていたなら・・・私は今日という日を生きて迎える事はしなかったでしょう。何千何万と民を犠牲にした挙句、僅か数年の夢しか見せられなかったのですから」
兄に向かって、拾い上げた剣を突き出し、さらにこう尋ねた。
「それでもまだ、私が貴方を殺すことをお望みですか。私がまだそうしたいと思っているとお考えなのですか」
「ラクロス」
「どうしても、と仰るのなら叶えて差し上げますよ。もちろんその後すぐに自分の首も刎ねますがね」
レブロンがぽかんと口を開けるのを見て、ラクロスはにやりと笑う。
「兄上。貴方はきっとご存じないのです」
「・・・何をだ?」
「貴方の行動が、多くの民を生かして今日この日を迎えさせたことを・・・そして」
ラクロスは言葉を切り、かつて仲良く手を繋いで歩いた庭園をぐるりと見回す。
「貴方が思っているよりもずっと、私が貴方を好きだということをです」
「・・・っ」
これでもか、と言うくらいに、レブロンの目が大きく開く。
それを見たラクロスは、居心地悪そうに、ふい、と視線を逸らした。
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