12 / 29
ジャスティン・シューマッハの話
しおりを挟むああ。
永遠にこうしていたい。
一日中絵筆を握っていたジャスティンの手は、疲れきっていて微かに震えている。
だが、彼の口元には柔らかい笑みが浮かんでいた。
両親に別れを告げ侯爵家を出てから、ジャスティンは思うがままに絵を描き続けた。
最初は、川岸や公園の片隅でスケッチブックに目にする風景をただただ描いて。
やがて手持ちのスケッチブックが尽き、何に描こうかと思案した時、広場の壁が目に入った。
公共のものだと思いつつ、何をしようとも罰しないという王の宣言を思い出し、吸い寄せられるように壁の前に立った。
そうだ。もうすぐ世界は終わる。
最後にこの世界を好きな色で彩ろう。
美しく飾って最期の時を惜しもう。
ジャスティンはパレットに絵の具を乗せた。
・・・ただ心のままに。
腹が減れば、無償で取っていいとされる店の食べ物や飲み物を口に入れ、そしてまた描き続ける。
そうして創り出したジャスティンの世界は美しかった。
「・・・きれいな絵ですね」
背後からかけられた声に振り向くと、人の好さそうな笑みを浮かべた親子が立っていた。
父親らしき男性は、女の子を腕に抱えている。
抱っこするには少し大きいのでは、と思うくらいの腕の中の娘は、10歳かそこらだろうか。大人しく父親の腕の中に収まっていた。
母親は手に袋を持って、すぐ隣に立っている。
3人とも、もうすぐ世界が終わるという焦りなど何も感じさせないような穏やかな笑顔でそこにいた。
「本当にすてきな絵ですね、ねぇ、あなた」
「そうだな。色が優しくて、見ているだけで心が癒される。お前もそう思わないか? ユミル」
頭を撫でられながらそう尋ねられたユミルという娘は、こくりと頷いた。
「ありがとうございます」
これまで、妹のレイラからしか褒められたことがなかったジャスティンは、はにかみながら礼を言う。
父も母も、ジャスティンが絵を描いているところを見つければ、いつだって罵られ、くだらないと罵倒されてきたのだ。
「あの、これをどうぞ」
母親は、手に持っていた袋をジャスティンに差し出した。
何だろうと思いつつも黙って受け取ると、中からふわりといい匂いがした。
「実は昼前にも貴方を見かけたんです。そして今もまだここにいらした様なので、差し出がましいとは思ったのですが、食事を取られているかどうか心配で」
食べ物と飲み物が入っていると言われ、ジャスティンは驚いた。
「・・・本当にありがとうございます。実は今朝少し食べたきりだったのでお腹が空いてきたところでした。助かります」
「いえいえ、こちらこそ。目を楽しませてもらいまして」
医者だというその男性は、昼前は往診の帰りでジャスティンを見かけたとか。
その絵がとても印象的だったので、娘にも見せたいと思って連れてきたそうだ。
「・・・まだ療養中で上手く歩けないので、こうして抱っこして連れて来たのですよ」
穏やかな笑顔で笑いあう3人の姿を、ジャスティンは眩しそうに見た。
「・・・仲が良くて羨ましい。私は両親からは怒られてばかりでした。絵など何の役にも立たないと怒られ、絵も見つかるたびに破り捨てられまして」
つい零れてしまった愚痴に、その父親は悲しそうに眉を下げた。
「そうですか。こんな素晴らしい絵をお描きになるのに残念な事です」
「ああでも妹が救いでした。いつも私の絵を褒めてくれたんです」
ジャスティンの口元が僅かに緩む。
レイラ。
いつもジャスティンの絵を喜んでくれた優しい妹。
最後くらい好きな事をさせてやってほしいと、ジャスティンの背中を押してくれた。
「そうですか・・・優しい妹さんですね」
「ええ」
「両親とは、家族なのに最後まで分かり合う事が出来なくて残念です。私が絵を諦める事で上手くいっていたのですが、もう世界が終わると知って、最後にまた描きたくなってしまって・・・喧嘩して出て来てしまったんですよ」
深刻な空気になるのは嫌で、笑いながら言ったのだが。
「お兄ちゃん」
父親の腕の中で抱っこされていた娘が口を開いた。
「私、昨日、ここにいる父さんと母さんの娘になったんです」
ジャスティンは目を見開く。
「孤児の私に、本当の家族になろうって言ってくれたんですよ」
「・・・昨日? 孤児?」
どう見ても仲睦まじげな親子にしか見えない人物からの言葉に、ジャスティンはぱちぱちと目を瞬かせる。
「はい。具合が悪くて、テオ先生・・・父さんに治療してもらってたんです。でも、最後に家族になろうって・・・最期の時を精一杯、家族団欒して楽しもうって」
「・・・」
「お兄ちゃん」
言葉に詰まるジャスティンに、ユミルが更に話しかける。
「だから、血が繋がってるから家族だっていう訳じゃないと思います」
「え」
この少女ユミルは、見た目よりも年齢が上なのかもしれない。
そうジャスティンは思った。
10歳くらいかと思ったが、思考が大人びている。
或いは、それだけ苦労したという事か。
「お兄ちゃんは、お兄ちゃんの絵を破った人のために悲しまなくてもいいと思うんです」
「・・・っ」
「お兄ちゃんの絵、見てるとホッとします。描いてくれてありがとう」
涙が、出そうだった。
思わず手で顔を覆ったジャスティンに向かって、テオとレベッカは気遣わしげに頭を下げた。
「すみません。娘が失礼な事を」
「あ・・・いえ。すてきな娘さんですね」
「・・・ありがとうございます。3日間だけですけど、この子と家族になれて良かったと、そう思っています」
「ええ。そう・・・本当にそうですね」
手を振りながら立ち去る親子を、ジャスティンはずっと見送っていた。
--- 血が繋がっているから家族だっていう訳じゃない
お兄ちゃんの絵を破った人のために悲しまなくてもいいと思うんです ---
「はは・・・っ、そうか。悲しまなくてもいいのか・・・」
ずっと申し訳ないと思っていた。
両親の期待通りに出来なくて、でもどうしても絵を諦められなくて、それでもなんとかして認められたくて。
家族だから。
血の繋がった家族だから。
なんだ。そういう事か。
「・・・お兄さま・・・」
佇むジャスティンの耳に、聞きなれた涼やかな声が響いた。
振り向けば、そこにはここにいない筈の。
「・・・レイラ? どうしてここに」
「あまりにお父さまとお母さまの頭が固いものですから、わたくしも家を出て来てしまいましたわ」
「・・・」
「あちこち探しましたのよ? でも中央広場の壁に素敵な絵を描いている人がいるって噂を聞いて・・・」
「まったく。お前は相変わらずだな」
「仕方ないですわ。わたくしにとっては、話の通じる家族はお兄さまだけでしたもの」
レイラは戯けてふふっと笑う。
「・・・そうだな。私にとってもそうだった。あの家で・・・お前だけが私の家族でいてくれた」
ジャスティンは、スッキリした表情で妹に笑顔を向ける。
そしてレイラは、壁に描かれた絵を見上げると、「やっぱりお兄さまの絵は素敵」と呟いた。
18
お気に入りに追加
222
あなたにおすすめの小説
記憶喪失になった嫌われ悪女は心を入れ替える事にした
結城芙由奈@コミカライズ発売中
ファンタジー
池で溺れて死にかけた私は意識を取り戻した時、全ての記憶を失っていた。それと同時に自分が周囲の人々から陰で悪女と呼ばれ、嫌われている事を知る。どうせ記憶喪失になったなら今から心を入れ替えて生きていこう。そして私はさらに衝撃の事実を知る事になる―。
旦那様には愛人がいますが気にしません。
りつ
恋愛
イレーナの夫には愛人がいた。名はマリアンヌ。子どものように可愛らしい彼女のお腹にはすでに子どもまでいた。けれどイレーナは別に気にしなかった。彼女は子どもが嫌いだったから。
※表紙は「かんたん表紙メーカー」様で作成しました。

大好きだけどお別れしましょう〈完結〉
ヘルベ
恋愛
釣った魚に餌をやらない人が居るけど、あたしの恋人はまさにそれ。
いや、相手からしてみたら釣り糸を垂らしてもいないのに食らいついて来た魚なのだから、対して思い入れもないのも当たり前なのか。
騎士カイルのファンの一人でしかなかったあたしが、ライバルを蹴散らし晴れて恋人になれたものの、会話は盛り上がらず、記念日を祝ってくれる気配もない。デートもあたしから誘わないとできない。しかも三回に一回は断られる始末。
全部が全部こっち主導の一方通行の関係。
恋人の甘い雰囲気どころか友達以下のような関係に疲れたあたしは、思わず「別れましょう」と口に出してしまい……。
【完結】もう…我慢しなくても良いですよね?
アノマロカリス
ファンタジー
マーテルリア・フローレンス公爵令嬢は、幼い頃から自国の第一王子との婚約が決まっていて幼少の頃から厳しい教育を施されていた。
泣き言は許されず、笑みを浮かべる事も許されず、お茶会にすら参加させて貰えずに常に完璧な淑女を求められて教育をされて来た。
16歳の成人の義を過ぎてから王子との婚約発表の場で、事あろうことか王子は聖女に選ばれたという男爵令嬢を連れて来て私との婚約を破棄して、男爵令嬢と婚約する事を選んだ。
マーテルリアの幼少からの血の滲むような努力は、一瞬で崩壊してしまった。
あぁ、今迄の苦労は一体なんの為に…
もう…我慢しなくても良いですよね?
この物語は、「虐げられる生活を曽祖母の秘術でざまぁして差し上げますわ!」の続編です。
前作の登場人物達も多数登場する予定です。
マーテルリアのイラストを変更致しました。
貧民街の元娼婦に育てられた孤児は前世の記憶が蘇り底辺から成り上がり世界の救世主になる。
黒ハット
ファンタジー
【完結しました】捨て子だった主人公は、元貴族の側室で騙せれて娼婦だった女性に拾われて最下層階級の貧民街で育てられるが、13歳の時に崖から川に突き落とされて意識が無くなり。気が付くと前世の日本で物理学の研究生だった記憶が蘇り、周りの人たちの善意で底辺から抜け出し成り上がって世界の救世主と呼ばれる様になる。
この作品は小説書き始めた初期の作品で内容と書き方をリメイクして再投稿を始めました。感想、応援よろしくお願いいたします。
旦那様、前世の記憶を取り戻したので離縁させて頂きます
結城芙由奈@コミカライズ発売中
恋愛
【前世の記憶が戻ったので、貴方はもう用済みです】
ある日突然私は前世の記憶を取り戻し、今自分が置かれている結婚生活がとても理不尽な事に気が付いた。こんな夫ならもういらない。前世の知識を活用すれば、この世界でもきっと女1人で生きていけるはず。そして私はクズ夫に離婚届を突きつけた―。
追放された偽物聖女は、辺境の村でひっそり暮らしている
黎
ファンタジー
辺境の村で人々のために薬を作って暮らすリサは“聖女”と呼ばれている。その噂を聞きつけた騎士団の数人が現れ、あらゆる疾病を治療する万能の力を持つ聖女を連れて行くべく強引な手段に出ようとする中、騎士団長が割って入る──どうせ聖女のようだと称えられているに過ぎないと。ぶっきらぼうながらも親切な騎士団長に惹かれていくリサは、しかし実は数年前に“偽物聖女”と帝都を追われたクラリッサであった。
だから聖女はいなくなった
澤谷弥(さわたに わたる)
ファンタジー
「聖女ラティアーナよ。君との婚約を破棄することをここに宣言する」
レオンクル王国の王太子であるキンバリーが婚約破棄を告げた相手は聖女ラティアーナである。
彼女はその婚約破棄を黙って受け入れた。さらに彼女は、新たにキンバリーと婚約したアイニスに聖女の証である首飾りを手渡すと姿を消した。
だが、ラティアーナがいなくなってから彼女のありがたみに気づいたキンバリーだが、すでにその姿はどこにもない。
キンバリーの弟であるサディアスが、兄のためにもラティアーナを探し始める。だが、彼女を探していくうちに、なぜ彼女がキンバリーとの婚約破棄を受け入れ、聖女という地位を退いたのかの理由を知る――。
※7万字程度の中編です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる