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シューマッハ侯爵家の話

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パンパンに膨らんだ鞄を肩にかけ、ジャスティン・シューマッハは玄関の扉に手をかけた。

背後からは父シューマッハ侯爵の怒声が響く。


「どこへ行く、ジャスティンッ! 母さんを置いて行く気か? 家族と共に過ごす時間はあと三日しかないんだぞっ!」


ジャスティンは息を一つ吐き、気持ちを落ち着けてからゆっくりと振り返る。


家を出ようとするジャスティンを追いかけて来たのは厳格な父ドーラン。

良くも悪くも貴族らしい彼は、これまでずっと厳格に、いや寧ろ厳しすぎる程に息子ジャスティンの教育に当たってきた。


これまで黙って父の言うことに従ってきた優しい息子は、今朝の国王の発表を受け、父の期待に反してこの家を出ると言い出したのだ。


最期の時だからこそ、家族で時間を過ごし、共に嘆き、慰め合うべきではないか。


それが父ドーランの意見だった。

対してジャスティンは、最後の三日だけでも自分の思うように過ごしたいと、さっさと荷物をまとめて家を出ようとしていた。

従順で口答えもほとんどしたことがなかった息子の変化に、ドーランも、母アンナも驚きを隠せない。
アンナは先ほどから泣きっぱなしだ。


「ど、どうして・・・ジャスティン。どうして家を出るなんて言うの? 貴方はお母さまを見捨てる気なの・・・?」


ドーランに肩を抱かれ、ぽろぽろと涙を零すアンナは、愛する息子の薄情な行動にショックを受けていた。
怒りに打ち震えるドーランの背後に立つ妹のレイラだけが、その眼に冷静さを宿していた。


「何を仰っているの、お父さま、お母さま。お兄さまは、この家のためにずっと我慢してきたわ。最後くらいお兄さまの好きにさせてあげたらいいじゃない」

「レイラッ? お前、何を言っている?」

「だってそうでしょ。この家を継ぐためだと言ってお兄さまの自由を奪い、思い通りに動かしてきたくせに。この世界は滅びるの。もう家のことも気にする必要がなくなったのよ? いい加減にお兄さまを自由にしてあげて」

「レイラッ!」

「父上、お止め下さいっ、レイラに何を・・・っ!」


バシン、と乾いた音が響く。


ドーランがレイラの頬を打ったのだ。

ジャスティンは慌てて妹のもとに駆け寄ろうとしたが、それをレイラが手で制する。


「こちらに戻ってきては駄目。そのままお行きになって、お兄さま」

「・・・レイラ・・・」

「お兄さまには夢があったのでしょう?」

「・・・っ!」

「夢、だと?」


レイラの言葉にドーランが反応する。

だが、レイラは父を無視してそのまま話し続けた。


「わたくしはお兄さまの描く絵が大好きでしたわ。お兄さまの絵は見ているだけで心が温かくなるのですもの。まるで・・・優しくて穏やかなお兄さまそのものでしたわ」

「・・・レイラ」


優しく微笑みながらそう告げるレイラに、ジャスティンの眼が微かに揺れる。


「絵だと? あの下らない落書きのことか? ジャスティン、お前、まだ描くことを諦めていなかったのか?」

「・・・一度は諦めました、父上。この家の後継ぎとしての責務を全うしようと、そう思って」

「なら、何を今さら」

「もう継がねばならぬ家もありません。三日後には全て無くなるのです・・・ならば私も、後継ぎとしての責務に縛られる必要もないでしょう」

「・・・最後までシューマッハ侯爵家の後継ぎらしく、この家に留まるべきであろう!」

「それが必要だとお思いならば、現当主である父上がなさってください。私はここを去ります」


ジャスティンは扉を開き、外へと一歩踏み出した。

絵具やパレットや筆を詰めた鞄を肩にかけて。

ずっと。
これまでずっと、ジャスティンの心の慰めであった絵の道具と共に。


去り行くジャスティンの背後から両親の声が響く。


「ジャスティンッ、行かないで!」

「待て、ジャスティン! わしは許さん、許さんぞ!」


だが、ジャスティンはもう振り向かなかった。


喚き立てる両親の下を去り、これから三日間、ジャスティンは思い切り大好きな絵を描くのだ。


何度も何度も諦めようとして、諦めきれなかった夢。

描いた絵を幾度となく父に破り捨てられ、下らないことは止めてと母に泣かれ、それでもどうしても筆を捨てることが出来なかった。


父に命じられた通りに勉学に励む日々。
そんな日々にあって、ジャスティンの心の拠り所は絵だった。


「・・・いや、レイラもいつも褒めてくれていたな」


ジャスティンはぽつりと呟いた。


そう。

ただ一人、レイラはジャスティンの絵を喜んでくれた。

お兄さまの描く絵が大好きだと笑ってくれた。


家を出ると言ったら、一緒になって鞄に絵描き道具を詰めてくれた。


どうせ二度と筆を手にする事はない、そう思って、何度も捨てようとした。
でも、どうしても出来なくて。



「ああ、でも。捨てなくてよかった・・・」


肩にかかる重みが心地よい。


街角を歩きながら、ジャスティンは空を見上げた。

昼間でもはっきりと目で捉えられる、この地に迫りつつある巨大な流れ星。



それは大部分の人にとって悪夢の象徴なのだろう。

だが、ジャスティンにとっては。


ジャスティンにとってそれは、届かぬ夢をその手に掴ませてくれた福音の使いのようなものだった。



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