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水鏡編
母と娘と、夫ではなかった男 3
しおりを挟むアリーの娘ミラは、十歳になった時、かねてから思っていた疑問を口にした。
「ねえ、お母さん。あたしの死んだお父さんって、どんな人だったの?」
ミラはシロの街生まれでシロの街育ち。
シロしか知らないにもかかわらず、そのシロさえ一部分しか行ったことがない。
ごくごく狭い世界で育ち、まだまだ知らないことの方が多い子どもではあるが、そんなミラでも、大抵の家には「お父さん」と呼ばれる存在がいることは数年前に気づいている。
そして、そのお父さんなる人物が、自分の家にはいないことも。
ただ、気づいていても、何となく母のアリーには理由を聞けずにいた。
元気で明るい母である。
タフで丈夫な母である。
けれど、もし、そんな元気でタフで明るい母が、ミラがうっかり父親のことを尋ねたせいで、夜中に一人こっそり泣くようなことがあったらどうしようと、子ども心に心配したのだ。
それに、アリーはもちろんのこと、ミラの周囲にいる誰も―――幼い頃からミラの面倒をよくみてくれる近所のおじさんおばさんたちが、ミラの父親についてひと言も口にしなかった、というのも変に気を回した理由の一つであった。
何か事情がありそうで、聞いたらマズいような気もして、何も知らない気づかないふりをして。
父親については、誰にも何も言わず、聞かずを貫いて、そうして父親の名前や容姿や年齢、生きているのか死んているのかすら知らないまま、時が経過して、ミラは十歳になった。
そんな日々を送っていたある日のこと。
思いがけないところから、ミラの父親の情報が入る。
『ミラちゃんのお父さんはねぇ、山の事故で死んだんだってぇ』
うちのお母さんが言ってたよぉ、と軽~い調子でミラに教えてくれたのは、最近近くに引っ越してきて、一緒に遊ぶようになった同い年の女の子ララである。
ララも父親がいない。
しかしミラとは違い、ララは自分の父親について知っている。名前も、容姿も、性格もすべて。
ララとララの父親は昨年まで一緒に暮らしていたのだから、それくらい知っているのが当然である。だがそのララの父親は今、シロを出て行き、別の街で暮らしているらしい。
『その山の事故ってねぇ、お仕事で出かけた時だったんだってさぁ。ミラちゃんのお父さんは、ちゃんとお仕事してくれる人だったんだねぇ』
そう話すララの声には、羨望の響きがまざっていた。きっと、その話をしたララの母親の声もそうだったのだろう。
ララの父親は、ろくに働きもせず母親の内職の稼ぎに頼っていたくせに、よそに女を作って出て行くような男だからだ。
ララの言葉に滲む羨望に気づかないミラは、もらった情報を普通にそのまま受け取って、頭の中に収める。
そして考えた。
そうか。あたしのお父さんは、仕事中に死んじゃったのか。
山の事故って何だったんだろう。
崖から落ちちゃったとかかな。それとも獣に襲われたとか。
そんなことを何となく考えはしたけれど、アリーに似て飄々とした所のあるミラは、亡き父への憧れとか情愛とか感動といった感情は、別に湧いてきていない。
ただ、好奇心はしっかりと芽生えてしまった。
というのも、ミラの母、アリーにはちょくちょく求婚者が現れるのだ。
同じシロの町の男が多く、肉屋だったり八百屋だったり小物屋だったりと職業は様々で、年齢もかなり年上から同じ年くらいまでと幅広い。そこにたまに行商人とかが入ったりする。
だが、アリーはその誰とも結婚しなかった。
『あたしはこの家から出ないわよ。手放す気もない。そして、ここに男を住まわせる気もないから』
なぜかその言葉で引き下がる男がけっこう多く、それでもと粘る男はたまにいても、気がついたら他の女を見つけていたり、姿を見かけなくなったりして終わる。
昨年だったか一昨年だったか、母さんはモテモテだね、とミラが言ったことがある。
だが、アリーはあっさりそれを否定した。
『あれはね、健康な嫁をもらって、家の仕事をタダで手伝わせようとしてるだけなの。他人だとお金を払ってやらせなきゃいけないことでも、嫁だと全部、家族の為って無料奉仕で済ませられるからね』
アリーによれば、元気で健康で、口出ししてくる親族が他にいない自分は、嫁として使い勝手がよさそうに見える人材なのだという。
『おまけに子どもも産めるってことが分かってるし、街の外れとはいえ土地付きの家持ちでしょ。売ればお金になると分かってるし、顔もそこそこだから、気軽に声をかけてくるのよ』
母さんは綺麗だよ、とミラが反論すれば、アリーはどこか遠い目をして言った。
『あ~・・・ミラは本当の美人を見たことがないからねぇ。いるんだよ、世の中には。こう、薔薇の花をそのまま人の姿に変えたのかって思うくらいに綺麗な人が』
まるでそんな美人を実際に見たことがあるような口ぶりにミラは首を傾げる。
だが、アリーはその話をそこで切り、先を続けることはなかった。
ミラから見れば、母はシロの街で普通に綺麗な人の中に入ると思うし、とにかくモテる。
そして、バッタバッタと求婚者をフリまくっている。
そんな母が、唯一結婚した相手、それがミラの父。そう、『お父さん』なのだ。
年頃になってきたミラが、父親について好奇心を抱き、色々と考えるようになったのも自然なことなのかもしれない。
―――あたしのお父さんは、ララのところのお父さんと違って、ちゃんと働く人。
じゃあ、顔は? 背は高いのかな。どんな性格なんだろう。
もしかしたらお母さんは、お父さんが死んじゃった後も、ずっとお父さんのことが忘れられなくて、それで誰とも結婚しないのかな。
ミラにしては珍しく、そんな夢見がちな想像を膨らませ。
そうしてその想像に背中を押され、夕飯の時にミラは母に尋ねてみることにしたのだ。
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