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水鏡編
俺ではない理由
しおりを挟む「お疲れさまです、義姉上。いえ・・・ラシェル」
キンバリーがラシェルに優しい言葉をかけている。
ラシェルは眠っていて、キンバリーの囁きは聞こえない。
にもかかわらず、そんなことは関係ないのだとばかりに、キンバリーは騎士服の上着をかけ、労いの言葉を囁いている。
キンバリーが、ランスロットの額に手を当てる。
木から降りられなくなった猫を助けようとして、一緒に下の池に落っこちて、ずぶ濡れになった挙句に風邪をひくという、何とも間抜けなことを仕出かしたランスロットを、キンバリーは心配している。
街中で起きた事件の対応に追われて夜中まで働いて、漸く騎士団から戻って来たくせに、帰るなり報告を聞いてランスロットの部屋に向かい、熱が下がった様子に安堵している。
ランスロットの額の上の濡れタオルが温まっているのに気づき、盤で冷やして交換までして。
なんだ、あれは。
なんなのだ、あの光景は。
俺の胸の中に、苛立ちが募る。
「・・・父親は、俺だろう」
あれでは、まるでキンバリーがラシェルの夫で、ランスロットの父親のようだ。
あれは俺の息子で、ラシェルはまだ俺の妻だ。
キンバリーがラシェルに想いを伝えたいと俺に言ってきたのは、もっとずっと後だった。
「まさか、この頃からだったのか・・・?」
この頃から、キンバリーはラシェルに好意を抱いていたのか。
では、ラシェルは。
ラシェルもまた、既にこの頃にはキンバリーを想うようになっていたのか。
俺ではなく、キンバリーを。
「だから、俺が屋敷に帰らずとも、平気な顔をしていたのか・・・?」
俺の口から、はっと乾いた笑いが漏れる。
「・・・やはりな。またキンバリーか」
いつだって、キンバリーが選ばれる。
皆、無意識にキンバリーの側を選ぶ。
側近も、従者も、友人と称される存在も。
俺はキンバリーではないから駄目なのか。
キンバリーのように、柔らかく笑うことが出来ないから遠まきにされるのか。
キンバリーみたいに、寒そうであれば上着を貸し、病気の子を心配するような男であればよかったのか。
仕方ないだろう。笑うのは苦手だ。
どうしようもないだろう。最初から気づかないのだから。
俺の頭の中で、様々な言葉がぐるぐると回り始める。
どうして俺は、あの時。
どうせいつもキンバリーが。
いつも俺は間違えるから。
分からないのに、どうしろと。
違う、だって俺は。
そうじゃない。分かったのなら、次はそうすればいいんだ。
散らかった思考のままに、口からもそれらの言葉がついて出て。
そして最後に出てきた言葉に、俺は唐突に現実に気づく。
俺にそんな『次』はない。
俺はもう死んでいて、この白い世界にいる。
気づいて、何故か腹が立って。
それから胸が刺す様に痛んだ。
生まれた後に一度顔を見たきり、次はラシェルと離婚する日まで会わなかった息子は、俺がいなくても勝手に大きくなっていく。
見た目は俺とそっくりなのに、ランスロットは当たり前のようにラシェルとキンバリーの間で笑っている。
そして、キンバリーに酷く懐いている。
―――そう、まるでキンバリーこそがランスロットの父親であるかのように。
「・・・父親は、俺だろう」
気がつけば、先ほど吐いたのと同じ言葉を口にしていた。
言っても何の意味もないのに。
どうせここからでは、誰にも何も聞こえない。
俺に出来るのは、ただ水鏡の向こうを見ること。現れた時に現れたものを見ること。そう、それだけだ。
俺は、すやすや眠るランスロットの、額に乗っかっている濡れタオルを見る。
俺はそんなことをしてやったことがない。
そもそも、ランスロットと一緒にいたことがない。
名前を付けたのだって俺ではなく、父上だ。
キンバリーがしてやっていたように、肩車も、剣の指導も、共に出かけることも、乗馬も、看病も。
どれも俺はしていない。
それはそうだ。
ランスロットとは、会ったことも、言葉もろくに交わしたこともないのだ。
公爵家に置いておけば、子どもは勝手に育つと思っていた。
子を産み育てるのは妻の務め。
国の為、家の為に働くのが夫の務め。
だから、ランスロットの世話はラシェルがやるべきで。
俺は騎士団の団長としての職務を全うすることだけを考えるべきで。
だから、ランスロットと何の関わりもないのは当然だ。
何の関わりもない俺を、ランスロットが他人のような目で見るのも―――
「当然、なのか・・・?」
俺ではなく、いつもキンバリーであることも―――
いつの間にか、水鏡は消えていた。
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