あなたの愛など要りません

冬馬亮

文字の大きさ
上 下
45 / 55
水鏡編

ミルのおじさま 1

しおりを挟む





『だいじょうぶよ。ミルがなかよくしてあげる』


そんな最初の約束を真面目に守るミルドレッドは、ラシェルに似たのか、それともキンバリーに似たのか。
いやもしかしたら、どちらに似てもこうだったかもしれない。

ミルドレッドは、あれからもバームガウラス公爵邸の絵画保管部屋に通い続け、俺の絵に向かって話しかけている。


毎日という訳ではない。

六歳になって淑女教育が始まっているし、そして何より、ミルドレッドはバームガウラスの娘ではないからだ。つまりミルドレッドは公爵邸には住んでいない。

キンバリーは、ラシェルと結婚した時に、バームガウラス公爵家が保有する爵位の一つ、シュテルフェンを得て、伯爵家を興している。
固辞しようとするキンバリーに、ランスロットが半ば押し付けるようにバームガウラス公爵領の一部を譲渡したから、一応は領地持ちだ。

ミルドレッドはその家の娘、ミルドレッド・シュテルフェン伯爵令嬢であり、バームガウラスを継いだランスロットとは別の貴族家の娘になるのだ。

とはいえ、今のところそれは書類上のことで、本邸に住んでいないとはいえ、かなり同居に近い状態である。
なぜなら現在キンバリーたちは、バームガウラス公爵邸の敷地内にある別邸にいるからだ。

実は、キンバリーたちはランスロットの結婚を機に、貴族街に新しく建てた邸宅に引っ越す予定だった。
それが、ラシェルの妊娠出産で延期になったのだ。妊娠出産とは、ミルドレッドの弟、アシュリーのこと。八か月前に生まれていて、キンバリーと同じ色をした元気な男児だ。

引っ越しは、その子がせめて二歳になってから、という話になっているから、まだあともう少し別邸で暮らすことになるだろう。

別邸、そう、かつて幼いランスロットの面倒を見る為に、両親とキンバリーが住んでいた場所だ。
そこに、今はラシェルとキンバリー、そしてミルドレッドとアシュリーが暮らしている。

そういう訳で、今のミルドレッドは本邸の絵画保管部屋を、週に三度か四度という結構な頻度で訪れている。

当然、そんなに頻繁に保管部屋に向かえば、いつか誰かがそれに気づく。
そして思うだろう、そこで何をしているのだろうかと。


最初にそれを口にしたのは、ラシェルであった。
ミルドレッドが初めて俺の絵に話しかけてから、三週間ほど経っていた。


「ねえ、ミル。最近、よく絵のあるお部屋に行っているみたいだけれど、何か面白いものでも見つけたのかしら? あそこは絵しかなかったと思うのだけれど」

「あのね、えの中のおじさまに、はなしかけに行ってるの」

「絵の中のおじさま?」

「そうよ。そのおじさまだけね、ひとりぼっちで、さみしそうだったから、おはなししに行ってあげるってやくそくしたの」


ミルドレッドはにこにこと嬉しそうに、ラシェルに打ち明ける。
だが対照的に、使用人を含めた周囲の表情は固い。特にランスロットは固まっている。

保管部屋のどの絵のことを話しているか、誰も彼もがミルドレッドの答えですぐに想像がついたのだろう。

俺以外は夫妻、もしくは家族の絵なのだから当然だ。


「・・・そうなの。その絵の人は、寂しそうだったのね」


ラシェルは、それだけを言って終わりにした。後で話を聞いたキンバリーも同様の反応だった。

だが、ランスロットは違う。


「ミルが優しい子なのは知ってるけど、たとえ絵であっても、あの男に会いに行ってほしくないな」


六歳のミルドレッドに、赤裸々に俺がしたことを話すのは躊躇われたのか、随分と言葉を濁してはいるものの、ランスロットの言いたいことはつまり、俺の絵に話しかけに行ってほしくない、だ。


それはそうだろう。それも仕方ないだろう。

俺はランスロットに一度も声をかけていない。
実の息子であるにもかかわらず、目の前に座っていた時でさえ、ちらりと一瞥をくれる程度で、その隣にいるラシェルか父に話をした。

憎まれて当然なのだ。憎まれることしかしていない。

たとえ対象が絵であったとしても、異父妹が気にかけることが許せないくらいに、ランスロットは俺を嫌っている。

相変わらず可愛げのない息子だ、そう思いながら、それを仕方ないと思う俺もいる。

だがミルドレッドは、自分の前では優しいばかりの兄が、不機嫌さを隠さずにそのように話すのを聞いて、驚いて目を丸くする。


「お兄さまにそんなにいやがられるくらい、あのえの人は、わるいことをしたの?」


首を傾げて問うミルドレッドに、ランスロットを始め、すぐに答えを返す者はいない。
皆、言葉に迷っている。

誰が言えるだろう。俺は―――その絵に描かれている男は、子を産ませる為に妻を娶っておきながら、ただ一度きりの性交をしたのみで、一緒に暮らすこともなく。

バームガウラス公爵領からの収入があるだろうと、俺の騎士団勤務の収入は渡さずにアリーとの暮らしに使っていた。

ラシェルと離縁する前もした後も、血のつながった息子ランスロットとは、ひと言も言葉を交わさぬまま俺は死んだ。


―――お兄さまにそんなにいやがられるくらい、あの絵の人はわるいことをしたの?―――



ランスロットは、何と答えるだろうか。

ラシェルは俺をどう話すだろうか。


俺は、そんな馬鹿なことを考える。


そんなもの、聞かなくたって分かっているのに。












しおりを挟む
感想 2,473

あなたにおすすめの小説

愛された側妃と、愛されなかった正妃

編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。 夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。 連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。 正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。 ※カクヨムさんにも掲載中 ※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります ※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。

婚約破棄された令嬢が記憶を消され、それを望んだ王子は後悔することになりました

kieiku
恋愛
「では、記憶消去の魔法を執行します」 王子に婚約破棄された公爵令嬢は、王子妃教育の知識を消し去るため、10歳以降の記憶を奪われることになった。そして記憶を失い、退行した令嬢の言葉が王子を後悔に突き落とす。

王子を身籠りました

青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。 王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。 再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。

私が死んで満足ですか?

マチバリ
恋愛
王太子に婚約破棄を告げられた伯爵令嬢ロロナが死んだ。 ある者は面倒な婚約破棄の手続きをせずに済んだと安堵し、ある者はずっと欲しかった物が手に入ると喜んだ。 全てが上手くおさまると思っていた彼らだったが、ロロナの死が与えた影響はあまりに大きかった。 書籍化にともない本編を引き下げいたしました

【完結】20年後の真実

ゴールデンフィッシュメダル
恋愛
公爵令息のマリウスがが婚約者タチアナに婚約破棄を言い渡した。 マリウスは子爵令嬢のゾフィーとの恋に溺れ、婚約者を蔑ろにしていた。 それから20年。 マリウスはゾフィーと結婚し、タチアナは伯爵夫人となっていた。 そして、娘の恋愛を機にマリウスは婚約破棄騒動の真実を知る。 おじさんが昔を思い出しながらもだもだするだけのお話です。 全4話書き上げ済み。

逃した番は他国に嫁ぐ

基本二度寝
恋愛
「番が現れたら、婚約を解消してほしい」 婚約者との茶会。 和やかな会話が落ち着いた所で、改まって座を正した王太子ヴェロージオは婚約者の公爵令嬢グリシアにそう願った。 獣人の血が交じるこの国で、番というものの存在の大きさは誰しも理解している。 だから、グリシアも頷いた。 「はい。わかりました。お互いどちらかが番と出会えたら円満に婚約解消をしましょう!」 グリシアに答えに満足したはずなのだが、ヴェロージオの心に沸き上がる感情。 こちらの希望を受け入れられたはずのに…、何故か、もやっとした気持ちになった。

【完結】捨ててください

仲 奈華 (nakanaka)
恋愛
ずっと貴方の側にいた。 でも、あの人と再会してから貴方は私ではなく、あの人を見つめるようになった。 分かっている。 貴方は私の事を愛していない。 私は貴方の側にいるだけで良かったのに。 貴方が、あの人の側へ行きたいと悩んでいる事が私に伝わってくる。 もういいの。 ありがとう貴方。 もう私の事は、、、 捨ててください。 続編投稿しました。 初回完結6月25日 第2回目完結7月18日

婚約者は、今月もお茶会に来ないらしい。

白雪なこ
恋愛
婚約時に両家で決めた、毎月1回の婚約者同士の交流を深める為のお茶会。だけど、私の婚約者は「彼が認めるお茶会日和」にしかやってこない。そして、数ヶ月に一度、参加したかと思えば、無言。短時間で帰り、手紙を置いていく。そんな彼を……許せる?  *6/21続編公開。「幼馴染の王女殿下は私の元婚約者に激おこだったらしい。次期女王を舐めんなよ!ですって。」 *外部サイトにも掲載しています。(1日だけですが総合日間1位)

処理中です...
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。
番外編を閲覧することが出来ません。
過去1ヶ月以内にレジーナの小説・漫画を1話以上レンタルしている と、レジーナのすべての番外編を読むことができます。

このユーザをミュートしますか?

※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。