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水鏡編
ミルのおじさま 1
しおりを挟む『だいじょうぶよ。ミルがなかよくしてあげる』
そんな最初の約束を真面目に守るミルドレッドは、ラシェルに似たのか、それともキンバリーに似たのか。
いやもしかしたら、どちらに似てもこうだったかもしれない。
ミルドレッドは、あれからもバームガウラス公爵邸の絵画保管部屋に通い続け、俺の絵に向かって話しかけている。
毎日という訳ではない。
六歳になって淑女教育が始まっているし、そして何より、ミルドレッドはバームガウラスの娘ではないからだ。つまりミルドレッドは公爵邸には住んでいない。
キンバリーは、ラシェルと結婚した時に、バームガウラス公爵家が保有する爵位の一つ、シュテルフェンを得て、伯爵家を興している。
固辞しようとするキンバリーに、ランスロットが半ば押し付けるようにバームガウラス公爵領の一部を譲渡したから、一応は領地持ちだ。
ミルドレッドはその家の娘、ミルドレッド・シュテルフェン伯爵令嬢であり、バームガウラスを継いだランスロットとは別の貴族家の娘になるのだ。
とはいえ、今のところそれは書類上のことで、本邸に住んでいないとはいえ、かなり同居に近い状態である。
なぜなら現在キンバリーたちは、バームガウラス公爵邸の敷地内にある別邸にいるからだ。
実は、キンバリーたちはランスロットの結婚を機に、貴族街に新しく建てた邸宅に引っ越す予定だった。
それが、ラシェルの妊娠出産で延期になったのだ。妊娠出産とは、ミルドレッドの弟、アシュリーのこと。八か月前に生まれていて、キンバリーと同じ色をした元気な男児だ。
引っ越しは、その子がせめて二歳になってから、という話になっているから、まだあともう少し別邸で暮らすことになるだろう。
別邸、そう、かつて幼いランスロットの面倒を見る為に、両親とキンバリーが住んでいた場所だ。
そこに、今はラシェルとキンバリー、そしてミルドレッドとアシュリーが暮らしている。
そういう訳で、今のミルドレッドは本邸の絵画保管部屋を、週に三度か四度という結構な頻度で訪れている。
当然、そんなに頻繁に保管部屋に向かえば、いつか誰かがそれに気づく。
そして思うだろう、そこで何をしているのだろうかと。
最初にそれを口にしたのは、ラシェルであった。
ミルドレッドが初めて俺の絵に話しかけてから、三週間ほど経っていた。
「ねえ、ミル。最近、よく絵のあるお部屋に行っているみたいだけれど、何か面白いものでも見つけたのかしら? あそこは絵しかなかったと思うのだけれど」
「あのね、えの中のおじさまに、はなしかけに行ってるの」
「絵の中のおじさま?」
「そうよ。そのおじさまだけね、ひとりぼっちで、さみしそうだったから、おはなししに行ってあげるってやくそくしたの」
ミルドレッドはにこにこと嬉しそうに、ラシェルに打ち明ける。
だが対照的に、使用人を含めた周囲の表情は固い。特にランスロットは固まっている。
保管部屋のどの絵のことを話しているか、誰も彼もがミルドレッドの答えですぐに想像がついたのだろう。
俺以外は夫妻、もしくは家族の絵なのだから当然だ。
「・・・そうなの。その絵の人は、寂しそうだったのね」
ラシェルは、それだけを言って終わりにした。後で話を聞いたキンバリーも同様の反応だった。
だが、ランスロットは違う。
「ミルが優しい子なのは知ってるけど、たとえ絵であっても、あの男に会いに行ってほしくないな」
六歳のミルドレッドに、赤裸々に俺がしたことを話すのは躊躇われたのか、随分と言葉を濁してはいるものの、ランスロットの言いたいことはつまり、俺の絵に話しかけに行ってほしくない、だ。
それはそうだろう。それも仕方ないだろう。
俺はランスロットに一度も声をかけていない。
実の息子であるにもかかわらず、目の前に座っていた時でさえ、ちらりと一瞥をくれる程度で、その隣にいるラシェルか父に話をした。
憎まれて当然なのだ。憎まれることしかしていない。
たとえ対象が絵であったとしても、異父妹が気にかけることが許せないくらいに、ランスロットは俺を嫌っている。
相変わらず可愛げのない息子だ、そう思いながら、それを仕方ないと思う俺もいる。
だがミルドレッドは、自分の前では優しいばかりの兄が、不機嫌さを隠さずにそのように話すのを聞いて、驚いて目を丸くする。
「お兄さまにそんなにいやがられるくらい、あのえの人は、わるいことをしたの?」
首を傾げて問うミルドレッドに、ランスロットを始め、すぐに答えを返す者はいない。
皆、言葉に迷っている。
誰が言えるだろう。俺は―――その絵に描かれている男は、子を産ませる為に妻を娶っておきながら、ただ一度きりの性交をしたのみで、一緒に暮らすこともなく。
バームガウラス公爵領からの収入があるだろうと、俺の騎士団勤務の収入は渡さずにアリーとの暮らしに使っていた。
ラシェルと離縁する前もした後も、血のつながった息子ランスロットとは、ひと言も言葉を交わさぬまま俺は死んだ。
―――お兄さまにそんなにいやがられるくらい、あの絵の人はわるいことをしたの?―――
ランスロットは、何と答えるだろうか。
ラシェルは俺をどう話すだろうか。
俺は、そんな馬鹿なことを考える。
そんなもの、聞かなくたって分かっているのに。
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