あなたの愛など要りません

冬馬亮

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水鏡編

ある日の事件 2

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「呼び出しを受けて本邸に向かう途中、池のある方角から大きな水音が聞こえたので、気になって見に行きましたところ、溺れているランスロットさまを見つけました」


池に飛び込んで助けてくれたのだろう。騎士のマントや制服の下半分が濡れている。

抱きかかえられているランスロットに至っては、頭から足まで全身ずぶ濡れだ。寒さでカチカチと歯を鳴らしている。

それも当然、今は春先。日射しは暖かくなってきているとはいえ、水浴びができる季節ではまったくない。

私は、下男にランスロットを受け取って部屋まで運ぶように頼む。申し訳ないが、ランスロットを助けてくれた騎士への礼は、今は口頭のみで終わらせる。

メイドたちには、急ぎ風呂の準備と、取り敢えず体を拭く為のタオルを持ってくるように指示を出す。

ランスロットの濡れた髪や服からは、今もぽたぽたと絶え間なく水滴が落ちている。体がすっかり冷え切ってしまったのだろう、唇は紫色だ。

急いで服を脱がせ、受け取ったタオルで水気を拭いていく。その後は、風呂の準備ができるまで、大きめのタオルでぐるぐる巻きにした。

せめてもの幸いは、ランスロットが無事に戻って来たことだろう。

体を拭くときにざっと見た限りではあるが、大きな怪我もなさそうだ。

意識もはっきりしていて、今も申し訳なさそうに上目遣いで私を見ている。


「・・・ごめんなさい、母さま」

「どうして・・・いえ、ランスが何をしたかったかは、もう分かっているわ。今はとにかく体を温めないと」


騎士がランスロットを抱えて現れた時点で、事件性がないことは一見して理解した。そして、いなくなったおおよその理由も。

だって、びしょ濡れのランスロットが、腕の中にこれまたびしょ濡れの猫を抱えているのが見えたから。


―――ああもう、本当に。


不安で心配で、怖くて堪らなくて。
その反動か、今にもお説教が口をついて出そうになるけれど。

取り敢えず、無事でいてくれた。
びしょ濡れだけど、ガタガタ震えているけれど、それでも怪我なく無事に見つかった。今はそれを喜ぼう。

ランスロットこの子がこういう子なのは知っている。
優しくて、優しすぎて、自分のことなどすっかり忘れて、守ろうと飛び出してしまう子であることを、私こそが知っている。

だって、あの日。

一度目の人生の、私にとっての最後の日。

ランスロットは、私を守ろうとして、ヘンドリックさまに剣を向けた。

大人で、この国で誰よりも強い騎士団長のヘンドリックさまに、たった十二歳のランスロットが、子ども用の小さな剣で立ち向かい、私を庇ってくれた。


―――そうよね。そんなあなたなら、気づいたのに見て見ぬ振りは出来ないわね。



「母さま、あの、あのね。部屋の窓から、猫のなき声がきこえて、それで・・・」

「ランス、話は後でいいわ。ほら、先にお風呂に入ってらっしやい」


メイドの合図に気づいた私は、ガタガタ震えながら説明をしようとするランスロットを留め、風呂場へと促した。






お風呂でじっくり温まったランスロットが、後で私に語ったのは予想通りの話だった。


「ねこのなき声がきこえて心配になって、あわててベランダから外に出てしまいました。
あちこち探して、ねこが木の上でおりられなくなってるのを見つけたんです。このままおりられないと困るだろうって思って・・・」

「気持ちは分かるわ、ランス。あなたなら助けたいと思うでしょう。あなたは優しい子だもの」


みゃあみゃあと不安そうに鳴く声に、思わず部屋を飛び出してしまったのだろう。

木の上で降りられなくなっているところを見つけて、助けたい一心でよじ登ったのだろう。

けれど、その木は池の近くに植わっていた。

そして猫は、よりによって池の上に張り伸ばした枝の上で、動けなくなっていた。

それで結局、ランスロットは確保した猫もろとも、枝から池の中へと落っこちてしまった。


「それでも、一人で黙っていなくなるのは駄目よ。母さまも、マーガレットも、玩具を片付けてくれた下男も、他の皆も、たくさんたくさん心配したの。
もし、ランスが池に落ちた時にあの騎士が気づいてくれなかったら、取り返しのつかないことになっていたかもしれないのよ」

「ごめんなさい・・・」

「アルフとクルトがいれば、きっとこんな騒ぎにはならなかったのでしょうけど」


ランスロットに後継者教育があるように、アルフとクルトも側近としての教育がある。

今日はその勉強の日で、たまたまランスロットの側を離れていた。

色々と悪いタイミングが重なって起きた出来事と言えなくもないが、それで終わらせてはいけない。
ランスロットは、将来バームガウラス公爵となる子なのだから。


「これからは、誰かや何かを助けたいと思った時、まずはよく考えてね。周りに心配をかけるようなやり方をしては駄目よ。
私たちがランスを大事に思って、愛していることを忘れないで。ランスに何かあったら、皆が悲しい思いをするの」

「はい・・・気を付けます」


それから普通に夕食を取って、何とか一日を無事に終えたと思っていたけれど。



―――やはり、この時期に水浴びは早すぎたようで。


ランスロットは、夜になって熱を出した。







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