あなたの愛など要りません

冬馬亮

文字の大きさ
上 下
40 / 55
水鏡編

熱に溶ける

しおりを挟む



水鏡に、俺の父シャルマン・バームガウラスの姿が映る。

狭い室内、父のすぐ向こうには小さな窓があり、その窓の外の景色は間断なく流れていく。その様子から、父は馬車に乗っていると察した。

中にいるのは父ひとり。

疲れた表情をしていて、顔は俯き加減で、背中を丸めて。

父のそんな姿を、俺は今まで一度たりとて見たことがない。
俺の記憶にある父は、いつも矍鑠かくしゃくとしていて、常に背筋を真っ直ぐに伸ばし、前を向いていた。

俺の前に騎士団長を務めていた人。

子どもの頃の俺に剣の手ほどきをした人。

力強い剣捌きの威風堂々とした人だったのに。


馬車に揺られる父は、腕の中に剣を抱えている。
大事そうに抱えているそれには、見覚えがあった。

ああそうだ、あれは俺の剣。父から祝いとして贈られ、以来ずっと愛用していたもの。もう使わないと思いつつも、父由縁のものだからとシロまで持って行った。


その剣を、なぜか父が抱えている。

そして抱えたまま、俯いたその顔から透明な雫が一つ、二つ、三つと頬を伝って落ちて行く。


「・・・父上が、泣いておられる・・・」


またしても見たことのない光景、それは背中を丸めた父の姿よりも強烈で。


どうして泣くのだ、父に何が起きたのだ。


いや、待て。

そもそもシロにある筈のあの剣を、父が持っているのはなぜだ。
俺は岩に潰されて死んだから、今はシロにいるアリーがそれを持っている筈だ。


――― ああ、そうか。


考えれば、すぐに分かることだった。

俺が死んだ後に、アリーから父の手に渡ったのだ。



「父上は、剣を返されて不快だったのだろうか。それで泣いておられるのだろうか。
いや、父上は不快で泣くような方ではない。では、もしやあの涙は、いや、まさかとは思うが・・・」



俺がふと、自分に都合のいい解釈をしそうになった時。

水鏡の向こう、剣を抱えた父の体が、一度大きくガクンと揺れた。

どうやら馬車が止まったようで、父のいる右手外側にある扉が大きく開き、中に光が射し込む。

父は、ぐいと涙を拭うと、両手で抱えていた剣を利き手に持ち替え、いつものぴんと背筋を伸ばした姿で馬車から降りていった。



馬車を降りた父は、そのままある建物に入って行く。

中で父を迎えたのは、革の前掛けを付けた壮年の男。

男は鍛冶屋なのだろう。背後には、真っ赤に熱した炉が見える。

父は彼に、俺の剣を手渡した。



鍛冶屋の男は、俺の剣を鞘から抜き、手際よく掬から刀身を外していく。
父はそれを、少し離れて後ろから眺めている。

鍛冶屋の男は、燃えさかる熱い炉の中へ刀身を勢いよく放り込む。

巨大な炎に呆気なく呑み込まれた刀身は、真っ赤に染まり、橙色の輝きを帯び、やがてじわじわとその形を失って行った。

その間ずっと、きっと相当な熱さだろうに、父はその場を離れる事なく、その様をじっと見つめ続けている。



「父上・・・」


また、父は泣いているのだろうか。

父の顔は燃えさかる炎で赤く照らされていて、頬からひとすじ、ふたすじ、きらりと光るものが流れ落ちていくのが見える。

それが涙なのか、それとも熱で吹き出た汗なのか。俺には分からない。俺などに分かる筈がない。


分かることはただ一つだ。

父は、俺の剣を炉で溶かした。

俺が18歳という史上最年少で騎士団長職を拝命した時、父自ら祝いとして俺に贈った剣は、この日、炉の炎に呑み込まれた。




――― ヘンドリック、お前は何が好きなんだろうな。お前には何が向いているだろうか。


俺は、幼い頃に聞いた父の言葉を、唐突に思い出した。

そして、自分の頭に乗せられた、大きな手のひらの重みを。


―――お前は何でも器用にこなす子だが、楽しそうには見えないのだ。出来る事なら、お前がやりたいと思うものを見つけて、やらせてやりたいのだがなぁ。


父は、そう言って笑っていた。
父の笑顔は、誇らしげではあったが、どこか心配そうでもあった、気がする。


「・・・」


ラシェルの事を考えるといつも湧きあがる、あのざわざわとした感覚が、俺の心の中に生まれる。

俺はそれを不快感だと思っていた。

では、俺は今、父を不快に思っているということか。
いや、そんな筈はない。そうではない、そうではないだろう。


ならば、そのざわつきの正体は何なのか。


残念なことに、俺にはまだ皆目見当がつかないのだ。  







しおりを挟む
感想 2,473

あなたにおすすめの小説

愛された側妃と、愛されなかった正妃

編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。 夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。 連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。 正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。 ※カクヨムさんにも掲載中 ※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります ※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。

【完結】もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?

冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。 オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。 だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。 その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・ 「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」 「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」

夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました

氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。 ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。 小説家になろう様にも掲載中です

王子を身籠りました

青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。 王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。 再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。

私が死んで満足ですか?

マチバリ
恋愛
王太子に婚約破棄を告げられた伯爵令嬢ロロナが死んだ。 ある者は面倒な婚約破棄の手続きをせずに済んだと安堵し、ある者はずっと欲しかった物が手に入ると喜んだ。 全てが上手くおさまると思っていた彼らだったが、ロロナの死が与えた影響はあまりに大きかった。 書籍化にともない本編を引き下げいたしました

側妃契約は満了しました。

夢草 蝶
恋愛
 婚約者である王太子から、別の女性を正妃にするから、側妃となって自分達の仕事をしろ。  そのような申し出を受け入れてから、五年の時が経ちました。

挙式後すぐに離婚届を手渡された私は、この結婚は予め捨てられることが確定していた事実を知らされました

結城芙由奈@2/28コミカライズ発売
恋愛
【結婚した日に、「君にこれを預けておく」と離婚届を手渡されました】 今日、私は子供の頃からずっと大好きだった人と結婚した。しかし、式の後に絶望的な事を彼に言われた。 「ごめん、本当は君とは結婚したくなかったんだ。これを預けておくから、その気になったら提出してくれ」 そう言って手渡されたのは何と離婚届けだった。 そしてどこまでも冷たい態度の夫の行動に傷つけられていく私。 けれどその裏には私の知らない、ある深い事情が隠されていた。 その真意を知った時、私は―。 ※暫く鬱展開が続きます ※他サイトでも投稿中

婚約破棄された令嬢が記憶を消され、それを望んだ王子は後悔することになりました

kieiku
恋愛
「では、記憶消去の魔法を執行します」 王子に婚約破棄された公爵令嬢は、王子妃教育の知識を消し去るため、10歳以降の記憶を奪われることになった。そして記憶を失い、退行した令嬢の言葉が王子を後悔に突き落とす。

処理中です...
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。
番外編を閲覧することが出来ません。
過去1ヶ月以内にレジーナの小説・漫画を1話以上レンタルしている と、レジーナのすべての番外編を読むことができます。

このユーザをミュートしますか?

※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。