あなたの愛など要りません

冬馬亮

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水鏡編

間違いばかり

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ぐらり、と大岩が崖の上から落ちてくる。

気づいても俺は避ける気にならず、ただそれが自分の身を潰す瞬間を待っていた。

これで終わりだ、ようやく終われるのだと、なぜか安堵を覚えて目を瞑ったのに。

次の瞬間、俺は白の世界にいた。すべてが真っ白で、俺以外に何もない世界に。


現状把握ができず固まる俺の前に、何もない空間から現れたのが灰色のローブの男だった。

ローブの男は言った。

俺の心にはひびが入っていると。

そして既に俺は二度、ヘンドリックとして生きていて、一度目の人生ではどうしようもない男だったけれど、二度目の生は少しましで、俺の心のひびとやらも、ほんの少しだけ塞がっているのだと。

その心のひびとやらが、俺にどう影響しているのかは知らないが、ローブの男が言うには、この状態のまま生まれ直しても、結局また似たような人生を送るだけとのことだった。


「似たような人生・・・?」


俺の呟きに、ローブの男は頷く。


「そうだ、間違いだらけのな」

「・・・間違いだらけの人生か。言い得て妙だ」


俺の口元が歪に歪む。

自分の人生だ。間違いばかりなのは知っている。だが、好きで間違えている訳じゃない。

間違ってもそれに気づかず、教えられても上手くいかず、気がつけばまた別の間違いを犯している。学問と剣術は出来るのに、生きることは上手くできない、それが俺―――ヘンドリックだ。

間違わずに済む人生は、きっととても楽なのだろう。

絶対に間違わないとまではいかずとも、間違いが少ない人生ならば、さぞ生きやすいに違いない。

だが俺はそうではない。だから、きっとこの先も、間違いだらけの人生を送り続けるのだろう。

俺が気がつくのは、いつだって間違えた後だから。



「まあ、好きなだけここに居たらいいさ。嫌になったらいつでも帰してやる」


ローブの男の言葉に、俺は尋ねる。


「ここにいる意味は何だ?」

「そうだな。ここにいる間は、生まれ直しに入らなくて済む。お前はもう死んでるから、あっちに戻ったらすぐ生まれ直すことになるからな」

「死んでるのなら、何故ここで俺は生きている?」

「ここは時が止まってる。だから中途半端な状態のお前でも、そのカタチを保っていられるって訳だ」

「カタチ・・・?」

「ああ、私が作った偽の容れ物だ」


俺は自分の体のあちこちを見回す。どこをどう見ても、いつもの俺の身体に見える。

俺は、向かい合うように立つローブの男を見た。


「・・・お前も死んでるのか。それとも、お前は神か死神か?」

「ははっ」


俺の質問にローブの男が笑う。


「残念ながら、私はちょっと特殊な魔術が使えるだけの、ただの人間だ」

「そうか。それを『ただの人間』と呼ぶかどうかは知らないが、俺を消滅させることに、その力は使えないのか」

「あまり無茶を言うな。それから結論を急ぐな。
ゆっくり考えろ。時は止まってるんだ。変な言い方だが、時間はどれだけでもある」


ローブの男は、この世界がすべて幻でできていると言う。

望めば何でも出せること。そして、出すものすべてが幻であること。

それから、男は少々意地の悪い笑みを浮かべて俺に尋ねた。


「鍛錬場がほしいなら、出してやるぞ」


なんだ、嫌がらせか、と俺は眉を顰める。

一度目の人生で俺がラシェルを切り殺したことをお前が俺に教えたのだろうに。


「・・・剣はもう持たない」

「そうかい」

「ああ。俺は強い。剣を持てば必ず誰かを切り伏せることになる。それが常に正しいならばよかったが、俺はそこでも間違えたらしいからな」


ローブの男は小さく肩を竦める。

そして俺が二度目の人生で、何度か剣を持つことに躊躇する瞬間があったと言った。

一度目のことを覚えている筈がないのに、そんなことが起きたのは、なかなかすごいのだと男は言うが、俺には意味が分からない。

覚えていようと覚えていまいと、俺があれを殺したことには変わらないではないか。




何でも出してやるとローブの男に、俺はその日の気分で山や川や平原を頼む。

山を走り回り、川に飛び込んで魚を獲り、海では行けるところまで泳いでみた。草原では馬も出してもらい、好きなように走らせていたら三日ほど経っていた。

時が止まっているから食事も不浄の必要もない。だから、三日どころか三年飛び出したままでも何の問題も起きない。

ただ、食べなくても構わないというのは、逆に言えば食べても構わないということで。

ローブの男は、幻で作り上げた食事出しては気分次第で俺を誘う。
幻でもきちんと味も香りもついていて、食べた後はちゃんと満腹感があるから不思議な話だ。

人付き合いを苦手とする俺にとって、ローブの男以外、誰もいないこの世界はとても楽であることに気づく。

たぶんこれまでの人生で一番と言っていいくらい楽なのに、なぜかローブの男は時々、同情めいた視線を俺に向ける。


ある日、ローブの男は言った。


「あっちの世界を見せてやろう」

「そんなことが出来るのか?」

「まあ見ていろ」


これでいいかと呟いて、ローブの男は小川に両手を向ける。

ちょろちょろ流れる小川の水が―――正確に言うと水に見えていたものが―――一瞬だけ眩い光を放つ。

光が収まり、目を開くと、小川の水は鏡のように平らになって、水なのにもう水ではなくて。

それから、一部だけがゆらりと揺らいで人影を映した。


「・・・ラシェル?」


俺は、目を瞬かせる。水面の一部にラシェルの姿が映っている。

机に向かい、日記を広げ、ペンを手にしたまま物思いに耽っているラシェルが。

じっと見ていると、くるりと水面の映すものが変わる。

どういう理屈なのか、それは孤児院でラシェルを攫おうとしている破落戸を、俺が倒す光景を映し出した。

それから、今度は王太子襲撃事件に。

その次は、国王陛下から英雄の称号を受ける場面に。

かと思えば、広場で吟遊詩人が英雄の戦いぶりを称える歌を歌う光景に変わる。


水鏡が映すものは、時に長く、時に短く、ころころと場面が変わっていき、気がつくと黒髪の赤子が生まれる場面に変わって。

そして、またラシェルに戻った。


『ヘンドリックさまと結婚していなかったら、ランスロットは生まれていなかった』

『ヘンドリックさまとの出会いが、間違いである筈がないわ』



気がつけば、七刻もの時が過ぎていた。


「明日からは一刻だけだ」


―――お前も一緒になって見ていたくせに。


そうは思ったが、この男は今や俺にとっての騎士団長、口には出さなかった。


こうして、灰色のローブの男が言うところの水鏡を通して、一刻ほどあちらの世界を見る日々が始まった。




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