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水鏡編
英雄の誕生と私 2
しおりを挟むこの時ヘンドリックさまが口にした『訓練地での異変』。
それは毒の混入だった。
王太子殿下一行への襲撃より少し早いタイミングで起きたそれに気づくまでに、少しばかり時間を要した。
被害は、徐々に徐々に増していったからだ。
朝食を終え、実戦訓練を始めようとする頃、一部の騎士たちが体の変調を訴え始める。
症状は揃って同じく、全身のしびれ。
奇妙なことに、症状を訴えたのは皆、西側に振り分けられた騎士たちだった。
しびれで体が動かなくなるものの、それ以上の悪化はない。
だが命の危険はなくとも、症状を訴える者の数は時間を追うごとに増えていく。
食事で何かに当たったか、あるいは毒かと思われたが、倒れる者がどんどんと増え続けるせいで対応が追いつかないのだ。
激しい訓練による怪我のせいで元から満室に近かった医療室は、あっという間に全身のしびれを訴える騎士たちであふれてしまう。
急いで隣の控え室を開放したが、それもまたすぐ満室に。
医療室の外に毛布を敷いて横にならせるも、その後も症状を訴える者が出続けた。
その場その場の対応に追われ、原因究明もままならない中、事態が動いたのは、最初の患者が症状を訴えてから一刻ほど経ってからだった。
訓練参加者の一人が、不審な動きをする者を捕まえたのだ。
「東側の第二区にある水瓶に、何かを入れようとしているところを捕らえました」
捕まえた男の所持品を調べてみれば、複数の暗器を隠し持っていた上に、胸元の隠しには粉末入りの小瓶が。
恐らくは、暗殺者か何かの類だろう。
騎士たちの突然の不調も、男が持っていた瓶の中身が原因ではなかろうか。
とはいえ、王都から遠く離れた訓練地で、謎の粉末を解析する道具や設備などある筈がなく。
ならばこの男で試せと、指導役で来ていた隊長の一人が、小瓶の粉末を掬って男の口の中に放りこむ。
この時既に、若手の騎士たちに加え、隊長クラスの騎士二人までもがしびれのせいで動けなくなっていた。手段を選んでいる暇はない。
数分後、男は体をぶるぶると震わせて倒れ込む。意識はあるが体は動かせず、歩行もままならない。話し方も少々おかしく、しびれを訴えた他の騎士たちとまさしく同じ症状になっていた。
呂律はだいぶ回らなくなっているが、なんとか話は聞き取れる。
尋問の結果、男が所持していたのは致死性のないしびれ毒で、半日もすれば回復することが分かった。
男は、訓練地で飲料用に用意していた水瓶の中の水に、こっそりしびれ薬を入れて回ったという。
水瓶の置いてある場所は、西と東でそれぞれ五か所ずつ。そして一か所に複数個。
男はまず西側の水瓶すべてに毒を入れた後、東も同様にしようと動いていたところで、騎士の一人に捕えられたのである。
その男を捕らえた騎士というのが、今回の訓練に参加していた入団四年目の若手騎士―――そう、ヘンドリックさまだった。
「さすがだな、ヘンドリック。お手柄だ」
男を尋問し終えた隊長は、ヘンドリックさまを労った後、集まっていた騎士たちに毒で汚染された水瓶の位置と数を告げ、中身を処分するように指示を出す。
それを受けて騎士たちが一斉に駆け出す中、ヘンドリックさまだけはその場から動かずにいる。
「どうした、ヘンドリック」
「隊長。俺は、あの男が水瓶にしびれ毒を混入した意図が今ひとつ分からなくて、どうにも気分が悪いのです」
「・・・ああ、それは私もだ。いっそ致死毒を盛る方が話が早いのに、半日動けなくなるだけの薬など、重要人物がうじゃうじゃいる王城ならまだしも、僻地に来ている私たちに使っても意味がない。
いちいち水瓶にしびれ毒を入れて回るなんて、手間がかかる上に実行中に見つかる危険性が高いだろ。実際、お前に捕まったしな」
「なのに、あの男はそれを敢えてやりました」
「そうなんだよなあ。もし全員が毒にやられて、ここに来ている騎士たちが皆動けなくなったとしても、どうせ半日で回復する訳だろ。まあ実際は、お前が奴を捕まえてくれたお陰で、三分の一は無事でいるがな。
だがあの男、毒の種類や入れた水瓶の場所や数などはぺらぺら喋るくせに、その話になるとぴたりと口を噤むんだよ」
「少しの間、俺たちを動けなくすることに意味があったのでしょうか。それではまるで時間稼ぎのよう・・・」
ヘンドリックさまは、大きく目を見開き、踵を返した。
「ヘンドリック!?」
「今日は昼前に王太子殿下の視察予定が入っていました! もしやこれは、殿下の身に何か起きても、我らが救援に向かえぬようにする為の手かもしれません!」
「・・・っ! ここはただの足止めで、本当の狙いはラウレンツォ殿下かもしれないってことか!?」
「分かりません。気になるので確認に行って参ります!」
「分かった! お前は先に行け! こっちも行けそうな奴を選んですぐに後を追いかけさせる!」
そうしてひとり、先に馬に乗って駆け出したヘンドリックさまは、その途中、地面に倒れている騎士を発見する。
背中から血を流していたその騎士は、王太子殿下の護衛担当を示す騎士服を着ていた。
護衛隊長の命を受け、遠征訓練地に応援要請に向かった騎士であった。
王太子殿下への襲撃を確信したヘンドリックさまは、ここからさらに速度を上げる。
そして幸運にも、遠く木々の隙間から馬車の陰を見つけ、方向を転換する。
こうして間一髪、馬車の扉を暗殺者が破ろうとしているところに、ヘンドリックさまが駆けつけたのである。
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